弁護士を目指している在日同胞学生

 尖閣諸島については言わずもがなですが、政府のお手並み拝見で
これはもう何年も繰り返していることですが、

「一歩足を引っ込めれば、一歩足を踏み込む」

のが大陸系の交渉術で、尖閣諸島は領土問題ではありません。

「侵略行為」

は存在しますが。

そして「円高介入」についても

「82円になれば介入する予定だった」

と「民主党内紛劇の無策」を否定する方もいるようですが、ならば
82円の根拠はなんざんしょうか。もともと92円でひぃひぃいって
おり、85円が「限界」といわれていたことなど「なかった」ような
発言に苛立ちを覚えますが、これも現政権に習って

「注意深く様子を見守る」

ことにします。理由はここ1年、民主党政権を見ての仮説が
定説になるかもしれないからです。それは

「追い詰められたらやる。追い詰められなければ何も手を打たない」

ということ。イレギュラーだったのは八ッ場で普天間ですが、
八ッ場は「中止」と明言し、普天間は

「最低でも県外移設」

とどちらも「先手」を打ったモノに関しては、「手詰まり」となり
結果的には追い詰められて鳩山さんは首相を辞めましたし、八ッ場も
早晩追い詰められることでしょう。

平たく言えば「無策」なのですが、こと1点。行動力がキラリと
輝く政策があります。それは「現金支給(ばらまき)」。

子ども手当に高校無償化、農家の戸別保証などなど「現金支給」に
からむ政策は後先を考えずに実施しています。額に汗した経験のない
(と、これは慣用句で選挙活動では汗を流しているというのはなし
ですよ)政治屋さんには「現金」の意味がよく分かっていない証です。

ちなみにばらまきといえば「本家 自民党」ですが、こちらは
土着の民や、這い上がってきた政治屋も多く、現金支給に関しては
期間や適用範囲を「限定」する小技を持っていましたが、学級委員や
生徒会役員のような顔立ちが並ぶ民主党では公立学校の教えのように

「平等」

にばらまきます。

そしてまたばらまきます。今度は「司法修習生」にばらまきます。
詳しくは各種記事を追って欲しいのですが、ザックリと言えばい
ままで司法修習生に支払われていた給与を、今年の11月を境に打ち
切ることになっていたものが、民主党の法務部門会議が突然「待った」
をかけたというものです。

司法修習生には国庫から毎月約20万円の「給与」が支払われてき
ました。根拠としては法律家は「公益性」が高いということで、
国が生活資金を援助するという「戦後」より一貫して続いてきたもの
です。

なるほど、一理あります。法治国家において「法」は命をも左右する
重要事です。

しかし、私のように戦後もはるか遠くなってから生まれたものにとっ
て弁護士とは「セレブリティ」で、一部の活動家などを除けば医者と
並んで「裕福な職業」の代名詞です。また、法治国家においての法理上
最強の武器「法」を手にしている最強プレイヤーです。その為、
サラ金に追われて駆け込んだ法律事務所は「金利の引き直し」などで
助けてはくれますが、手数料はしっかりと徴収します。もちろん、
仕事ですから当然で、それを揶揄するものではありませんが、サラ金苦
で一家心中まで考えた家庭に育ったある少年は、過去を振り返りこう述
べました。

「有料の正義の味方」

また、「敷居が高い」というイメージもあり、そこには「人手が足り
ない」という理由も叫ばれ、つまり「需要と供給」の関係で、供給不足が
あげられていたのです。

そこで、供給を増やすために法曹の大幅増を「司法制度改革」として
実現することになり、ともなって「給与」を払い続けては国庫負担が増大
するので、「貸与制」が生まれたのです。貸与制の仕組みはこうです。

1年間(修習期間中)に月18万〜28万円を無利子で貸し、10年間
で分割返済。なお、修習終了後、5年間は返済を猶予。

つまり付きに18万円「借りた」場合、修習終了後、つまり弁護士に
なってから5年という経験を積んでから、毎月「1万8千円」ずつ返せ
ばよいという条件です。ちょっとしたケータイ料金を返せば弁護になれ
るというと煽りすぎでしょうか。

しかし、これをもって

「金持ちしか弁護士になれなくなる」

というのが日弁連の主張で、民主党がこれに同調したのです。

はい、お気づきでしょうか、今回も「そもそも論」です。

戦後、日本全体が貧しい時、志があっても弁護になれない人もいた
でしょう。いまでも「苦学生」がいないとはいいません。しかし、
正確な統計は締め切りまでに探せませんでしたが、政治屋と医者と
弁護士(法曹)と芸能人の世襲は多いと耳にします。

いずれも「裕福」の代名詞のような職業です。そもそも金持ちの
ボンボンにまで国費を投じて弁護士にして、オヤジの「顧客筋」を
相続させる意味があるのでしょうか。現金などの資産には「相続税」
が派生しますが、「顧客」や「人脈」に税はかからず、戦後日本に
金持ち層(ブルジョア)が誕生した理由のひとつはこうした非課税
でかつ、継続的に利益を生み出す「資産」を相続できたからです。

余談ですが、親の人脈をもっている「社長」は、親からの直接的
な「援助」だけでなく「オヤジの友人」や「オヤジが面倒を見た人」
などなど、圧倒的に有利なポジションからスタートできることが
語られることは希で、これは邪推すればそれを報じる立場の機関や
組織にもそうした「人脈の世襲」は多く、だから黙っている・・・
のではありません。

