乙武洋匡とゲスの川谷絵音の相似形。ゲスの不倫は女性のせい

 人の色恋にとやかく…と口をつぐんでいたら、ある飲み会で還暦を干支ひとまわり過ぎた年男の先輩から質問を投げられます。

「乙武君ってあっちは大丈夫なんだ」

 端くれとはいえ、物書きからの博学連想で、いつも無茶な質問を投げられますが、大抵答えられる自分の業を呪うばかりで、幾つになっても下世話なことに興味を持つ者だなぁとの驚きから、これについて触れてみます。

 下世話な先輩の心配に、手足と股間は無関係と、軽く韻を踏みつつ答えました。酒席ということから、チビでもデカい人がいるようなものですよと添えて。ま、お下品。

 そして頭と下半身が別行動をとっただけですと添え、男としては、よくある話しです、と。

 乙武洋匡氏の「先天性四肢切断」とは、病気というより、子宮内で起きた事故のようなものから、両手足など身体の一部が成長しなかった状態で、彼自身は

「不便ではあるが不幸ではない」

 と述べております。

 だから、正直に言えば乙武洋匡氏のゲスさを責めるつもりはサラサラなく、当人同士が納得していれば、それだけの話しで、怒りを露わに出来るのは奥さんぐらいという立場。ただ、周囲にゲスがいっぱい。類は友を呼ぶとは金言ならば、彼の人格も推して知るべし。

 批評家の東浩紀氏は「乙武さんの奔放さは業界にいればだれでも知っていた」と腐します。こい・・・もとい、東氏は対談などを通じて乙武氏とつるんでおり、彼の教育者としてのプロフィールを踏まえた上で行動を共にしていたなら同類。黙っていることは消極的な協力です。

 つまり身内であり、事が発覚してからの拒絶は、左翼における内ゲバと言うべきか、経歴と顔面詐称が明らかになってから、各所で氾濫した、ショーンKを疑っていたという後出しジャンケンのコメントに通じます。

 あるいは、乙武氏のモテぶりを僻んでいたと告白しているようにも見えます。いずれにせよ、人として上品な振る舞いとは言えません。

 これは論拠のない私的感想に過ぎませんが、東氏は津田大介氏ともつるんでいるからか、乙武洋匡氏も含めて同じ空気を感じます。

 なお、週刊女性に糟糠の妻との離婚話を取材され、取材そのものを拒否した津田大介氏の女子大生との合コン好きもまた、出版業界では有名なようで、週刊女性では「早稲田大学の女子大生が好き」と報じられていましたが、マイナビの女性編集者からは「自分を好きな、自分に興味を持つ女子大生を集めては、合コンを繰り返し、その合コン相手は“津田女”と呼ばれている」と聞いたのは、いまから3年ほど前のことです。

 一流週刊誌「週刊女性」が報じるのですから、それだけ津田大介氏の交遊録はニュースバリューがあるのでしょうと、はじめて紹介。

 なお、お下劣が芸風の岩井志麻子氏は、乙武洋匡のゲス不倫について、同じく後出しジャンケンながらも、東京MXの番組で、面識がないとした上で、

「記事が出る前から、いろいろなところから、あの方はお盛んなんじゃないか、女好きだろう、スケベだろうという噂をちょいちょい聞いていたので、そうだろうなあと思っていた」

 と話しています。一緒に仕事をしていた人物の断定と、面識がないと断った上で噂話とあくまで注釈を入れる人物。どちらが「ゲス」でしょうか。

 性癖はゲスながら、岩井志麻子氏に一本の筋を見つけるのは、私が彼女の盟友 西原理恵子氏の四半世紀のファンだからだけではないでしょう。

 酒席の肴は次のお下劣、いや本家ゲスに移りました。

「ベッキーはどうした? ベッキーは」

 この大先輩にも「ベッキーはよい子」という印象があるようで、一方のゲスなケンちゃんこと、「ゲスの極み乙女。」のボーカル、川谷絵音の報じられる写真に「あの陰気な男」と吐き捨てます。

 民謡を愛する先輩にとって、「ゲス」の音楽を理解するはずもなく、各種報じられた、陰気なおかっぱ頭の印象しかないのでしょう。

 乙武洋匡氏と接続させます。同じですよ。どちらもと。

 結論、ゲスな男はもてるのです。

 なぜか? 上野千鶴子や田嶋陽子がどれだけ騒ごうと、種としての人間には性別が存在し、本能における性差がそこには存在します。

 特徴的な性差のひとつが「母性」であり、母性の強い女性になればなるほど、常識的基準で評価する「だらしない男」に弱いのです。

 面倒を見てあげたくなる。のです。もちろん、だらしないだけの男がもてるのは難しいのですが、音楽でも作文でも、なにかひとつでも才能があれば、もっといえば「有名」というだけで、こう思う女性がいるのです。

「この才能を守ってあげることができるのは世界で私だけ」

 母性と愛情の錯覚。だから、この手の男は、次々と浮気が出来ます。だって、しばらくすれば女性は「かーちゃん」になり、マザーファッカーを回避するため、別の女を捜しはじめるからです。

 乙武洋匡氏はまんまこれ。

 そしてこの手の「もて男」は、こうした母性溢れる女性を見抜く力に長けています。生まれついて、女性に甘えて生きていたので、マタギが猪を見つけるように、豚がトリュフを見つけるレベルの嗅覚で、自分を好きになってくれる母性溢れた女性をかぎ分けます。

 正確にいえばモテるというより、自分を好きになりそうな相手を見抜く能力が優れているのです。

 ゲス不倫が発覚した後、ここに気づかずに、「なんであいつばかり」とやっかんでいるのは「もてない村(by Nack5)」の村民です。なお、母性が強い女性は、一般的な男性目線から「よい子」に見えるのは、それこそ田嶋陽子先生の指摘する「男のくっだらない幻想」そのままで、面倒見(世話焼き)を「よい子」と錯覚するのは男性として独立できていないからです。これ、男として婉曲的なイヤミです。男ってバカね。と。

 女性が女性である限り、ゲスの不倫はなくなりません。

 それではまるで女がバカみたいじゃないか。と田嶋陽子先生が怒り出しそうなので補足しておけば、

「性悪女に騙される男」

 もまた、男性という性の業です。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください