メルマガオワコン説とAI脅威論は同じ

 お陰様で「まぐまぐアワード2017 政治・経済部門1位」を頂戴しました。というわけで「メルマガ」について。

 なにをいまさら「メルマガ」と思う勿れ。賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶといいます。私は正真正銘の愚者ながら、学んだ経験を伝える術を持ちます。そしてそれが「歴史」になります。歴史とは壮大な愚者の生き様でもあります。

 ・・・えぇ受賞に表現が大袈裟になっておりますが、簡単にいえば「メルマガ」を例に、その取り扱いを知っておけば、ITやネット界隈の「風聞」や「風説」に騙されずに済みますよ、という話し。

 そして「メルマガ」を巡る言説を知れば、そのまま「AI脅威論」の正体に辿り着く。という話しです。

動画版はこちら↓

 5〜6年ほど前より「メルマガはオワコン」とさげすむ論が、ネット界隈で主流となりました。

 時代はSNSで、いまならLINEやインスタが「ナウい」から、すなわちメルマガなんてものは「おっくれてる〜♪」と、嘲笑するロジックです。

 実に笑ってしまうのが、このロジックのテンプレ(ひな形)が百均に売っているのかと探してしまうほど、みな同じロジックの組みたてかた。

 端的にいえば「バカ」です。

 あまり「バカ」と捻りのない評価は、物書きの端くれとして避けているのですが、それ以外の言葉が見つからないほど、短慮であり、そしてぶしつけで失礼なロジックです。

 百均レベルのテンプレを、もう少し知的に翻訳すればこんな感じ。

「今はLINEがブーム。だからブームじゃないメルマガは誰も使わない」

 バカが酷いなら、こんな感じ。

「こどもかっ(さまぁ〜ず三村風)」

 子供レベルに換言すれば

「オレらはLINE使ってるっしょ。メルマガ読まないじゃん。だからメルマガは終わっているんだよ」

 てなところで、つまりは自分の都合を、そのまま世界基準にして判断しているということで、小学生の主張する

「みんな持っている」

 と同じで、実際にはある小学校のひとつのクラスの、その児童の親しい、あるいは憧れている数名が保有しているに過ぎない、ポケモンカードを世界のすべてと信じる近視眼と傲慢。

 それが「メルマガオワコン説」の骨子です。

 もちろん、かつて「メルマガブーム」と呼ばれた時代があり、賞をいただいた「まぐまぐ」の攻略法や必勝法もありました。

 毎週月曜日の午前4時〜7時ぐらいまでに「創刊号」を発行すると、新規読者が集まりやすく、そこで多くの読者集めれば、集計の締め日の関係から「まぐまぐ」が発行する公式メルマガの「新着メルマガランキング」で紹介されやすく、それによって更に読者が増え、いずれもせずに金持ちになるという、「たら」と「れば」が満載で、痛風になりそうな話しです。

 この手の安易な攻略法はアッと言う間に陳腐化しましたが、それでも「メルマガ」が熱かった時代は確かに存在し、当時と比較すれば、いまは白くなった備長炭のように派手さはありません。

 しかし、いまもメールボックスを開けば、山のようなメルマガが届き、むしろ本文を見ないメルマガの方が多数といっても過言ではないでしょう。

 オワコンといわれてもメルマガはいまも量産されています。そして企業活動において無駄はいずれもせずに淘汰されます。まして、メルマガからの集客数はカウントしやすく、それが「ゼロ」ならばリストラの対象となります。

 メルマガは「作文」が必要で、慣れた人間でも数十分は必要とし、書き出しで躓けば時間単位になることもあります。これが全くの無駄ならば、それを野放しにする経営者はいません。

 私のように「ライフワーク」として、採算度外視でメルマガを発行しているのは少数派で、私と同時期にはじめた「仲間」の全てがすでに発行をやめています。

 メルマガで一攫千金! と夢見て夢破れ、なかったことにしている人が大半です。

 実際、私も一攫千金を夢見て、かつてのブームのころには、今回受賞した「まぐまぐ大賞」なんかにも、読者の皆様に投票を依頼したりもしましたが、箸にも棒にもかかりませんでした。