「それが当たり前」

と疑問すら浮かばないからだと、最近、某新聞社の内情を聞いて
気がついたことです。

話を戻します。

仮にこれが検事や裁判官になるのに「給与」を支払うというのな
ら分からなくもありませんが、民事専門、特に商法を「看板商品」
としている弁護士まで同じ扱いを受けているところ、そしてそれを
疑問とせず、さらには国費を投じないことに不満を漏らす時点で

「国民世論と乖離」

しているのがいまの日本の法曹界の病理なのです。
裁判員制度も検察審査会が生まれた理由のひとつでしょう。

ある弁護士のブログにこんなものを見つけました。要約です。

「借金を抱えて弁護士になったものは貧乏人の味方になりたくても
借金の返済から金持ちの味方(仕事)をするようになる」

・・・開いた口がふさがらずに、そのままビールを流し込んで
しまいました。

金で心を買えるといったホリエモン氏のように、志を換金する人
もいるでしょうが、それは早いか遅いかの問題に過ぎません。そう
いう人は無借金で弁護士になってもいずれは売ります。人間の
性根とはそういうものなのです。

一方、貧乏が「志」を磨くことだってあります。

想像に過ぎませんが、このブログの筆者は小金持ち、あるいは
中流でも食うに困る生活はしたことがない人なのでしょう、人間
の本質への洞察に不足しており、これも国民世論との乖離の遠因
でしょう。

私は貧乏人が美しいとはいいません。概して貧乏はこころを貧しく
歪めます。しかし「法の番人」になろうとするものは、そんな
脆い心の持ち主がなってはいけないのが「そもそも論」であり、
人間的洞察に立てば「金の味」を知っているものは、金持ちでも
貧乏人でも寸分の狂いもなく「金持ちの味方」になるものなのです。

ちなみに「年収ラボ」によれば平成20年度の弁護士の平均
年収は801.2万円。これで月々1万8千円が返せずに、
貧乏が心を歪め、悪事に手を染めるとでもいうのでしょうか。

そもそも論です。

豊かになった現代日本で

「弁護士」

は資格のひとつに過ぎません。公的性格を持つ職業ですが、
それは「職務上の特権」で還元されており、養うところまで
公が背負うものなのでしょうか。

「天は自ら助くる者を助く」

とはサミュエルの言葉ですが、仮に法の正義や建前を論じ
るなら、まず弁護士会を中心とした

「弁護士育英基金」

などを作った上で、不足分を「公益性」を理由にねだるのが
庶民の私から見た「スジ」です。

もっとも、弁護士が後進を育てることに金を出すと言うことは、

「商売敵を育てるのに金を使う」

のと同義となります。ならば「国庫」ならいいのか。

ちなみにというか

「弁護士を目指している在日同胞学生」

のための基金はありました。もし、「日本人」の弁護士で
こうした基金があるとご存じの方がいたら教えてください。
次回、訂正して詳細を掲載しますので。

話を戻せば、公益性を盾に取るなら利益の追求をする弁護士
活動への言及がなければ片手オチというものです。ところが
「貸与」となると、金儲けに走ると弁護士がブログで憤慨します。

ごめんなさいね。

高邁な精神と怜悧な智慧をもった「法律屋さん」と凡百の
民の私ではその精神構造も基礎知識も違うので、間違っている
のでしょうから、先に謝ったうえで率直な疑問を呈します。

「弁護士に不利な話しは一切拒否していないかい?」

それを「自己弁護」と呼ぶなら座布団をあげますが、弁護士が
自らの利益のためだけを考えるというのであれば「公益性」は
霞んで消えます。

そもそも論でいえば、公益性を盾に取る時点で自縄自縛に
陥るのです。

また、金持ちしか弁護士になれないという主張もおかしな話し
で、先ほどの弁護士ブログによれば、大凡500万円ぐらいの
個人負担ということですからニートを抱えるぐらいの中流階層
なら負担できる金額ですし、国庫が金を貸してくれるというの
ですから、その「弁護」が破綻しているのは明白でしょう。

そしてそもそも論をここで重ねます。

「食うや食わずの貧乏人は未来の夢など見ない」

借金まみれの家庭にいるとね。弁護士どころか「大学」で
すら青白く輝く三日月のように遠く、夢で触れることが
できたとしても、その鋭利な輝きに指がちぎれてしまわないかと
手を引っ込めるのが「貧乏人」なのだと、先ほど過去を振り返っ
た少年が頭の中でさみしげにつぶやきます。

つまり、弁護士を目指す人間の大半は、それなりの生活水準の
家庭に生まれているということです。一方で、生活もままならない
なかで弁護士を目指すものがいるとすれば、それを支援するための
国費投入は「別次元」の議論なのです。

最後にもひとつそもそも論。

「貧乏を知らない金持ちが貧乏を語るな。そして貧乏人と金持ちを
同列に扱うことは平等ではあっても公平ではない」

これは「子ども手当」や「高校無償化」と同根の民主党の病理です。

苦学生を救うこと、貧乏人を助けること。それに投じると同等の
金品を「中流家庭」に投じることは、結果的に「貧乏の固定化」に
繋がる・・・これもそもそもの話しです。国民ひとりひとりのすべて
に100万円ずつ配った時を想像すれば簡単な話です。

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