福島瑞穂氏のオカルトファンタジーと反日の増殖

福島瑞穂氏のオカルトファンタジーと反日の増殖


 8月15日の終戦の日前後になると、戦争への反省と平和への祈りとお題目を掲げつつ

「日本が悪かった、悪いことだけした」

 という番組が、主にNHKやテレビ朝日、TBS方面で量産され、日頃の論調から「反日工作」とネット民は嘲笑をもって迎えます。

 いわゆる「ネトウヨ」ばかりではなく、政治的なスタンスではノンポリで、どちらかといえば自民党に批判的なネット民でも、こうした番組を批判する傾向が確認できるのは、日本が右傾化しているのではなく、戦後72年も経ち、そしてネットの存在により「多様な意見」に触れることができるようになったからです。

 すべての物事には光と影があります。

 川面に投げた小石が同心円状の波紋を作っている水面下では、するすると小石が気泡をまとい川底を目指せば、そこにいるアメリカザリガニが両手のハサミを開き威嚇しているかもしれません。

 つまり、ひとつの出来事は、多様な現象を引き起こしているもので、一面だけを捉えると見誤ることがあるということです。

 かの大東亜戦争に感謝している外国もあります。ビルマ、タイ、インドなど、欧米列強に植民地支配され蹂躙されていた国々です。

 すこし余談に逸れますが、通常、戦争は戦地の名前が付けられ、主な戦地は東アジアですから「大東亜戦争」です。ところが進駐軍により使用が禁じられ「太平洋戦争」を強要されます。

 かなり知られるようになりましたが「War Guilt Information Program(WGIP・ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)」という、平たく言えば「戦争をした日本人が悪いのです。米国様が助けてくれました。マッカーサー様におすがりします。戦前の日本はとにかくすべてが真っ黒です」という洗脳。

 放送禁止用語を作り、公職追放で人事を専横し、その果てに憲法まで作りました。詳細は割愛しますが、国際法に違反しています。こうした事実を知った上で、歴史をどう評価するか、憲法をどう考えるかはそれぞれの判断ながら、占領下、言論統制下に押しつけられた「太平洋戦争」を無批判に使っています。

 本稿をはじめたきっかけは「考えようよ」。

 イラク派兵された自衛隊に、十分な装備を与えず送り出した自民党。なのに自民党を、基本的には支持する日本青年会議所の活動をする埼玉県草加市在住の友人が「自衛隊をイラクにいかせちゃダメだよね」って酒席で言い垂れます。小一時間ほど説教を垂れます。

 次の選挙で、この友人に向けて書き出した世相解説のメールがネットで原稿を発表する出発点。

 だから、特別な場合を除き「大東亜戦争」と記します。

 話を戦後直後に戻します。

 「優秀な白人様にはかないっこない」という一種の洗脳が施され、植民地に甘んじていた東南アジア諸国は、白人共を蹴散らし追い出した同じ黄色人種の日本人をみて、激しい感動と勇気を得たのです。

「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である」とは「ルックイースト政策(日本を見習え)」で有名なマレーシアのマハティール首相の言葉。

 当時の各国首脳らの発言の「まとめ」があったので、よろしければどうぞ。
https://matome.naver.jp/odai/2137027901959922201

 トルコの「親日」にも戦争の影響があります。

 明治23年(1890年)に和歌山県沖で、当時はオスマン帝国のエルトゥールル号が遭難し、多数の犠牲者をだします。それを沿岸の日本人が救出し、日本国中から義捐金が集まり、さらに日本政府は丁重に生存者を母国へ送り届けます。以来、トルコが親日的になったと報じられることがありますが、それがすべてではありません。

 日露戦争で日本が勝利したからです。

 トルコは度重なるロシアの嫌がらせ(戦争あり)を受けており、また、当時のロシアは最強を誇る陸軍と、それ以上の名声を誇ったバルチック艦隊をもつ大強国で、ロシアは領土拡大と南進の本能があり、国境を接する国はつねに脅威にさらされていました。

 それが極東の島国が・・・ここに白人どもの差別感情を見つけるべきですね・・・打ち破った! 陸戦で撃退し、海戦では史上類を見ない完封劇=日本海海戦で打ち破ります。

 本質的にはいまも変わらないのですが、強いは正義を公言して誰にも咎められなかった時代、ロシア敗北のニュースは、トルコ以外にも多くの国を勇気づけたものです。

 戦前の日本の行動のすべてを肯定することもできない、ということは言うまでもないでしょう。ただし、確実に言えることは「現代的価値観で過去を評価してはならない」ということ。

 切腹は武士の誉れといわれますが、これは罪人に与える刑罰の斬首と違い、武士として死ねることを指しますが、現代に当てはめれば自殺となってしまいます。それを強いた上司はパワハラです。

 昭和時代は日教組が元気で、士農工商を「身分差別」と唾棄しながら教えていましたが、これは「相続」であり「身分保障」でもあり、富農や豪商になれば侍の身分「士分」を購入することもできた事例など、坂本龍馬の実家をあげるまでもないでしょう。なにより、自由で民主的という前提に立てば、各藩の殿様や、幕府の将軍も存在できず、歴史が狂ってしまいます。

