「希望の党」に見つける絶望としがらみと独裁と


 いよいよ民進党が消えてなくなる日がやってくるかも知れません。事実上の引導を渡したのは小池百合子都知事。率いる新党「希望の党」が反自民の受け皿となり表を稼げるのではないかと、脱走兵が相次いでいるからです。

 この状況をお笑いタレント千原ジュニアが、TBS「ビビット」の2017年9月26日の放送でこう喝破します。

「裏で人気タレント司会の番組が始まる。まだ企画書もないけど視聴率を稼ぎそうだから、いまの番組を降板してあっちに移る」

 小池百合子人気に便乗しようとする連中だという指摘です。

 政治家は選挙に落ちればただの人、といいますが、それ以下でしょう。仕事と地位と名誉と、なによりそれまでの政治実績を否定されるのも同然だからです。

 その為、政治家という地位にしがみつきます。

 ひとりの人間としてその感情は理解しますし、共感も同情もしますが、それに権力を監視する使命を帯びているはずのマスコミが批判を加えないことは果たして正しいのでしょうか。本日(2017年9月27日)に開かれた、所属国会議員による「結党会見」を見る限り、烏合の衆、野合、選挙互助会の印象はより強まりました。

 党名に掲げた「希望」が、私には「絶望」に見えてしまいます。

 9月16日の朝日新聞から吹き始めた「解散風」で、安倍晋三首相が正式に発表する前から「解散総選挙に大義はあるのか」とネガティブキャンペーンが張られました。

 対して「希望の党」の結党に「大義」はあるのか、問いただしたマスコミは皆無です。

 八代英輝弁護士はレギュラー出演するTBS「ひるおび」のなかで大要こう述べています。

「そもそも大義があった解散などない。郵政解散など筋論としておかしい。選挙はこれまでの結果と、これからの政治を任せる人を選ぶためのもの」

 私は憲法改正を掲げる安倍首相が打つ解散には、常にそれを実現するという「大義」があると考えますが、八代氏の指摘に概ね同意します。

 アンチ自民、安倍降ろし的な論調が目立つ「ひるおび」のなかで、今年の6月までは、番組の方向性に同調する発言が目立った八代氏ですが、7月に衆参両院で開かれた閉会中審査以降、立場を軌道修正し、是々非々のバランスがとれた意見を述べています。

 政治やニュースを取り扱う番組とはいえ、番組の方向性はプロデューサーやディレクターが決め、それに添った人選が為されます。だから出演者が好き勝手に話すことは基本的にはできません。

 閉会中審査を巡る報道では、獣医学部新設について「歪められていた行政が正された」と証言した加戸守行前愛媛県知事の存在を一切触れなかったことで、ネットを中心に高まった「偏向報道」に対する「言い訳」として、八代英輝弁護士の立ち位置を変えさせたのかも知れません。

 話を戻します。

 新党結成直前、小池百合子氏は小泉純一郎元首相に会い、政策相談などをしたと自ら告白し、ネタを提供します。アンチ自民、反安倍の文脈から指摘された「大義」論で、たびたび取り上げられたのが小泉純一郎氏による「郵政解散」です。

 八代英輝弁護士が指摘した筋論としての「郵政解散」をここで振り返ります。

 小泉純一郎氏という政治家の悲願が「郵政民営化」でしたが、これには功罪があり、既得権を守りたい抵抗勢力がいたことも事実ですが、全国一律に同等の品質を提供するユニバーサルサービスを堅持するために、安易な民営化は危険だという主張にも説得力がありました。民営化による価格転嫁も懸念され、実際、今年に入って「ハガキ」が値上げになっています。

 また、郵政民営化の真の狙いは、莫大な金融資産である「郵貯」にあるとされ、それを狙う米国の意向に従うだけで、国富が流出するという懸念もありました。

 そんななか、郵政民営化のための法案が「参議院」で否決されました。これをもって小泉総理は「衆議院」を解散し総選挙に打って出たのです。参議院の否決で衆議院の解散、理屈に合いません。

 郵政民営化に賛成しないものを「抵抗勢力」と認定して自ら総裁を務める自民党から追い出し、選挙区には「刺客」を立て追い詰めます。

 いうまでもないことですが、政治は郵便事業だけではありません。それを郵政民営化という「ワンイシュー」で解散総選挙を実施したのです。

 この手口が正当化されるのなら、そもそも政治家は不要です。すべての法案を「国民投票」で決めれば良いのですから。つまり郵政解散は大義どころか、代議制の民主主義から外れたものだったのです。

 郵政解散に「大義」を重ねることが筋論として違う理由です。

 もちろん、こうした政治的な手口すらも、手腕と呼び替える小泉流政治を国民が選んだのですから、その民意は優先されなければなりません。再び郵政民営化法案がまわってきた参議院はしぶしぶそれを認めます。政治とは妥協の芸術です。

 それでもまだ、郵政民営化という「政策」があっただけ、いまの小池新党を巡るうごめきよりはマシと言えます。

 小池新党こと「希望の党」の政策をウィキペディアから見てみます。

・希望の政治
 1)しがらみのない政治
 2)議員定数・議員報酬の縮減
 3)行政改革・徹底した情報公開
 4)真の地方分権の確立
・希望の社会
 1)女性政策など、ダイバーシティ政策の確立
 2)多様な教育(奨学金、高度研究、生涯教育)
・希望の経済
 1)消費税対応、実感できる景気回復の実現
 2)ポストアベノミクスにかわる成長戦略 不動産の有効活用 AI 金融
・希望を守る環境・エネルギー
 1)原発ゼロとゼロエミッション社会への行程作成
 2)フードロス対策など
・憲法改正
 1)希望溢れる日本の礎

