強すぎる自民党の「ゆりかご」はワイドショー

 テレビがつまらなくなったといわれて久しく、ネット界隈では「オワコン=終わったコンテンツ」といわれております。

 もっともこのクールでいえば宮藤官九郎脚本による『ゴメンね青春』、綾瀬はるか主演『きょうは会社を休みます』など、楽しみにしているドラマはあり、全部を否定するつもりはなく、それをすることは、在特会における韓国人を十把一絡げにした罵倒と同じで、保守と右翼の区別もせずに侮蔑する、日本型リベラルに堕してしまいます。

 テレビ離れの歴史は古く、あの「バブル景気」の頃には既に話題になっていました。当時の理由はふたつ。「ファミコン」と「レンタルビデオ」です。

 どちらともテレビ画面と、視聴者の時間を奪い、いわゆる「テレビ離れ」を起こしたというものです。昭和天皇が崩御されたとき、すべてのテレビ局が緊急特番を放送しつづけたことにより、レンタルビデオ店の棚から、ソフトが消えたことは、テレビ(放送)の代替として浸透ぶりがみてとれました。

 流れは止まることなく、インターネットの普及が追い打ちをかけましたが、普及しきった現在、ネタの供給源としての「テレビ」のプレゼンスは大きくなっており、テレビがネット化するより、ネットにコンテンツを提供し、収益を得るビジネスモデルを確立するほうが賢明な気がしますが、放送電波という限られた資源による独占ビジネスの彼らは、「囲い込み」の発想から離れることはできないようです。

 それはNHKを筆頭に、テレビ局がネット放送=ネット化に懸命になっているからです。しかし、寂しがり屋の人類は、とりわけ横並びを愛する日本人にとって、テレビの特徴である「一斉配信」が持つアドバンテージを理解していない愚行です。

 ケーブルテレビや衛星放送、そこにネット配信が加わったいまだに、ワールドカップやバスジャック事件の実況中継でもなんでもない通常放送の番組が、20%を越えている事実が雄弁に物語ります。

 だからとテレビがつまらなくなったという主張を否定するものではありません。私の解釈では「テレビは愚かになった」ですが。

 テレビはつくづく愚かになりました。バラエティ番組における芸人などの行動を指す「くだらない」という意味ではありません。ストレートな言葉を使えば「バカ」になったということです。

 私の好きな格言です。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 ドイツ帝国の宰相 ビスマルクによると言われており、竹下登元首相が座右の銘にしたとはウィキペディア情報。

 特に「ワイドショー」は経験からも学ばないのですから、愚者にすら及ばない哀れな人々です。その人々が1時間ないし2時間も登場してしゃべり続けるのですから、まともな神経を持っている視聴者ならギブアップをしても仕方がないでしょう。

 そして多くの善良なる日本人は、侮蔑用語を駆使することが苦手ですし、心を鬼にして苦言を呈すほどテレビへの愛情もなく、そこで「つまらなくなった」とお茶を濁している、これが「テレビ=つまらない」論の素地でしょう。

 ちなみに、この点において異彩を放つのが「橋下徹」氏で、よくもあれだけ自分の言葉を棚に上げ、他人を挑発し、侮蔑できるものだと呆れ、これが「大阪の地盤沈下」の理由のひとつではないかと。

 なぜなら、橋下徹と維新の会に議席を与えているのは、大阪の皆さんで、彼を是とする心根から想像して、そんな人を自分の部下には欲しくありません。かくして企業は、大阪を離れ、東京や横浜あたりに本社を移転させているのではないかと。推測に過ぎませんが。

 歴史に学ぶ賢者であれば、集団的自衛権と特定秘密保護法の必要性をすんなりと理解できます。運用を巡る是々非々はあって然るべきですが、頭ごなしの否定や、毎日新聞の岸井成格氏のような「廃案」を求めるなど愚の骨頂ですが、愚者ならば仕方がありません。

 彼の年齢からいって、戦争を「経験」していないので、戦争を回避するためには、交渉に挑む背景としての軍事力と、交渉を有利にするための情報戦の重要さを学んでいないということです。

 奇しくも選挙期間も折り返しとなった、一昨日の12月8日は日米開戦の火ぶたを切った真珠湾攻撃の日で、集団的自衛権ができたことにより、日本は戦争をする国になったとする論拠を、歴史を鑑み語れるものなら語って欲しいところですが、日本が戦端を開いたのは、開くしか道がなかったからで、まさに自民党が今般の選挙で掲げる

「この道しかない」

 という状況下にアリ、安倍=ヒトラーといわんが勢いの左系コメンテーターは、これを奇貨に騒ぎ立てれば良いのですが、彼らは歴史に学ぶことができず、アンチ自民と護憲という経験からしか行動ができていません。どんな暴論が飛び出すか楽しみにしていたのですが。

 もっとも、歴史に学べば、大東亜戦争とは「自衛のための戦争」だったことは明らかで、マッカーサーも認めております。集団的自衛権など、その文言に「自衛」が含まれるように、戦争を求めるものでないことは自明ですが、愚者だから以下同文。

