三浦瑠麗氏「スリーパーセル」発言批判にみつける目論見

 国際政治学者の三浦瑠璃氏が絶賛炎上中です。

 大人の学級崩壊を楽しむという悪趣味なテレビ朝日の「朝まで生テレビ」や、漫才コンビ「ダウンタウン」の松本人志がMCを務め、出演者の直言がたびたび物議を醸すフジテレビ「ワイドナショー」に登場しています。

 ある主婦曰く「壇蜜? あ、違う、誰?」といった感じの、落ち着いた雰囲気の女性と言っておきます。

 きっかけは「ワイドナショー」で、平壌五輪・・・間違えました平昌五輪が、北朝鮮を主人公とした政治ショーになっているという話題の中で、三浦氏は北の三代目が消されるようなことがあれば、ソウルや東京、そして大阪に潜伏する北朝鮮のテロリストが活動すると指摘します。

 このテロリストを「スリーパーセル」と紹介し、とりわけ「大阪」がヤバイと。スリーパーセルとは、日頃は一般人を装いながら、有事となれば活動する人を指すようです。

この発言が批判されております。

 驚いたのが、大阪かどうかはともかく、この手の話しはかねてより噂も含めて数多く、特段、珍しい話しではないからです。だって、日本はスパイ天国ですから。

 右派や保守は、良識派からも批判の声はありますが、それをザックリとまとめれば

「具体例を示さず地域名を出すのは軽率」

 といった表現についてといったところでしょうか。だから、こちらは炎上というより、苦言の範疇です。

 対して左派やパヨチン界隈からは、発言そのものを完全否定し、誹謗中傷からの侮蔑はいつものことながら、これまたいつものことながら「差別だ」と声を荒らげます。

 例えば北朝鮮と名を出したことで、在日に対する偏見が生まれるや、テロリストも以下同文、大阪という地名を挙げたことで大阪差別というものもありました。お馴染みの「ヘイト」も確認。果てはイスラエルの軋轢や、欧州におけるイスラム教徒への風当たりをあげることも。

 確かに論拠を示さずに危機を煽る手口はいかがかと思いますが、でもワイドショー、バラエティ番組、もっといえれば「テレビ」でそれを批判するのは鼻白みます。

 そんなことを言い出せば、「安倍のバーカ」という政治芸人(なぜかコメンテーターやジャーナリストと紹介されます)らの妄想芸はすべてアウトでしょうに。

 政治家への批判だという反論も可能ですが、一方で「選挙結果」に異議を唱えることも多く、それはその民意を下した地域への批判で、地域をDisっている点では同じです。

 我が街、足立区がどれだけ「貧困」でDisられた・・・いや、今もまだ、バラエティ番組では他の地域なら問題になるレベルの悪罵が投げつけられています。

 三浦瑠璃氏の発言に話を戻せば、スリーパーセルといった耳慣れない言葉や、テロリストという刺激的な言葉により、与える印象は決して良いものではありません。だから不安を煽る狙いだったと受けとられかねません。

 しかし、これが差別につながるか、といえば私はそう考えませんし、三浦氏も「ハフィントン・ポスト」の取材に以下のように反論しています。

《在日コリアンに対する差別や偏見を助長するというTwitterの反応についても、私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います》

 我が街、足立区には「コリアンタウン」と地元民が勝手に呼んでいるエリアがあり、東京朝鮮第四初中級学校があることもあってか、在日や、半島にルーツを持つ同級生や友人は珍しくなく、だからか彼らへの特別な意識はありません。

 通名を使っていた同級生が、ある日「実は」と本名と本籍を明かしたときも、「で、これからなんて呼べば良い?」と訊ね、いままで通りとの結論で落着したものです。

 こればかりは個人差があるので、もちろん全員ではありませんが、少なくとも私や、私の友人らが、三浦氏の発言を受けて、「そういう見方」をすることはないでしょう。

 一方、三浦瑠璃氏の発言を不満に思うのは、スリーパーセルやテロリストではなく、「工作員」という単語を用いれば、よりそこにある危機が伝わったということです。

 スリーパーセルのような耳慣れない語句は、その他の印象深い言葉のそばに置くことで、漠然としたイメージを与えることに成功します。広告やアジテーションで多用される手口です。

 今回で言えば「テロリスト」。すると、日本人の危機意識に、いまだ国内テロは定着しておらず、ぼんやりとした「なんか、三浦さんが怖い話ししてはったで」ぐらいで終わってしまいます。

 しかし「工作員」なら、すでに日本には多くの工作員が、洋の東西を問わず入ってきているとされ、昨年から流れ着く「謎の漂着船」にもこの疑惑があります。

 と、いうより、日本に入り込んだ北朝鮮の工作員が、我が同胞の拉致をしたのです。

 工作員といって足立区在住の私が思い出すのは「西新井事件」。
 ザックリとまとめれば、密入国した工作員が、日本人になりすまし、免許証やパスポートを作り、それを使った各種工作活動をして、蓮池ご夫妻の拉致にも使われたと言われています。

