教育勅語は日清戦争以前からあった

教育勅語は日清戦争以前からあった


 つぎつぎと「疑惑」がでるなか、決して森友学園を擁護して「炎上」を試みるほどヒマでもありませんが、各所で繰り返し批判されている「教育勅語」については、相当な誤解や無知を前提としているものが多く、なにより神道寄りの教育方針を掲げていることを批判するのは憲法に触れます。

 森友学園が本当に神道を報じていたかに疑問は残りますが、何を信じようがそれは自由で、他人に強制しない限り、制約される筋合いのものではありません。教育勅語がきらいなら、森友学園に近づかなければ良いだけの話し。

 その教育勅語における誤解とレッテル張りもひどいもの。

 テレビ朝日「モーニングショー」で、朝日新聞系雑誌「AERA」編集長の浜田敬子氏は、教育勅語について

「個人的にはいかがかと思う。保護者は若いので教育勅語を知らないのだろう。あれは天皇を頂点とする戦前の教育だ(意訳)」

 と言い垂れます。浜田敬子氏に個人があるのなら、保護者にも個人があり、浜田がいかがとおもっても、保護者が良いと思えばそれだけの話し。

 また、教育勅語に関する知識を、年令で区切るのは浅薄な権威主義者で、平たい言葉で言うと「部活のダメな先輩」。その心は、たかが一学年や二学年しか違わないのに、すべてを悟ったように上から目線で説教と指導をする小僧、小娘ということ。

 ネットで拾った浜田敬子氏のプロフィールによると、昭和41年生まれで御年50才前後。半世紀の歴史は、日本サッカー界の生けるレジェンド「キングカズ」に並びますが、日本の戦後は70年を越えます。だからいえます。

「おまえ、知っとんのか? 教育勅語を」

 少なくとも公教育で教育勅語を学んだ世代ではなく、これまたネット情報ながら、サラリーマン家庭に生まれ育ち、ピアノと読書に明け暮れたと少女時代、どこに教育勅語との接点があるというのでしょうか。

 あったとしても、森友学園に通わせる保護者に対して「若い」を理由に無知を詰る(なじる)資格などありません。

 その教育勅語について、同番組で玉川徹テレビ朝日社員が、籠池泰典理事長の過去の発言も結びつけ

「国民は天皇の赤子(せきし)である」

 とする箇所を批判的に伝えます。

 これは、そこに書かれた字面を日教組的視点で読み解いたいわば「曲解」に過ぎません。まともに戦前はもちろん、連綿と続く日本史を踏まえれば、天皇と国民は「親子」という概念がもっとも近いでしょう。

 日本国民は天皇を親と見立てて、ひとつの家族というファンタジーのなかにいたのです。

 だから教育勅語において、天皇や皇室を敬うというのは、祖先や親を敬うことの比喩表現といってもよいでしょう。

 俗ながらもわかりやすく説明するなら「佐藤」さんです。

 日本で最も多い苗字の「佐藤」は、その血を辿れば歴史の授業では貴族としてお馴染みの藤原氏です。もちろん、宮家にも近しく、今風に言う、親戚やら姻戚やらは多く、これらをざっくりとまとめると「佐藤さんは天皇家のお身内」。

 雑すぎるのは重々承知の上ながら、これぐらいの大らかな感じが下敷きにあったので「天皇の赤子」との教育勅語に、さほどの違和感がなかったと言えましょう。なお、諸説ありますが、近藤や武藤などの「藤」のつく苗字も同じとされ、「近江の藤原」が近藤で、「武州の藤原」が武藤とか。みんなお身内。

 だから北朝鮮における金王朝と国民、中国における共産党と国民の関係どころか、西洋史にありがちな、国民から搾取する王様像も当てはまりません。

 天皇の仕事は国民の安寧を祈ることにあり、歴史におけるわずかな時期を除けば、政治からも離れていたことは、武家が政治を支配した「幕府」を見るまでもないでしょう。

 確かに教育勅語は戦前に生まれたものですが、その戦前とは「日清戦争」にまで遡ります。明治23年(1890年)に発布されており、明治27年(1894年)の日清戦争より昔の話し。

 つまり、大東亜戦争、占領軍が「太平洋戦争」と名づけ、それを押しつけたあの戦争のはるか前から教育勅語はあったのです。

 浜田敬子氏が「詳しい」のなら、いわゆる大東亜戦争における軍事国家とは、軍部の暴走であり、そこで「教育勅語」は確かに利用されましたが、それは通り魔が出刃包丁を使ったことをもって出刃包丁を悪魔の凶器と禁じるようなもので、同時に軍部の暴走を礼賛したのはマスコミで、そこで彼女の所属する朝日新聞が果たした役割は大きく、まずは自分の会社の反省を踏まえた上で、教育勅語について述べるべきです。

 森友学園を巡る騒動は、今後も続くことでしょう。そして国有地の払い下げや、学校認可に関しての追及はともかく、流れ弾として狙う安倍首相への攻撃は、きっとその批判者にブーメランとしての脳天に突き刺さることでしょう。

 すでに民進党の議員には刺さっていますが、私が期待するのは、天下の大マスコミ、先の浜田敬子氏らの属するリベラル陣営のダブスタ(二重基準)へのブーメランです。思想信条の自由とは、己と対立する意見であっても、その意見を信じる自由を可能な限り尊重するから成立するものです。

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