 外交や軍事は苦手という日本人は少なくありません。ワイドショーで珍説を開陳するコメンテーターも同じとすれば、そもそも集団的自衛権や特定秘密保護法は、小学生に微分積分を解かせるか如く・・・とは、昨日草稿。

 世田谷区の小学1年、高橋洋翔君が、高校2年程度の「微分係数と導関数」「不定積分と定積分」を解いて、数学検定2級に合格したと発表されたので、以下、訂正。

 ワイドショーのコメンテーターにとっての集団的自衛権は、女性を口説いたことも、口説かれたこともない男性による「恋愛論」と同じ。荷が重すぎたテーマだったことでしょう。つまり、そもそも語る資格はありません。

 より身近なことでも同じです。

 この週末、徳島を豪雪が襲いました。それによって生まれた孤立地帯をワイドショーが嘆きます。

 この地域では「IP電話」が普及しており、豪雪により停電となり、電気が通じなくなれば、インターネット回線を利用する「IP電話」は使用できなくなります。その結果、連絡手段を失った世帯が、孤独な夜を過ごしている・・・などなど。

 これを「事件」とし、IP電話の「死角」を大仰に騒ぎます。元国会議員の三宅雪子も悲壮感漂う筆致でツイートしていましたが、あの悲壮感は選挙の情勢によるものかも知れません。

 IP電話が災害に弱いことは、「東日本大震災」において、首都圏近郊の多くで「経験」したことです。「計画停電」です。

 電気が強制的に止められる「計画停電」が実施されると、信号機は消え、冷蔵庫は止まります。一部のコンビニのレジには、予備電源が内蔵されているものがあり、それを使って営業している強者もいましたが、エアコンからはそよ風も吹きません。

 携帯電話は使えますが、自宅の電話がIP仕様になっていれば、停電中は使えませんし、またネットの接続拠点が、停電しているときも使用できなくなります。電力供給が再開され、ホッとしながらパソコンを立ち上げると、接続先が停電対象地域となっており、都合「2区画分(約4時間)」、ネットから断絶したのは「計画停電」での経験です。

 夏の計画停電が噂され、原発が再稼働しないことによるブラックアウト(大規模停電)が話題になったとき、こうした警告を発してきたのは「ワイドショー」です。

 彼らは自らの言葉すら忘れてしまいます。経験から学ぶどころのレベルではありません。

「停電時に通じるのは固定電話だけ」

 と自慢げに語ったのは昨日(2014年12月9日)のテレビ朝日「モーニングバード」における「ジャーナリスト」の岩上安見氏。しかし、これは正確な表現ではありません。正しくは

「銅線(メタル回線)の固定電話だけ」

 です。「サザエさん」の家にある黒電話のように、電源不要で受発信できる電話機だけの特典です。

 ざっくりといえば、この手の電話は「銅線(電線)」で、NTTの基地局と直接繋がっており、基地局の電力を利用して通話ができるのです。基地局は数十時間から数日間は持ちこたえられるバックアップ電源を持っているので、地域全体が停電しても対応できます。

 ちなみにモジュラージャックに接続するタイプでも、「子機」しかないものは、家庭内の「電気」を必要とするので、停電時は利用できませんが、「親機」は無通電(電気がない状態)でも使用できる機種があります。このタイプの電話機をお持ちなら、なにもない平時に、電源アダプタを抜いた状態で、通話ができるか試しておくと良いでしょう。

 一方でいま、NTTは品質向上という名目で、実際は経営合理化により光回線による、固定電話のIP化を進めています。そしていずれかの段階で、メタル回線を廃止する方針を発表しております。つまり、停電時の脆弱性は、増すことはあっても減ることはありません。

 先の岩上安見氏は、メタル回線に戻すことも選択肢として紹介していましたが、地域一帯で「光回線化」していれば、メタル回線は数少なく、必ずしも実現できる保障はありません。

 専門分野ではないようなので致し方ない・・・というか、専門分野でないなら語らない方がエレガント、という価値観を持っていれば、ワイドショーのコメンテーターなどできはしないのでしょう。

 NTTはなぜ、メタルを廃して光に切り替えるのか。単純に効率が良いからです。物理的なサイズは「電線」ですが、そこに流せる情報量が雲泥の差。

 社会インフラとして、効率よりも安心感を提供しろ、という声も聞こえてきますが、その為の費用は利用者にのしかかり、電電公社時代からの高コスト体質を批判されるのは、NTTにとっても楽しいモノではありません。

 ましてやKDDIやソフトバンク、どころか子会社のドコモとすら競合する時代に、高コストは競争力を鈍化させる足枷です。

 徳島の停電による「孤立」を「社会問題」と捉えるなら、その「社会」を定義しなければなりません。「基準はなにか?」です。

 同番組で珍説を語るに定評が高い高木美保氏は、徳島の集落のために電柱を2本立てるといった、バックアップ体制を提案していました。

 寒村に2系統の電源を引くコストは膨大です。バックアップというのなら、2本の電線ではダメで、2系統が必要です。

 平地の公有地に電柱を立てるだけでも、べらぼうなコストがかかるのに、山間を切り開き、土地所有者の権利関係を解決しながら、わずか1件のために、2系統の電源を引く・・・引くわっ!

