回転寿司で酢飯を残す問題の実際と課題

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 一部、話題になっているのが「回転寿司で酢飯を残す問題」。

 低糖質ダイエットなどを理由に、回転寿司で「酢飯」を残してネタだけ食べる人の写真がツイッターに投稿され、ネットニュースが取りあげ、各種ネット系の著名人が話題にからみ、先日はTBS朝のワイドショー『ビビット』でも討論が行われていました。

 国分太一と真矢ミキの二人のMCの他の出演者が、それぞれに分かれ熱い議論を闘わせ、地デジの双方向機能を利用して視聴者の声を聞くという企画。

 結果は90%が「酢飯残しはダメ」、「残してOK」は10%。
 スタジオのタレントは、ほぼ半分ずつ。

 視聴者参加でこうきっちり分かれた結果に不信感を隠しきれませんが、あるいはフジテレビレベルに低視聴率が話題になる番組なので、10人しか参加していなかった可能性も捨てきれないとして、ともかく討論にならない結末で、「残してOK」に汲みしたタレントは赤っ恥です。

 もっとも、この手の「企画」は、打ち合わせの段階で、番組サイドによりあらかじめ色分けされ、本心と違う側に立たされることもあるのが、電波芸者の悲しさではあります。

 だから、本心かはわかりませんが、元経産官僚の岸博幸氏は、酢飯残してOK派。曰く「金を出したものをどう扱っても良い」。仮に演出があったにせよ、フィクションと明示していない番組での発言はオフィシャルとカウントして良いでしょう。

 小泉政権時代に、竹中平蔵氏の秘書官を務めたという来歴から、さもありなんという気がしないではありませんが、 金を払ったから何をしても良い。

 あまりにも身勝手な発想で、その究極は、違法と認定されない限り、よりお金を持つ者が勝つという野蛮への支持の告白です。個人の信条の自由は担保されなければなりませんが、こうした意見を当然のように垂れ流すTBSは、なるほど「ホリエモン」を重用するわけです。

 「もったいない論」は置きます。

 価格競争に陥っている回転寿司は、差別化と同時に合理化が求められ、合理化には「経費」も含まれます。

 残されたシャリは、店頭での再利用はできません。もちろん、廃棄処分です。ゴミ捨ての人件費も加算されます。それぞれはわずかでも、塵も積もれば山。

 街角レベルの八百屋でも、そこからだされるゴミは「事業系」として処理費用が発生します。ちょっとした繁盛店なら、毎月、10万円近い「ゴミ捨て代」が必要です。

 シャリを残された回転寿司店は、この費用負担を余儀なくされるのです。「シャリ残し」が常態化すれば、その負担はシャリを楽しむ普通のお客にも求められることでしょう。

 シャリ残しとは経営を圧迫する、店への嫌がらせ、営業妨害と同義です。金を払えば何をしても良いと考えるものは、こうした間接的迷惑を一切考慮していません。そういう人間性なのでしょう。

 店員のモラル低下も懸念されます。

 ときおり現れる、食洗機で身体を洗うなどの「バカッター」はともかく、従業員は店に愛着を持ち、そこで働くことに一定のプライドを抱くものです。外食を筆頭とする接客業の経験があれば、誰もが頷くことでしょう。

 ある主婦が、牛丼の「松屋」に務めだしたところ、本人は牛丼など食べないのに「すき家より美味い」と言い始めたのも同じ理由です。自分が務めている店への愛情が、ライバル店への敵愾心に結びつくのです。

 酢飯が残されるということは、完成品として提供した商品が否定されたも同然です。客への怒りは愛社精神の裏返しです。しかし、いまどきのチェーン店にとってお客は、歯向かうことの許されない暴君です。神様の慈悲などありません。店員がお客に文句をいうことは不可能でしょう。店長だってしかりです。

 好きと嫌いは同じものでできている。これは漫画家 西原理恵子の初期の傑作、というより不朽の名作である、叙情的4コマギャグ漫画「ゆんぼくん」で主人公の母「かあちゃん」に語らせた台詞ですが、商品を否定する客を放置する店に対し、従業員は抱いていた愛情を放棄し憎しみを手に入れます。反対の極に触れる心模様は振り子時計と同じです。

