人間への洞察も現実への考察も足りない

 人間への洞察が足りない。

鳩山政権というより数年前に暫定的民主党支持に見切りをつけた
理由のひとつでもあるのですが、もともとは野党時代の前原さんや
岡田さん、あるいはリアルお坊ちゃまくん鳩山にカイワレ管ちゃん
などの面構えが

「学級委員長によくいるタイプ」

で、垣間見えるひ弱さと臆面もなくはき出す理想論に不安を覚え
たのです。野田佳彦さんも同様です。

私が会社員なら昨年の衆院議員選挙まで「暫定民主党支持」だった
かもしれません。

しかし、平成13年(西暦2001年)に独立して社会の現実と
否応なしに対峙してみると、世の中では学級会の理屈は通じないと
知ります。

嘘つきが金を稼ぎ、裏切りは裏切られるものが悪く、損して得が
取れることは希です。悪人ばかりの世の中というよりは、学校で
教わった「個人の権利」を前面にだした故の帰結であることが絶望
を深めます。

今回の本題からずれるので掘り下げませんが、「利害」が絡むと
社会は残酷です。

「現実社会」について事例を紹介します。

「コンクリートから人へ」

というかけ声にやんや喝采があがり、これを否定する人は希です。

しかし、日本全国「公共事業」によりお金が社会に還元されてい
た事実はどこへいくのでしょうか。昨年取材で訪れた久米島では

「シモジミキオ」

というポスターが洗脳するかのように張り巡らされている脇で
道路工事が行われていました。一時、米軍の移転候補地に取り上げ
られた下地島は伊良部島に隣接し、ここでも工事中の道路を探すのは
容易です。もちろん、同じ市内となる宮古島でも状況は同じ。

語弊を怖れずに踏み込んで発言しますが

「公共事業は産業」

なのです。沖縄の話しだけではなく、地元東京都足立区でも似た
事情は沢山あります。しかもそれはピラミッド構造となり社会に
組み込まれています。

道路工事をします。ドライバーとしてみれば、きれいな道路を
掘り返して迷惑なと毒づきたくもなりますが、道路工事会社とその
従業員の懐が潤うと考えると、鳴らすクラクションも1秒ほど短く
なります。

道路工事にはアスファルト切断用のカッターが使われ、カッター
は消耗品で、工具屋さんが潤うのでクラクションはさらに1秒
カット。作業着も消耗品で汗にまみれた作業で擦り切れますし、
現場周辺の飲食店は工事期間中はちょっとした「特需」に湧き、
納めている肉屋に八百屋、魚屋、米屋にもおこぼれがあるとも
なれば、もうクラクションから手が離れています。

コンクリートもアスファルトも同じです。

一方、「人」への直接支給でそれを社会のためにと使う人が
どれだけいるでしょうか。自分が得た「権利」を他人のために施す
ように教育を受けた、あるいはそれが道徳であり常識であると
疑問もなく行動できる人が、現代日本に何人いるか。

さて、公共事業は悪でしょうか。

「人間」という現実を眺めれば、どちらが「マシ」かという議論が
必要なのです。

もちろん「無駄」は省くに越したことはなく「事業仕分け」など
は当然に属する政治の仕事でしょう。ところで、

「事業仕分け第二弾の後半戦」

という名前もふざけているというか人気取りの影が見えるのです
が、それはさておき、傍聴人の「ヤジ」や「かけ声」ってありなの
でしょうか。この

「事業仕分け第二弾の後半戦」

とやらが公の取り組みであるならば、観戦ルール・・・もとい
傍聴ルールをやぶった輩はつまみだすべきではないでしょうか。

各種報道で取り上げられていましたが、

「宝くじ廃止」

もそう。結局、所管大臣によって翻されましたが、廃止判定を
下した寺田学衆院議員(もちろん民主党)はこういいました。

「あれより弱いものを出せば、傍聴者の反発は強かっただろう」

へぇ、仕分け判定は傍聴者の声が反映されるんだ。次回があれば
私はヤジリにいくことを心に誓うのでした。

残念ながら「宝くじ廃止」はなりませんでした。

人間への洞察が足りない民主党は現実への考察も足りません。

宝くじは「財源」のひとつなんですね。子供手当などのばらまきで
ただでさえ足りない財源のひとつを塞ぐことなど自殺行為です。

その意味から「残念」がひとつ。現実を直視できない人間に
政治などできるわけがなく、宝くじ廃止によって「政権交代」が
少し近づくことを期待していたからです。

もうひとつ「残念」が。これは人間への洞察の部分。

この秋からタバコが大増税されます。

これまた「財源」です。異論があるでしょうが、健康だけが
理由であるなら、以前にも述べましたが、たばこ税を目的税として

「タバコ由来と思われる全ての病気の治療研究費」

にすべきですし、その為の増税なら文句の言いようがありま
せん。

と、同時に国鉄時代の赤字は国民全体の負債とすべきです。
国鉄があったからタバコを吸ったのではありませんからね。

タバコには常習性があります。
つまり「安定財源」なのです。

そのタバコをガッツリと値上げします。

常習性も金がなければ盗むか止めるかの二者択一となります。

前者の犯罪は増えるでしょうね。自販機荒らしとか。
後者は「禁煙」の難しさが喧伝されますが・・・簡単に禁煙
できる人って実に多いのです。あるいは減煙だって可能です。

なんども書いていますが、私は喫煙者ですが、仕事が多忙に
なったころ「吸う暇がない」ことに気がつき、以来、日中に
タバコを吸うことは殆どなく、ややもすれば丸1日吸うことを
忘れてしまうほどです。

またオフィスが分煙になったことで、自然と減煙している
人も多いでしょう。

すると「減収」は目の前です。さらにお金がなくなります。

実は「宝くじ」もこれに重なります。

学級委員長的発想からみれば「宝くじ」ほど効率の悪い
ギャンブルはありません。約半分を寺銭で吸い上げられ、
スクラッチなどを除けば結果が分かるのも数週間後で、資金の
回転率も悪いのです。

しかし、庶民はこういいます。

「夢を買う」

自嘲気味に。西田敏行がCMで踊れば、夏になれば、
年末には・・・と、夢を買います。

人間とは愚かなのです。いや、愚かでもそれが希望となる
ことで支えとなり、退屈な毎日に刺激やスパイスをふりかけ
生きているのです。

でもね。

宝くじも一度買わなくなると気にならなくなるのです。
「習慣」なのです。

だから一度でも「停止」となれば、愚かな幻に投じていた
お金を別のものに振り向け、別の楽しみを見つけた愚かなる
庶民が宝くじに戻ることはないでしょう。

そして減収。ますます「政権交代」が近づくかと。

あ、この「政権交代」の前に「国家破綻」というプロセス
がありますが、私は少しでも早く破綻するほうがいいという
立場。

理由は簡単。

「戦後復興を経験した世代がまだ生きている」

豊さを当然として育った世代だけで窮乏は乗り切れず、
そうなれば「援助」の名の下に乗り込んでくる近所が恐ろし
いので。

しかし、普天間でも徳之島でも八ッ場でも宮崎でも。

「コンクリートから人へ」

というわりにそこにいる「人」を見ていないんですよね。
 

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