 さらにこの番組・・・に限らず、基本的にワイドショーは脱原発に傾斜しています。

 ならば経験からでも学べる愚者でも、

「太陽光発電は無理」

 と気がつくことでしょう。徳島を襲ったのは「豪雪」で、降雪時に太陽光は発電できず、太陽光パネルを豪雪が覆えば、その後晴れても発電できません。

 蓄電装置をつけることで、日中以外の対応力を高めることはできますが、パネルの雪かきは人力。両面パネル型の場合、照り返しで発電ができ、そのときの発熱で融雪効果が高まるという報告もありますが、太陽光「だけ」というのは、バックアップ以前の話しです。

 だからと「原発再稼働」という結論をだせと言っているのではありません。こうした状況下でも、原発不用の方法論を提示することこそ、良識ある大人の態度ではないかということです。そしてそれこそが「脱原発」に弾みをつけることになるんじゃないかなぁと。

 また、ゲリラ豪雨、メガ台風などのたびに「異常気象」と断じ、猛暑はもちろん、厳冬や豪雪の理由も

「地球温暖化」

 に求めます。ならば、化石燃料による発電は御法度。そして太陽光だけでは無理。さらに「脱原発」。

 すると大人の良識からだす結論はこうなります。

「我慢」

 IP電話が通じないぐらい小さな問題です。電気が作れないのですから足りないのですから。

 スマホの電波がときどき通じなくても、突然停電になっても、山手線は内回り10本に対して、外回りを1本に減便しても、テレビ放送などは、在京キー局で言えば、

NHK、日テレ、TBS、テレ朝、テレビ東京、フジテレビ

 の6局もあり、東京MXを加えれば7局で

「日替わり放送」

 すればよいのです。教育テレビ(現在はEテレ)など、オンデマンドのネット配信のほうが需要の高まりが期待できますし、そもそも「教育」を冠したチャンネルで、バラエティ番組まで流すのは電波の無駄遣いです。

 もちろん、今年も各所で行われているイルミネーションも中止ではなく禁止です。法律に明記します。

 LEDを使ったイルミネーションは省電力だから。

 寝言は寝ているときに言いなさい。少なくても電気を使っているのです。使わなければゼロ。脱原発の即時実現とは、みんなでかなり多くの不便を甘受するということ。

 ・・・という至極真っ当な発言をテレビが取り上げることはなくなりました。

 ワイドショーのコメンテーターを取り上げたのは、フラグシップモデルと名付けて良いほどの奇矯さだからですが、大なり小なりでテレビ全般に言えることです。

 社会の基準を「都会」と同レベルに考えるなら、高木美保氏の「珍説」にも多少の説得力がでることでしょう。即時の脱原発にしても、国民全てが、不便を甘受するならば実現可能性が相当高まります。

 電話料金が高騰、高止まりしてもNTTを利用し続けるなら、メタル回線は未来永劫存在し続け、災害時のインフラとして機能することでしょうが、安い回線を正しいと考える消費者基準なら、馬鹿げた話しと鼻で笑われます。

 そして大半の社会的な問題はすでに経験済みのはずが、ゲリラ豪雨に憤り、豪雪に嘆き、自民党大勝を唾棄します。

 すでに経験していることすら何一つ学んでいないテレビとは、愚者未満なのです。

 私たちはバカです。何も学んでいません。これからも向上することはありません。

 そう告白するかの如く、珍説を開陳し続けるワイドショーを「面白い」と思う人はいません。テレビが「つまらなくなった」理由です。

 さらに残念ながら経験にすら学べない愚者未満の連中は選挙のたびに現れます。公平を建前とするテレビ等電波メディアでは、奥歯にものを挟みながら、ネットでは直接的な表現で、

「自民党以外への投票」

 を呼びかけています。

 愚の骨頂です。この「非自民=正義」の馬鹿げた主張こそが、

「民主党政権」

 を生み出し、その民主党政権こそが

「強すぎる自民党のゆりかご」

 になったことを、何ひとつ学んでいません。愚かを通り越して醜悪です。もちろん、コメンテーターらも同じ。

 そのなかでも醜悪の代表が民主党と不愉快な野合、もとい野党達。

 早く解党して消失して欲しいと願う民主党ですが、仮に解散が決まった時点で

「国民のみなさま、本当に申し訳ありません。
 強すぎる自民党を生み出してしまったのは我々民主党です。
 その反省に立ち、また強すぎる自民党を生み出した責任を取るためにも、いま一度私たちにチャンスを与えてはいただけないでしょうか!」

 などと、率直に反省を表明していれば「潮目」の変化も期待できたでしょうに。ま、これは慶事。

 野党のなかでも、「次世代の党」の名前はともかく、共産党のカウンターパーティーとして、自民党への右のアンカーとしての成長することを期待していたのですが・・・私の入手した情報によればかなり厳しいとのことです。

 でこの独自情報、今朝の新聞にも書いてありました。

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