昔からの読者のためには避けて通れず、新しい読者のためには
触れなければならないでしょう。ホリエモンこと堀江貴文じ・・氏
です。
本稿では堀江貴文さんで通します。敬意ではありません。容疑者や
受刑者、社長、議員などがあっても、特別な役職や文脈の必要性が
ない限り、だいたい「さん」をつけており、以前企業名に「さん」
をつけて読者から「親しいのか!」とお叱りを賜ったこともあります。
堀江貴文さんの実刑が確定して刑務所に入ることになりました。
この報道を受けてツイッターでは否定的なコメントが相次いでい
ます。堀江貴文さんの無罪の主張を受けてのものが大半で、ついで
「検察批判」です。
まず「無罪」について。弁護側は上告趣意書で「誤った会計処理
方法との認識はなかった。2審判決には重大な事実誤認があり実刑
も重すぎる」と指摘しました。
厳密に言えば違法か脱法かの問題で、個人の責任で被害が自分自
身でとどまる「脱法ドラッグ」なら法の場で捌かれることはないで
しょう。
しかし、証券市場は「ルールを守る」を建前としている賭場で、
八百長じみた行為を放置しては賭場が立ちません。堀江貴文さんが
犯したとされる事件は、会社を儲かっているかのように見せかけて
いたことです。
超単純に述べれば株で儲けたお金を「売上」としたり、買収した
会社の業績を課題に評価することで「超儲かっている」として
発表したことが罪とされたのです。
これをもってツイッターで、自称起業家であり、税の専門家を
これまた「自称」する方が、こう述べました。
「これで逮捕されるなら上場企業の社長のほとんどがタイーホ
される(筆者意訳)」
・・・あのね。ツイッターも公開情報、くれぐれも名誉棄損に
はご注意ください。当事者から聞いた情報とはいえ、又聞き情報
なので社名はだせませんが、ある上場企業に国税の査察部がはい
りました。こういうときは「お土産」と称する、某かの追徴課税
や修正申告が発生するもので、担当者はこの「手柄」をもって
栄転するのが通例です。
それゆえに「ハズレ」のないように、捜査を進めて踏み込むの
ですが、ここでは「ゼロ」。本当にガラス張りの会計をしていて
踏み込んだ担当者は「左遷」されたといいます。
まとまな上場企業はそれなりに真面目にやっているのです。
大企業擁護ではなく「博打」で考えれば分かることです。
誰もが小ずるいことを画策している賭場に金を張る奴はいません。
市場原理主義からすれば当然の話で、不正な市場からはプレイヤー
は離れ兜町は崩壊します。
株式市場という賭場において、プレイヤーに張ってもらう
(株式に投資)ためには正しい情報を開示するというルールが
あり、それを歪めるものを許しては賭場が成立しません。
「おいちょカブ」でいえば、四だよといっていた札が五ならば
片腕を切り落とせといわれるぐらいの重罪です。
あるいは競馬で「馬体重」を粉飾していたら勝ち馬投票券を
買う人はいなくなります。
米国が銃社会で、銃の規制に反対するのは
「我が身を守るのは自分」
という原則があるからで、核抑止論にも通じるのですが、互い
を傷つけることができる能力を有していれば、ズルをやりづらい
というもので、すべてに通じます。
と、いう視点をもって「無罪」かどうかの判断は皆さんに
委ねます。
つぎに「無罪になるか」という点。言葉遊びのようですが
先の「罪」とは日本国の法律ではなく、社会常識としての「罪」
のこと。私は司法機関ではないので裁きません。
で、罪になるかとは、罪を犯したとして刑罰を受けないことも
あるからです。
同じく経済事犯の「脱税」。これも悪質なものは刑務所行きと
なりますし、書類上のミスなら「修正申告」ですみます。
堀江貴文さんの事件で主張されるのは「額が少ない」。
粉飾決算としての額が少なく、実刑はおかしいというものです。
たしかに粉飾額とみれば他の経済事犯と比べて少ないとはいえ、
粉飾によって得られた利益や、募れた「資本(株への出資)」