 かかったのは洋泉社の編集者ぐらい。そして本を出せたわけで、「メルマガドリーム」を実現した一人、とも言えるでしょうか。なぜなら「正論」も同じくだからです。ひとえに私の才能のなせる技・・・・・ではなく、ひたすらにラッキーだっただけですが、とにかくメリットがなければメルマガの発行をやめるもので、いまもメールボックスにメルマガ溢れている現実を前に

「メルマガオワコン説は破綻」

 しているということです。

 白色化した備長炭は実は高温で、派手さはありませんが、温度が安定しており、実用においては最適なのです。むしろ「炎」がでている状態の炭火は、表面だけ焦げて生焼けになるように、ネットサービスも「ブーム」のときは実用性に乏しく、それが去った後ぐらいがもっとも効率よく活用できるものです。

 そしてメルマガがオワコンでない理由は簡単。いまだに、メールしか見ない人もいれば、メールも利用する人もいて、メールを用途毎に使い分けている人も多く、その人らにメルマガは「刺さる(届く)」ということです。

 LINEやインスタをはじめたからと、メールをやめる必要はさらさらなく、そもそもネットもネットサービスも「道具」に過ぎず、どちらか一方の「or」ではなく「and」で接するものだからです。

 例えば新しい「プラスドライバー」を入手したからと、古いプラスドライバーや、マイナスドライバーを捨てる人はおらず、必要に応じて使い分けるのが「道具」だからです。

 それなのに「メルマガオワコン説」が繰り返される理由は2つ。

 既に指摘したバ・・・、「子供」というのがひとつ。もう少し高尚な表現にすれば

「私論を公論にすり替える」

 というもの。自分がLINEを使っているから、世界の全てがLINEで、自分がメルマガを読まなくなったからメルマガはオワコン。

 ネット界隈は、この幼稚な意見に溢れていますが、テレビコメンテーターも同レベル。私のマスコミ批判は、ネット界隈に呆れつつ、チャンネルを合わせたワイドショーで、「専門家」を名乗る連中が、ネット界隈と同レベルか、それ以下の「私見」を拡散していることに気がついたとき、疑念が確信に変わってのものです。

 ほぼすべてのコメンテーターといっても良く、ジャーナリストという触れ込みの青木理氏なんかに代表されます。

 昨今のきな臭い北朝鮮事情で青木氏は北朝鮮側に立った発言を繰り返します。そして様々な文脈から唐突に「日本による植民地支配」を理由のひとつに掲げます。

 併合は植民地ではない、というのが歴史的にも政治的にも事実ながら、青木氏の発言を追うと、北朝鮮側に立ったものばかりです。

 それは彼の思想信条であろうし否定しませんが、つまりは青木理という人物の「私論」に過ぎません。

 あるいは彼がどこかの組織・団体・国家を代表しているのなら、そちら側において「公論」とは言えますが、日本国国民の「公論」とはいえないでしょう。すくなくとも選挙結果からは、青木氏の発言から推測できるアンチ自民、ヘイト安倍といった政治信条と正反対の「民意」を確認できますので。

 もちろん「本番組はコメンテーターの私論の拡散です」と注釈を入れているのなら、それも1つの言論だと思いますが、いまのテレビ報道は、こうしたためらいがないどころか、まるで中立公正な立場からの「公論」のように取り扱っています。

 そして「偏向報道」となるわけですが、ネット界隈においても、この「偏向報道」が常態化していて、さらにそこに大人の事情が絡むというのが理由のふたつ目。

「オワコンと煽ると儲かる人がいる」

 メルマガオワコン、すなわち効果がないなら、次はどんな媒体、ツールを使えばよいのか、とすがる広告担当者に

「これからはLINEですよ」

 と伝道者がささやき、雑誌・媒体は特集を組み、セミナーを開き集金してウハウハ。反対に「王様の耳はロバの耳」とばかりに異議を唱えても、

「ミヤワキさん、証拠がなければ記事になりませんよ」

 と握りつぶされます。

 連中は「これから」と未来予測とすることで、自分たちに都合の良い記事は「証拠」を不要とし、現在の事実からの批判であっても、それは未来のことではないというロジックを捻り出し、都合の悪い言説を闇に葬り去っています。

