被災者の方々はかわいそうですよ

 詳しくはずっと追いかけていただいているマイミクさんに
筋が通らないのでそこで紹介してからこちらでは触れますが、
生活環境に変化がありました。

 そこからすこし、自省モードにはいっています。

 ちなみにマイミクとは日本生まれのSNS「ミクシィ」のなかで
の知り合いや友人を表す言葉で、ミクシィで書いている「日記」は
マイミク限定にしか公開していません。

 と、いうのは少しだけ名前がでるようになったこともあり、
完全公開版では書けないことが増えたことが理由です。

 特にネットにおいては「大企業」や「著名人」にはどんな失礼な
発言を投げても良いと勘違いしている輩もおり、またその著名人の
規定も、わたしのような物書きの立ち見席から補助席に移った程度
のものまでその枠にいれて攻撃してきます。

 まぁ野良ブログのインディーズ上がりですから、気にはしませんが
ギャラを貰っている連載との兼ね合いで喧嘩ができない状況もあり、
また、一時期は孫正義さんを「ブラックキューピー」、楽天の
三木谷浩史さんの「ブラックティディベア」と揶揄していたことを
編集さんに諫められたりしていたこともあり、

「言えないことでも言えないこと」

 という位置付けで書き散らかしている日記です。

 マイミクはミクシィの会員なら誰でも申請でき、メルマガや著書の
読者なら基本的にはOKをだしているのですが、なかには失礼な輩
もおり、

「俺だよ、ミヤワキ。高校のときの同級生だった××だよ」

 埃の被った卒業アルバムを開き××を探すと、アメトークで
いうこところの「いけてない」グループに属していた××で、
それはそれで気にしないのですが、20数年ぶりにネットで再会した
だけの××ごときに呼び捨てされるほど安い名前ではないのでこう
返事をしました。

「20数年の時を経て、会話を交わした記憶も乏しい同級生を
 呼び捨てする非礼なものと接する時間はありません。あしからず」

 話を戻せばここで続けている日記との絡みで自省モードにはいって
おります。

 それは東日本大震災にも通じます。

 ある日、突然揺れ、世界が変わりました。
 地球は変わらず自転して、月は闇夜をこうこうと照らし、季節は
夏に向けて加速を始めています。

 それも自然であり地震も自然で津浪も地震です。

 しかし、我が身を省みます。

 例えば自社のホームページをふざけたかたちでリニューアルしたか
らなのかと自分に向かいます。もちろん、合理的思考でみれば両者に
関連性などあるわけもなく、思いこみにしても酷すぎるのですか。

 ただ、袖触れ合うも多生の縁、あるいは風が吹けば桶屋が儲かる的な
「連環」を感じるのが四季と自然に身を委ねてきた日本人の感覚では
ないかとしみじみと噛みしめるのです。

 そして四選を果たした石原都知事の「天罰発言」。
 翌日の新聞で全文を読んで深く感じるものがありました。
 同時に「叩かれる」と理性的に判断します。

 もともと石原叩きが大好きなマスコミが多く、弱者はなにをおいても
守らなるのは良いとしても、反語的に強者と政治家は叩くマスコミから
すれば、「天罰」と「天災」を絡めることなど造作もありません。

 後日、撤回しましたが、これを「単語のチョイス」に疑問を呈する
ならともかく、発言の全てを否定するのはどうかと思います。

 以下、石原都知事の発言(読売オンラインより)です。

「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムで
 やっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要
 があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰
 だと思う」

 と、ここだけ抜き出せば微妙でも、

「被災者の方々はかわいそうですよ」と続けた。

 とあり、被災者を別枠にいれていることがわかります。

 しかし、予想通りこれを「被災者への天罰発言」と加工する報道を
多く、結局は撤回することになりました。

 石原都知事の発言については本人が撤回したので、ほじくりまわし
ませんが、私が引っかかったのは、この全文を読んで

「被災者への発言」

 とあおれる報道の精神構造です。

 被災地も我がことと思い、被害に感じる心の痛みが天罰の一端で、
何もできぬ、できてもたかが知れている非被災者の我々に与えられた
苦難は甘受すべきものである・・・と、理解したわたしにとっては、

「被災者を思わぬ発言」

 と非難する精神構造に、「俺たちと被災者は違う」という傲慢さを
みつけてしまうのです。つまり「天罰=物的被害・人的被害」という
短絡さが、彼と我を分け、単純な非難へと向かっているのではないかと。

 そこに「自省」を見つけられません。だから他社を無遠慮に攻撃
します。それは匿名の影から攻撃するネットの住民と同じです。

 自省することで他人への批判も節度のあるものになるのは、
自省による痛みを知るからです。

 いま、噛みしめています。痛みを。

 私が震災対応も政権維持の舞台に利用する菅直人並みに他人の
痛みに鈍感ならもっと楽なのだろうに。

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