 そしてサービスは低下します。それはすべての客に等しく降りかかります。

 つまり、酢飯を残す連中のせいで、価格は値上がりをし、接客態度が悪くなります。悪貨は良貨を駆逐するのです。

 酢飯を残したぐらいで、という人間は接客業をしたことがないか、料理を作った経験などないのでしょう。酢飯を作る手間暇、味見をするときの不安と昂揚感、美味しいと言われたときの喜びへの想像力をもっていれば、金を払えば何をしても良い、という発想にはなりません。

 食が細く、どうしても食べきれないとしても、あらかじめシャリを小さくしてとお願いするか、残したシャリを隠して持って帰り、ひっそりと処分する心配りを、飲食業の経験者ならもっているものです。

 酢飯ではありませんが、今年から大学生になった元女子高生。JK時代にファミレスでバイトをはじめ「マジ、むかつく」と切れた相手は、

「ドリンクバーで一杯ずつ新しいグラスを使う中学生」

 でした。

 実際には年令を問わずいるのですが、乳飲料から炭酸飲料ならともかく、コーラからコーラへのお替わりでさえ、次から次へとグラスを利用してはテーブルに並べる客がいて、それに怒っていたのです。

 味が混じるからと、横から口を挟んだ3才下の弟を、烈火の如く怒鳴りつけた台詞が見事でした。

「そんなに敏感な舌を持っているならファミレスくんな」

 発言は要約ながら、けだし名言です。実際、ドリンクバーが始まった当初、グラスとカップはそれぞれでしたが、簡単なゆすぎ場所があり、ひとつのグラスを使い回したものです。

 この元JKにしても、必要に迫られてのグラス交換を否定しません。しかし、「同じ値段なら、新しいグラスの方が得」とばかりにグラスの無駄遣いをする客に怒っているのです。

 かように、客だから何をやっても良いとは、あまりにも自分勝手、自分だけのことを考えた話しです。

 そもそも店と客は対等です。そんなお客は追い出すべきと考えます。なぜなら、商売とは善意を下敷きとした「取引」であり、自社と他のお客さまの迷惑になるなら、拒否する権利を持つからです。

 テイクアウトならいいのか。食べ物を粗末にする前提の話しに同意はしませんが、それを止めることは現実的には不可能なのでノーコメント。

 もっとも、「酢飯残し」が社会問題になるとしても、もう少し後の話。

 酢飯問題を報じたのはネットニュース「J-cast」からですが、各回転寿司チェーンに取材をしても、酢飯を残すといった風潮は確認できないとの回答を記事に載せています。

 ネットを渉猟してみても、湯飲みにの残した酢飯を突っ込む写真や、十数個の酢飯を並べる外国人の写真などがありますが、どのサイトも「同じ写真」ばかりで、事例は少ないとみるべきでしょう。

 実際のネットでは、「スーパーで刺身を買って食え」や「最初からシャリ抜きを注文しろ」といったツッコミ殆どで、先の「真矢ミキ」でさえ、「最近の回転寿司は注文できるので、あらかじめ声を掛ければシャリの小さなお寿司をお願いできる」と、自身のエピソードを紹介しています。

 ショッキングなネタだったので、キュレーションサイトを名乗るコピペ野郎どもがのっかり、すっかり「ネット」が取材地となったマスコミが飛びついて、先の『ビビット』のように現実とも視聴者からもずれた「討論」を開催して上滑り。

 火のない所に煙を立てたというか、マッチで火遊びしている子供を見つけ、連続放火魔だと騒いでいるというのが本当のところ。

 ただし、今後についてはわかりません。『ビビット』のように実状を確認もせずに報じることで、既成事実化することがあるからです。まして、元経産官僚を筆頭に、「テレビに出ている人」の半数が「残してOK」と宣言しているのです。

 こうして社会は劣化していきます。
 ならばもう、テレビってなくなってもいいんじゃないかな。

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