 ネット系記事に批判が少ない理由です。そこには「広告主」への忖度もあります。

 こうしたカラクリを知らないと記事に騙されます。それはネットだけではなくリアルの記事も同じ。芸能から政治、ときに科学でも。

 そして最新が「AI」。

 AIが普及すると仕事がなくなる。というのはその代表例。

 マスコミのビジネスモデルの1つは、水子供養と同じ「恐怖産業」です。命に恵まれなかった水子を供養することは、そもそもその家族の内心の話しにすぎないものが、回忌毎の参拝だとか儀式を求め、家勢が衰えるとかまで言い出すのは「脅し」です。

 科学的に考えれば、医療が未発達だった時代の水子は多く、それへのケアが不十分で、家系が不幸になるのであれば、人類はとっくの昔に滅んでいるはずです。

 それでも不安に感じるのが人間というもので、ある種「ゆたか」になった証拠でもあります。喰うことに困る日々なら、第一に来る不安は「飯」だからです。つまり、水子ビジネスの正反対の状況にあるとき、彼らのビジネスが成り立っている、というコントのような自己矛盾が横行しています。

 同様に「AIが仕事を奪う」についても、ある程度の立場がアリ、日々の仕事がある人だけが「不安」を覚えて飛びつきます。雑誌を買い、サイトにアクセスし、知ることにより不安を払拭しようとします。いま、仕事がない人はAIどころではありません。

 それを当て込み「AI様がおまえらの仕事を奪うぞ」と、いうなればメルマガよろしく

「人間はオワコン」

 と煽っているのが

「AI脅威論」

 です。金儲けは素敵なことですが、こうして手口だからあえていいます。「うす汚い拝金主義者」が脅威論を拡散しています。

 確かにAIが普及することで失われる仕事はあるでしょう。
 自動車の普及により、飛脚も籠かきも馬車も事実上、姿を消しましたあ。一方で佐川急便のドライバーや、タクシードライバー、バスの運転手という仕事が生まれています。

 AIは自動車やプライスドライバーと同じ、道具に過ぎません。

 新しく便利な道具が生まれ、それが普及したとき、その道具を利用した新たな仕事が生まれる、これが人類の歴史です。AIだけがここから外れるとはオカルトに過ぎます。

 また、AIが人類を支配する的なはなしもオカルトです。

 繰り返しますがAIは道具にすぎません。道具は人間に便利を提供します。裏返せば、便利を提供しない道具に需要はありません。需要がなければ開発費すら捻出できません。つまり、開発されるAIは、人類に役立つ道具に必ずなるということです。

 メルマガがいまも役立つ道具であるように、AIも役立つ道具として社会に、すでに溶け込み、これからもより「便利」を提供していくことでしょう。

 メルマガオワコン説と、AI脅威論の根っこは同じ。小学生のタワゴトと拝金主義者の脅しです。

 分解すれば「タワゴト」レベルなのですが、残念ながら既存メディアの多くが、このテンプレを多用しており、この構図を知らない無垢なる国民は、いまこの瞬間も騙されています。

 メルマガも永遠に続くとはいいません。それは人類ですら永遠の存在かわからないのと同じです。一方で、ある日突然、メルマガが消えてなくなる、とは、ある日突然人類が死滅するという中二レベルの安い小説的妄想です。

 もちろん、シェアや影響力の変動は起こりますし、おこっていますが、ゼロかイチ、オンとオフ、善と悪のはなしではありません。

 そして大切なことなので繰り返します。AI脅威論に代表される「ゼロかイチ」の主張も小学生のタワゴトです。

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