無能政府を選んだ反省がない

 無策・・・と誤報を流し続けたことを陳謝いたします。
 正しくは「無能」でした。

 能力がないものに能力を求めるのは、三歳児に解の三角関数を
解かせ、80歳のご老人に100mを11秒台で走れと望むような
ものでした。

 報道では原発事故が「レベルセブン」になったと大騒ぎしています。

 我が町足立区の水道水から乳児の飲用を控えるレベルの放射能が
検出され、「水」が市場から姿を消しました。わたしは地震当日
の夕方、水と小麦粉を非常用に購入しておりました。缶詰や乾麺など
は日頃から2週間ぐらいは堪えられる備蓄をしているのですが、
たまたま水と小麦粉を切らしており、ついでに塩と砂糖を購入しま
した。

 塩と砂糖は究極のサバイバル状態に備えてのことで、小麦粉が
あればパン(っぽいもの)でも麺(のようなもの)作ることができ
日持ちもするので非常時の備えにオススメしています。

 被災直後は乾パンなど手軽に食べられるものが最適でも、しばし
落ち着いた時に、食事作りで手を動かせば気が紛れるのではという
メンタルケアの意味からもです。

 そんなわけでパニックになる前に買いおきしていたお水は
乳児のいるお客さんにプレゼントしました。大人は大丈夫という
政府発表を信じてのことです。

 この時、わが家での不謹慎な会話を紹介します。

「お、今日のお茶は放射能の香りがいいねぇ」
「なるほど、隠し味は放射能だね」

 非常時にも洒落を楽しむ、いや非常時を洒落で楽しむ心を忘れ
たくないものです。風評被害で苦しむ方がいるのにと・・・と噛
みつく方もいるでしょうが、わが家の「家族の食卓」にまで
言論規制をかける権利は何人ももちませんし、15歳の粗忽な甥
にはこう念を押します。

「野暮は承知で言うけど洒落だぜ。外では使うなよ」

 不謹慎な会話には前段があり、風評のさなか、茨城県産の野菜を
ならべての食卓でのこと。叩いた軽口と同じ口で、ホウレンソウを
食べます。

 水をあげたお客さんは何度もお礼を繰り返した後、こう尋ねます。

「不安じゃないですか?」

 私はこう答えます。

「政府を信じるしか方法はないでしょう」

 ちなみにこのお客は民主党支持者で、わたしは消去法的自民党
支持者。

 震災、原発と不手際が続く無能政府でも、我々日本国民が選んだ
のが民主党であり菅直人総理大臣です。

 発表も対策も後手後手に回り、小出しされる情報から日本国のみ
ならず世界中から信頼を失いつつある菅直人&民主党政権を選らん
だのは我々です。しつこいようですが私は日教組と一体化している
民主党には死ぬまで票を投じませんが、それでも「民意」が選んだ
のが現政権で、それが日本国の信頼を失ったとしても、国民の意思
であり、この期に及んでも政権の延命しか頭にない菅直人に総理の
イスを与えているのも我々国民なのです。

 ここをはき違えてはいけません。いまの「失政」はぐるっと時計の
針を戻せば、我々国民が選んだのです。

 その理由をひと言で総括するならこうでしょうか。

「自民党以外の政党にいちどやらせてみたかった」

 その後の大連立や、政界再編などの「ストーリー」もあったで
しょうが、つきつめればこのひと言でしょう。

 しかし、明確なビジョンや理念、あるいは目標や理想があって
票を投じた人は少なかったのではないでしょうか。あるいは子供
手当のように貰えるものは欲しいけど、大丈夫かなぁと疑いなが
らも「とりあえず」で票を投じてはいなかったでしょうか。

 ひとは過ちを犯すものです。「考えようよ」を執筆の基本として
いる本稿で「過ち」とするのは、いささか不適切ですが、民主党
政権に失望したのなら、それを過ちと認めない限り、次の一歩は
踏み出せません。

