税金で養われる国会議員は不倫してはならないという長嶋一茂氏のコメントは明らかに間違い

「不倫は仕方がないが、税金で養われる議員がすることは問題だ。新幹線の費用も誰が出しているのか。国民の税金だ」と長嶋一茂氏。テレビ朝日「モーニングショー」で今井絵理子参院議員と橋本健神戸市議会議員の不倫(疑惑)報道でのコメント。

深い思考が苦手な風の長嶋一茂氏のコメントをいちいち取りあげるのもなんですが、一同、この発言に同意します。間違いです。これが政治を歪めているひとつと一筆啓上。

政治家が税金で養われているのは事実。しかし、このお金の出所論でいえば、すべての公務員もそれは同じ。税金で養われています。ならば、すべての公務員が不倫した暁には、某かの処分なり、責任をとらなければならないことになります。

不倫の道義的責任はともかく、刑法的な罪はありません。不倫された側のパートナーへの賠償責任は民事の話し。

それでは議員が公の立場で不倫は許されない。そう考える人もいるでしょう。一方で下半身の話しより、国民生活を豊かにする政策をしてくれる議員が良い、という有権者もいます。私はこちら。

意見はそれぞれ。そのそれぞれが反映されるの「選挙」。そして選んだのは有権者、すなわち市民であり国民で、その候補者に金を払って政治を委託したということです。

委託の対価が報酬であり、その原資が税金であり、不倫をするような議員がイヤだというのなら、次の選挙で「落選」させれば良いだけの話し。

選挙期間中はわからなかった。不倫するような人とは思わなかった。とは残念ながら言い訳です。そして誰でも失敗をし、見込み違いだってあります。だから「次」なのです。

安倍昭恵夫人や、各種保守論客が籠池泰典氏の口車にのったのだって同じでしょう。ただし、その人となりがわかった後に、同じ付き合いをするのか、距離を置くのかに、その人の価値観が表れるということです。

スキャンダルを起こしたその政治家に票を投じた有権者が、己の投票行動を恥じ、またマスコミはそういう人物像を、洗い出せなかったことを自省すべきですが、道義的責任レベルの話しを、政治家本人だけの資質なり行動なりに求めることは問題の矮小化、あるいは責任転嫁。そしていつまでも政治家の醜聞、および低いレベルの国会議論を前に国民が被害者面をします。

つまり、成長しない国民が民主主義を停滞させ、結果として政治が歪めているのです。その先導役がマスコミであることは否定しませんが、しかし、国民の側にも責任があるということです。

視聴者、すなわち「お客さま」に苦言を呈するのは困難とはいえ、それが為に国民の共有財産である「放送電波」を特権的に与えている、という正論はかなり虚しいのですね。

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