 その他にも同じ地名を冠する「西新井病院」が、工作活動の拠点になっていたとかいないとか。

 つまり、スリーパーセルと呼ぶか工作員と呼ぶかの違いはあっても、実際問題、工作員は我が国、同胞を傷つけているのは事実です。

 むろん、善良なる日本人として暮らす、朝鮮にルーツを持つ隣人もいれば、外国籍でも価値観を共有する友人だっているので、○○人だから××だというのは、愚かな思考停止に過ぎず論外です。

 これを大前提とした上で、三浦瑠璃氏の発言に分け入り批判するのではなく、発言そのものを撤回させ謝罪させようという立場の人に、むしろ思惑を見つけてしまいます。

 過去に工作員はいたが、いまはいない。確かにそう信じる人がいても仕方がないのは、先の西新井病院にせよ、西新井地域にせよ、そこらの住民に尋ねても、そんな事件も影も気づかず、そもそも工作活動とは、我々一般人に知られぬように行うもので、その現実からみたとき「スリーパーセル」との表現はなかなか的を射ています。

 ただし、定期的に公安は、不正輸出や金融がらみで「関係者」を摘発しており、「いまはいない」と信じることは困難です。

 一方、「昔から工作員などいない」と、日本人に思い込まされるのは立派な工作活動です。差別だと、ポリコレ的ジャスティス(絶対無謬で反論を許さない正義、って意味のミヤワキの造語)を振りかざし言論を封じ、過去を塗り替えることは、「慰安婦」を女性の人権問題にすり替える手口にそっくりです。

 もちろん、批判も言論の一部なので、批判そのものはあってしかるべきなのですが、なぜか、パヨチン側、あるいはシンパシーを隠しもしない勢力に偏っていることが気になります。

 工作の舞台になったとされる西新井病院は、救急指定されており、私の姉も妹も、交通事故で搬送されております。

 姉は一週間の昏睡状態で、生死も定かでないなか、私の記憶が確かなら半島出身の「金先生」が主治医となり、姉は元気に退院するまで回復しました。

 何が言いたいかというと、いわゆる「いわく」があったとしても、その全てが怪しいなどあり得ず、冷静な目で相手に接し、その上で判断すべきだということです。

 その上で工作員は入り込んでいることは常に意識すべきと考えます。なぜなら、スリーパーセルの怖さについて、我々はすでに知っています。いま平昌五輪が開催されていますが、2008年の北京五輪の「聖火リレー」。

 長野五輪の開催地で行われた聖火リレー。チベットをはじめとする中国による人権蹂躙への抗議の機運もあり、厳戒態勢のなか行われたのですが、その抗議に抗議する、今風にいうなら「カウンター」のために、在日中国人留学生組織「学友会」が約2,000人の留学生を動員すると噂されました。

 蓋を開けるとその倍の4千人の中国人があつまり、沿道を埋め尽くし、そこでは数多くの暴力事案が確認されています。一説によると時の総理大臣、福田康夫氏が「中国人は逮捕するな」と指示があったされますが、当時はワイドショー番組でも報じられたので記憶に残っている人も多いことでしょう。

 例えば「中日友好祭り」に4千人の学生が集まったのなら、微笑ましい話しです。しかし、これは中国によるチベット弾圧への抗議へのカウンターです。

 一般的な感覚でみれば、留学生はそれぞれの思いや夢をもって、異国で学び、郷土の誇り、祖国への忠誠心があったとしても、わざわざ地方都市まで足を運び、さらには暴力的な、はっきりといえば、留学先の法律を破ることも躊躇しないことに恐怖しかみつかりません。

 さらに2010年に施行された中国の「国防動員法」もあります。中国国外に居住していても、中国人なら有事の際に中国政府の命令に従わなければならないというもの。

 仮に在日中国人が、すべて中国政府の命令に従うとすれば、膨大な数のスリーパーセルがいるということになります。

 もちろんあくまで可能性の話しで、大切なことなので繰り返しておきますが、○○人だから××は論外。

 さらに、○○人ほにゃららが論外であるのは、工作員は誰もがジェームズボンドではなく、自爆テロの実行犯ではありません。これまた歴史を紐解けば、「ゾルゲ事件」の尾崎秀実のように、対象国から協力者をリクルートして仕立て上げるほうが、より深刻なダメージを与えることができます。

 むしろ「○○人」で思考停止することで、工作員に籠絡され、協力者となった「日本人工作員」を見逃すリスクが高まります。

 工作員には様々なレベルがあり、直接の破壊活動を行うものから、敵国世論を誘導するエージェントもいて、この視点に立てば、日本が不利になる発言ばかりするテレビコメンテーターや、新聞社には相当、スリーパーセルが潜り込んでいる、その可能性は否定しきれないでしょう。

 だから今回、「三浦スリーパーセル発言」を全否定し、完全封殺を目論む人には「要経過観察」とみるべきでしょう。三浦氏自身が反論したように、彼女の発言そのものは、特定の人種をさしていません。

 言葉遣いや表現の稚拙さはともかく、三浦瑠璃氏の発言は、歴史的に見て荒唐無稽ではありません。むしろ、啓発することで、なにより我が同胞を守り、そして知ることで、他国民への理解を深めることができる、きっかけにして欲しいなぁと考えます。

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■三浦瑠麗氏「スリーパーセル」発言批判にみつける目論見

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