 いや、政権交代は正しかった、しかし、諸処の方法論で間違えた
だけだという思うのなら、それもありですが、間違えた方法論に
ついて議論を深めなければなりません。

 と、ここまでがいつも通りの「長い前置き」です。

 本題は「都知事選」。石原慎太郎さんの出馬で結論が出たと
された選挙でしたが、わたしはがっかりした結果となりました。

 こんかいの面子を見る限り石原都知事しか考えようがなかった
のですが、あのお笑い芸人が169万票とったことにがっかり
したのです。

 前宮崎県知事時代、わたしは極力発言を控えていました。

 自民党への色気をみせ、テレビに出ずっぱりで、いまだに
三流芸人の片鱗を隠そうともしない「そのまんま東」こと
「東国原英夫」氏を宮崎県民が選んだ以上、他県民(都民ですが)
である以上、一定の敬意を払うべきだと考えたからです。

 それは芸人へではなく、すべての宮崎県民に対して。

 ただし、こんかい、都知事という我らの庭に上がり込んできた
以上は当事者として述べます。

 東国原氏への評価を短くまとめるとこうです。

「芸人にしては政治を語れ、政治家にしては笑いものとれる」

 テレビサイズとして使いやすい「タレント」で、その立場を
利用して宮崎県をアピールした功績は認めますが、東京都が
アピールを必要とするのは「海外」で、国内で放送される
バラエティ番組ではありませんし、海外向けにしてはスネに傷が
ありすぎます。

 また、我らが都知事が足立区の星、ビートたけしをいまだに
師匠と呼び、へつらうシーンなどみたくありません。

 そしてマニフェストを見ると総花的で、もっといえば石原
都政との違いは、間違い探しのようでした。

 だいいち、締め切り二日前の出馬をわたしこうみました。

「このまま不出馬だと国民に忘れられる。
 顔を売っておかなければ」

 自己宣伝です。舐められたものです。そして169万票を
ゲットしました。これが彼を評価する「基礎票」となります。
あの蓮舫(敬称は必要でしょうか?)が171万票とほぼ
互角です。

 ご本人が言う

「負けたけど得るものがあった」

 とはこの得票数です。

 すると自民党あたりから東京のどこかの選挙区から出馬して
くる可能性もでてきて、溜息が深まります。政治的野心や
権力欲を否定しませんが、野心と欲しかない芸人を自民党が
立候補者に擁立した時に、日本の本当のメルトダウンは
おこります。

 東国原氏に投票した人の何割りがマニフェストを読んだの
でしょうか。

 そしてある統計に20代では芸人が都知事を差し置いて
1位の得票だったといいます。かつて「内田裕也」に投じた
過去を披瀝した上で、あえていいます。

「ちゃんと考えて投票しようね。過去は取り消せませんよ」

 若さと馬鹿さは語感も意味も似ています。

 問題はこちらです。民主党支持者のなかでもっとも多く
票が投じられたのが東国原氏だと読売新聞が報じました。

 明確な政治的共感や、ビジョンへによせる思いがあって
投票したことを信じています。

 しかし、これが「なんとなく」という雰囲気だとしたら
無能政府を選んだ反省がないのでしょうか。

 我々でリーダーを選んだ以上、決定には従うのが民主主義に
参加する上でのルールです。どうしても従えないのなら、
デモ行進をして、リコール運動を展開すべきでしょう。

 あるいはすべての選挙で真剣に票を投じる。

 私は私にできる最善をしたうえで、消去法的に支持している
自民党が敗北して民主党政府となりました。それが決定であるか
ら従っているだけで、原発についてもほとんど信用していま
せん。特に卑怯者の菅直人は論外としても、質問に的確に答え
ない枝野氏の発言を信じるほど、初なネンネじゃありません。

 しかし、民主主義の参加者として

「騙されたふり」

 をしているだけのことです。いたずらに不安を煽って
救われる人がいない今の状況では。

 統一地方選挙の後半戦は間もなく。

 私の楽しみはすべての民主党系立候補者が落選しても、
首相のイスにしがみつく菅直人の卑怯ぶりを拝むことです。

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