からみれば莫大で、逮捕前に時価総額8300億円へと膨れあ
がった株価からみれば、粉飾額だけをみて罪を軽くしようとする
のは片手オチです。
実は法律には「情状」というものがあります。分かり易い例を
あげれば、恋人を殺されたことへの復讐としての殺人も裁かれま
すが、快楽殺人とでは罪の重さが異なります。
思い出してください。
「法律に触れなければ何をしても良い」
とは堀江貴文さんのかつての発言。
だから法律に触れたことがばれて逮捕されたのです。
自業自得というか自作自演乙です。
粉飾額が少なく、仮に「知らなかった」とすれば「情状」の
対象になるでしょう。しかし、実刑が下ったのは
「汲むべき情状がなかった」
からです。先の言葉にあります。「確信犯」と疑われても
さもありなんという言動を繰り返していたのですから。
また、逮捕され保釈してからも「無罪」を主張するのは、
もちろん被告の権利ですから良いとして、そこから検察批判を
くりかえし持論をメディアで展開します。
さて、それでどうして「情状」をだせるでしょうか。
だいいち、
「金で人の心は買える」
とは堀江貴文さんの自著に明記されていますが、最近の彼は
この台詞を「いっていない」とします。さて、そんな人の発言
をまともに取り合う暇は私にはありません。個人的事情ですが。
ついでに「国策操作」という主張にも答えておきます。
国家の機関が行うのですから「国策」であるのは当たり前
です。政治犯や思想犯が逮捕されたなら「国策捜査」という
言葉に意味を見つけますが、経済事件ですからね。
そもそも日本の法律は「性善説」に依って立ち、悪用を
試みるものを許さないのです。不備を突いた「脱法行為」で
裁けなければ、別件で裁くことのすべてを否定したとする
なら、六法全書は
「こちら葛飾区公園前派出所」
の全巻を軽く越えることでしょう。つまり、日常当たり前と
ことまで悪用されることを防ぐために明文化しなければなら
ないということです。
別件逮捕や国策捜査のすべてを肯定はしません。
かつて
「オウム真理教信者を不法侵入で逮捕」
した件は、ビラのポスティングが「事件」になったけんなど
やり過ぎですが、これにたいして、一部ジャーナリストから
批判の声が上がっただけで、善良な市民でさえ是認したことを
思い出します。
つまり「善良な市民」を基準に法律は運営されており、
「法律に触れなければ何をしても良い」
という価値観をメディアで繰り返した堀江貴文さんを
放置できなかったという点での「国策」だったとわたしは
見ています。
ある大手新聞社の記者がオフレコでこう語りました。
「以前なら逮捕までいかないケース。
(堀江貴文の登場で)適用基準が変わった」
この例えに悪意はありませんが「公害」が登場した時は
必要悪のようにみる向きもありますが、社会的悪影響が
顕在化すると「罪」となり「罰」が用意されるのと同じです。
最後に、堀江貴文さんを擁護する論に
「日本では出る杭は打たれる」
という主張がありますが、それは論理のすり替えです。
出る杭の出る方向が、善良な市民の迷惑になるから打たれ、
引っこ抜かれるのです。
誰の迷惑になった! と堀江貴文さんの信者は訴えるで
しょうが、私はいまでもライブドアホールディングスの株を
もっており迷惑は被っています。
その「微罪」と主張する粉飾による株価の上昇もみてきた
結果、投資した株券です。
ただね。堀江貴文さん個人に恨み辛みはないというより、
彼は私の個々の事業仕分けで目出度く「芸人」枠にいれたこ
とで今回ネタとして取り上げました。
それは「起業」「IT」「上場」と見事にブームにのっかり
「M&A」もそうでしたね。そこから転落するも、最近では
「検察批判」
で再ブレイク。お見事!
そして上杉隆さん、そのまんま東さんなどなど、芸人枠の
候補生達が、実刑確定に疑問を呈しているところなども
そのまんまで笑えます。
あ、失礼しました。東国原英夫こと「そのまんま東」さん
は現役の芸人でした。