 その時代にはその時代の価値観と理由があるということです。先の戦争もしかりです。

 社民党の福島瑞穂副党首が千鳥ヶ淵墓苑で平和を誓うと主張する挨拶をしました。以下は、当の福島氏が自信のブログに掲載した書き起こしの一部引用です。

《(略)みなさんたちお一人お一人のかけがえのない命の犠牲の上に、わたしたちは、日本国憲法を手にしました。とりわけ憲法9条を獲得をしました。みなさんたちの尊い命の犠牲の上に手にした憲法9条は、何としても守らなければなりません。生かし続けなければなりません。そうでなければ、みなさんたちの犠牲を踏みにじることになるからです。
■福島みずほのどきどき日記「平和の誓い」
http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-3080.html

 憲法9条を得るために英霊は散華したのではありません。とりわけ戦争末期の、文字通りの決死の戦いは、わずかでも国土の被害を食い止めるためでした。

 当時の国際状況では敗戦国は植民地化され、時に領土を奪われ、分断されることも珍しくありませんでした。だからこそ、死力を尽くして戦ったのです。憲法9条なる文書のためではありません。

 憲法9条にある「武力の放棄」について、武装解除に従ったがためにソ連に殺された日本兵や、抑留され強制労働の果てに亡くなった御霊(みたま)は、それを許さないでしょう。

 「占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)」はこの例です。終戦の日以後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連が、千島列島東端の占守島を奇襲し、日本軍守備隊と戦闘になります。

 果敢に戦い退けましたが、軍の命令によりソ連軍に降伏したところ、日本兵は拉致され抑留されます。武器を手放せば、身を守る術がないのです。

 これを経験した英霊が、子孫の我らに武力放棄を「何としても守らなければならない」と願うでしょうか。一般的な感覚では正反対です。

 福島みずほ氏の主張は、現代的な、というより福島みずほ的価値観からの死者の代弁で、死者を冒涜しています。死人に口なしを地で行く卑劣な行為です。

 さらに福島みずほ氏は「戦争できる国にする」というデマゴーグを繰り返し、それは平和を誓うというより街頭演説。安らかに眠っていて欲しいという気持がないのは、共産主義は唯物論で、死んだら終わりだからでしょうか。彼女は社民党ですが、似たようなものです。

 街頭演説も佳境にはいる前に、見逃せない発言を確認します。

《憲法前文は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」としています。主語は、日本国民です。主権者である日本国民は、全力で、安倍首相の憲法9条改悪と闘わなければならないのです。9条を変えようとする内閣は倒さなければならないのです。》

 主権に国民があるのだから、主権者である国民が、憲法を変えようと決めれば変えられる。むしろ福島氏の発想が独裁というかカルト宗教のそれで、安倍首相の憲法改正を支持する国民は国民にあらずといっているのと同じです。

 衆参併せて4人の政党が、国民を代表するなという話。これは現代的な民主義の視点から。

 もはや算数すらできないかもしれない。それが杞憂ではないことは、この街頭演説の結びに確認できます。

《(映画)「ロードオブザリングー指輪物語」の中で、死者の人たちが地中から蘇り、力を合わせて共に戦う場面があります。わたくしは今、その場面を想起しています。主権者であるわたしたちは、戦争犠牲者の全てのみなさんと共に力を合わせて、9条改悪を止めたいのです。

戦争犠牲者のみなさん。私たちを見守り、私たちを励まし、そして共に闘うため、どうか私たちに力をお貸しください。
憲法9条を守り抜く社民党の決意を申し上げ、誓いの言葉といたします。※括弧内筆者》

 オカルトです。呪いです。怖いですね。夏に定番の怪談話でしょうか。

 しかし、仮に英霊を呼び出すことができたなら、彼女らが熱心に活動していた「慰安婦」の正体が明らかとなり、そんな嘘を海外に拡散し、日本を貶めていた彼女と郎党が誅殺されることでしょう。

 かつての日本人の多くが、日本に誇りを持ち、考え方の違いはあれども、「日本を売る」ような真似は、朝日新聞社記者で共産主義者の尾崎秀実(ほつみ)とかの、いわゆる「スパイ」ぐらいのものです。

 母国というか所属する国家を貶めるような活動をするものは、いまでも敵国のスパイや工作員とみるのが日本以外の世界の常識です。

 ネットに「反日」「工作員」などの言葉が踊るのは、こうした世界の常識に触れることができるから、一種の「国際化」です。対立を煽っているのではありません。野放しだった国内での反日工作(同然も含め)が、少なくともネットでは監視されているということ。福島みずほ氏の死者の冒涜もそのひとつ。

 ただし道半ば。

 先の戦争への本当の意味での「反省」を、現代に生きる日本国民が共有するには、「自虐」だけでは辿り着けません。当時の価値観を知り、戦後の道程をあらましでも確認し、いまの世界の価値観と、日本独自で守らなければならない価値観のすりあわせをする。

 これを実現するのは「多様な価値観」への寛容さです。自分の信条こそが正義という狭小な態度の正反対にあり、もちろん、オカルトの出る幕ではありません。

 日本ではいまだ戦前、戦中、戦争の評価において「多様な価値観」が認められていません。

 最後に蛇足ながら、終戦の日に天皇皇后両陛下ご臨席の下、政府主催で開催された全国戦没者追悼式における正午の黙祷。その時の関東キー局はこんな感じ。

NHK:式典(黙祷)
Eテレ:今川義元
日テレ:コストコ満喫
テレ朝:徹子の部屋、報道カメラマンの妻との雑談
TBS:CM
テレ東:サラ飯
フジテレビ:CM

 ・・・生番組の出演者が黙祷を捧げたという話を寡聞にして存じません。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA