安倍昭恵は公人か私人かを問う前に人権派よ叫べ


 森友学園をめぐる追及において、マスコミや民進党らしいといえばらしいのですが、日頃の主張と道理が揃っていません。

 その代表例は安倍昭恵夫人が、学苑の名誉校長を受けていたことの追及です。

「首相夫人が特定の団体の役職に就くのはいかがなものか」

 とは正論のように映りますが、言葉を裏返せばこうなります。

「首相夫人の行動は制限される」

 もちろん、一般論と常識に照らして、ある程度は制限されますが、「教育」という信条に触れる部分においても自粛しなければならないというのでしょうか。

 するとさらにこうなります。

「首相夫人の思想や信条の自由は制限される」

 それはすなわちこうです。

「女性の自由は旦那の仕事により制限される」

 さらに言葉を窮めれば

「妻は夫の付属品」

 って感じ。怒れよ、フェミニストって話し。また、憲法が約束する基本的人権の侵害。拳をあげろ護憲論者! なのです。

 ところが、リベラルな、実状はパヨクな連中は、都合良く女性の人権を使い分け、気分で憲法を解釈します。

 もちろん、首相夫人というか、旦那である安倍首相の権力を用いて便宜を図ったのなら論外ですが、森友学園からの教育方針の説明に共感した、一人の女性として引き受けた名誉校長なら、なんの問題にもならないはず。なんの罪があるというのでしょうか。道義的、というのなら女性の権利はどこへいくのか。首相の妻は公人で、個人の権利は制限される、と明言するならそれもひとつの見識ながら、そこへの断言を避けながら自発的な謝罪というか、辞職への「忖度」を求める態度は卑怯のそれです。

 なにより土地取得を巡る疑惑風聞が表出するまで、問題視する声などなかったのです。

 つまり、問題が指摘される学校法人の名誉校長についていたことについて、問題への関与が問われる、追及されるのは当然ながら、名誉校長への就任そのものを批判するのは「言いがかり」であり、女性の人権を否定し、憲法すら否定するとんでもない行為で、それを繰り返すところは、さすが民進党であり、マスコミだということです。

 そもそもアッキーは、居酒屋や民宿を開くなど自由奔放で、三宅洋平氏と対談するは、連れだって高江のヘリパッド建設反対現場にいくはの自由人。彼女を見るだけで、安倍首相が旧来の保守の人物ではなく、世界標準のリベラルだとわかるほどです。

 今回の追及でいえば、安倍首相は我が妻ながら、安倍昭恵という女性の人権を尊重し、民進党をはじめとした野党どもは、それを否定しているという図式。言うとやるとが違うとは、マスコミとリベラル気取りのテレビコメンテーターに有識者、そして民進党のいつものことながら呆れます。

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