草津白根山が噴火し、自衛官一人が殉職し、二人が重体と報じられています。
報道に接して違和感がふたつ。
まず「予知できなかったのか」というもの。
従来から気象庁は、白根山、逢ノ峰、本白根山の三つを一つの火山体として常時観測していましたが、メインターゲットは「白根山」で、今回の爆発は本白根山。
噴火予知のためだからと、無尽蔵に使える予算などなく、より危険性の高い箇所にフォーカスするのは当然のことで、自ずと限界が訪れます。
予知はあくまで確率論を下敷きとした準備や対策に過ぎません。
仮に完全予知を実現するために、すべての火山やその疑いのある山や地域に、センサーと人員を配置し、その費用のために増税するなり、その他の行政サービスを犠牲にするという決定に、納得する国民は少数でしょう。
より完璧を、より安全を求める姿勢は正しくとも「予知」や「予測」が外れることは、日々の天気予報からも明らかで、ついでにいえば、関東を襲った「大雪」にしても、2018年1月22日の朝に発表された都内の積雪は5cmで、結果は23cmでした。
結局、どれだけほじくっても「予知は難しい」という結論にしかならないことを、毎回、なだれも含めた、この手の自然災害が起こるたびに、同じフォーマットで嘆き、憤っています。
もちろん、それしか「ネタ」がないのなら、テレビが放送枠を埋め、新聞が紙面に文字を埋め込むために、過去からコピペするというのもひとつのテクニックです。
しかし、自衛官が一人殉職しているのです。これを「ネタ」といえば不謹慎であることは承知しておりますが、犠牲者を執拗に掘り下げるのがマスコミの得意技。
ながら、噴火からほぼ24時間たったいま現在、自衛官の死はただの事実として報道されるぐらいです。
これがふたつ目の違和感です。
殉職した自衛官は、相馬原駐屯地(同県榛東村)に司令部を置く第12旅団第12ヘリコプター隊所属の陸曹長で、第12旅団は降雪地域を担当する積雪地部隊のひとつ。
隊員は雪上で迅速に移動できるよう冬季はスキー訓練をし、年に1回、部内の検定に合格する必要があると毎日新聞は伝えています。
■被害に遭った陸自第12旅団は積雪地部隊
https://mainichi.jp/articles/20180124/k00/00m/040/089000c
自衛隊の訓練は「有事」に備えるものですが、それが災害現場で活かされていることは誰もが知るところです。
そして、今回の噴火に際しても、自衛隊に出動要請があり、迅速に駆け付け、被災者の救助に当たっています。
あえてお涙頂戴の三文芝居風に表現すれば
《仲間の死を乗り越えて救助に当たる自衛官たち》
となります。
むろん、自衛官は
《(略)事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。》
と服務の宣誓に従い、涙などの飲み込むことでしょう。
出自は失念しましたが、かの東日本大震災で、身内が行方不明になった自衛官は、辛くないのかの記者の質問にこう答えたいいます。
《自分が泣くのは、すべての人を救出してからです》
だからと、自衛官の死など悼むことはない、とはなりません。
文字通り、命がけで国民を守るために日夜訓練し、極度の緊張を日常として職務を遂行しています。今回の殉職もその延長にあります。
それは消防官や警察官、あえていうならマスコミ人とて同じと言えなくもありません。
程度の差こそあれ、職務をまっとうするなかでの悲劇に大小はないでしょう。
さて、それでは殉職した自衛官について、マスコミは、とりわけワイドショー(ニュース番組も含む)はどう報じたのか。
せいぜい、訓練中の死。当初、予定していたルートが雪崩注意と警告されたので、変更した先で被害にあったぐらい。
この手の災害にせよ、事件では個人を特定できれば、遺族や友人を直撃し、執拗なまでに個人情報を晒します。これの賛否は脇に置くとしても、犠牲者の人物像を伝えることで、悲劇性を強調するのは大手マスコミの常套手段です。
これが他の「職業」ならば、その訓練の理由、頻度、コース決定のプロセスなど、関係者や専門家をスタジオに招き、詳細な説明を加えることでしょう。
それは北朝鮮や韓国、米軍ならば、軍事評論家はもちろん、自衛隊OBに解説を求めることは、半島有事の一年間に見てきたことです。
ましてや、殉職した自衛官の所属部隊について、先の毎日新聞の記事を引用します。
《第12旅団はヘリで部隊を輸送する空中機動力を高めた部隊で、傘下の第12ヘリコプター隊は自然災害の被災地にもたびたび派遣され、2014年の御嶽山の噴火でも被災者の救助に当たった。》
個人情報はともかく、公的性質においても、伝えるべき情報が多いなか、なぜか「自衛官が一人死亡」としか報じられません。
さらにです。テレビ朝日「モーニングショー」では、元AERA編集長の浜田敬子氏はこういいます。
「亡くなった方がおひとりで良かった」
戦後最悪だった御嶽山噴火と比較しての発言だが、これが一般人だったとき、あるいは自衛官以外の犠牲者だったとして同じ台詞が吐けるのか。
命に軽重はなく、職業に貴賎がないにしても、災害時に役立つのはプロフェッショナルで自衛隊はその代表格で、雪上のプロを亡くしたことは国民にとって大きな損失という視点が、我が国にはありません。
冷徹な表現になりますが、一人のプロを育てるコストは膨大な者です。だからこそ、そのプロはより大切なのですが、そんなこったぁしったこっちゃない、てな感じ。
そもそも、自衛隊の活躍をマスコミは報じません。
今週月曜日にライブ配信された「真相深入り!虎ノ門ニュース!」で、青山繁晴参院議員(自民党)が指摘します。
「自衛官を国会に呼べない」
明文化はされていませんが、いつのまにやら「自粛」されるようになり、その結果、現場の事実が国会議員に届かなくなり、こんな国は世界中どこにもないと嘆きます。
ゲスト出演していたケント・ギルバート氏がこう突っ込みました。
「(自衛官も)同じ、日本国民だよね」
その通りです。その通りながら、自衛官の権利は法律以外でも制限され、他の日本人とは異なる報道の扱いを受けています。
おまえら自衛官は、日本国民とまったく同じ権利を与えないけど、災害時は人命救助し、有事になれば命を懸けろ。
私が報道に感じた違和感の正体が、これならばらば、人道にもとる「差別」です。日頃、人権を声高にさけぶ人々が、自衛官の人権にはいつもいつも鈍感です。
なお、世界中のすべての軍隊、兵隊に通じることですが、兵隊さんは国民を守る最後の盾であり矛です。だから、国民を守るために身を投げ出すことはあっても、それ以外の場面では自らの身の安全を最優先し、リスクを極力避けるものです。
なぜなら、兵隊の死は、敵兵による国民の蹂躙と同義になるからです。だから軍人はリアリストでなければならず、トランプ政権に軍人出身が多いことを持って「好戦的」などというのは、脳内がお花畑か、現実を知らない無知の告白で、軍人は可能な限り戦闘を回避しようとするものです。
例えば相手の隙を突き「手を挙げろ。抵抗すれば撃つ」と、敵の戦意と戦闘能力を奪えば、ひとつの局面での目的は達成できるからです。
軍人の目的は人を殺すことではありません。国民を守り、守るために敵戦力を迅速に無力化することです。
つまり、そんな自衛官ですら防ぎようがなかったのが今回の噴火の正体です。そして、国家のために命すら捧げる、自衛官への敬意が、その言葉すら虚しいほど存在しないのが、テレビでアリ、多数のマスコミです。
こちらは動画版↓
■自衛隊殉職が「おひとりで良かった」