 ・・・物書きの端くれとしてみれば、これはボツになるどころか相手にされないレベル、耳あたりの良い言葉を抽象的に並べただけです。言葉の間違いすらあります。「希望の経済」の項目にある「ポストアベノミクスにかわる成長戦略」とは、アベノミクスの次にあたる「ポストアベノミクス」に替わるということですから次の次。次も決まっていないのに、その次を考えるということ。無理です。

 テレビ朝日「モーニングショー」で、政治評論家の田崎史郎氏がこれを指摘し、番組MCの羽鳥慎一氏も疑問を感じたと述べてから「インコースの内角攻め」と嘲笑していました。当然でしょう。

 なにより「希望の○○」と並ぶ「政策」が抽象的というより、恣意性の象徴であり恐ろしさすら感じます。

 Aさんにとっての希望が、Bさんにとっての絶望になることがあるように、希望とはその人の心の持ちようであり、置かれた立場により替わるものです。

 一例を示します。

 豊洲市場への移転は紆余曲折を経て、しぶしぶの面はありながらも、築地市場関係者にとって概ね「希望」でした。これをちゃぶ台返しで延期し、中止も匂わせたことは築地残留派にとっての「希望」でしたが、豊洲移転容認派にとっては「絶望」となります。

 泰然鳴動してネズミもろくにでなかった結論「築地は守る、豊洲は活かす」とは、盲目的な筑地残留派にとってだけの希望で、業者が分断されることで市場全体と、豊洲市場の活性化のために集客施設を準備していた「万葉」にとっての「絶望」です。

 希望とは実に主観的なもので、政策として掲げるには実に危ういものなのです。

 この現実を踏まえず、濫用される「希望」の主体は誰にあるのかと、長文読解の国語のテスト風に答えるなら「小池百合子」が模範解答になることでしょう。巷間皮肉られている「自分ファースト」のまんまです。

 おかしな言葉は一丁目一番地に掲げている「しがらみのない政治」に代表されます。「しがらみ」とは関係性で、負の面ばかりではありません。人間関係から情報を得ることもあり、調整力が働くこともあります。

 なにより人間社会の現実において「しがらみ」がなければまわらないことの方が多数です。親子、兄弟姉妹、友人、町内会、同級生、同窓生、同僚、取引先。これらをすべて断ち切って、某かのプロジェクトを完遂するのは困難を窮めます。

 友人に専門家がいればそれを頼り、その恩に報いるために法律の範囲内、できる限りで便宜を図り、利益を供与するのは常識です。ましてや恩と恨みと情と縁で動く「政治」において「しがらみ」を絶無にすることは不可能です。

 旧来からの不要な既得権の打破という意味だとしても、その既得権を打破した後に、すべての政治がドラスティックに行われるかといえばそんなことはなく、新たな「しがらみ」が生まれていくことは「都民ファーストの会」の運営をみれば明らかです。

 都議会選挙では代表だった小池百合子氏は、選挙が終わると側近で特別秘書を務める野田数氏に席を譲り、さらに都議会一回生の元秘書に代表の玉座が、所属議員の同意のないまま禅譲されます。これは「しがらみ」ではないのでしょうか。

 今回の衆院選挙において、都議会選挙で協力関係にあった「公明党」の前党首の太田昭宏氏の出馬が予定される東京12区に、希望の党から候補者を立てないのは、そのまんま「しがらみ」です。

 それとも「良いしがらみ」と「悪いしがらみ」があるとでもいうのでしょうか。それを有り体に言えば「独裁」です。

 例えば都知事職ならば、小池百合子氏ととりまきによる一人親方的個人経営ということもできますが、都議会を子分で集め、さらには国政も自らに忠誠を誓うシンパを送り込み、その先に本人が国政復帰して総理を目指すとは、ナチスの轍に重なります。

 小池氏は10月22日とされる衆院選にでることを焦る必要はありません。例えば若狭勝氏が出馬するであろう東京10区は、以前は小池百合子氏の地盤で、小池出馬にあたって、彼が辞職して席を譲れば、いつでも国政復帰は可能です。

 第一次世界大戦において背負わされた巨額賠償のために疲弊し、絶望の淵を彷徨っていたドイツ国民に希望を与えたのがナチス党でありヒトラーです。

 とつぜん悪魔が降臨し、大衆を洗脳し、指導者になったのではありません。人々に「希望」を与えて票を得て政権を奪取しました。

 こうした歴史と、いま都庁と永田町で起こっている騒動を重ねてみたとき、希望の党とは実に皮肉な名前です。

 議員定数や報酬の縮減は、庶民の喝采を集めますが、本来は費用対効果から測定しなければならず、小池氏が繰り返す「ワイズスペンディング(賢い支出)」とは相反するものです。

 初期投資は高くても、ランニングコストが数字の上では割高にみえても、それ以上の効果を得られるなら、それを選択するのが「ワイズスペンディング(賢い支出)」だからです。減らせば良いというものではありません。

 そもそも、先にも触れた豊洲移転を先延ばしにしたことで、年間240億円も無駄金が垂れ流されています。小池都政を見る限り、とても賢い支出ができるとは思えません。

 「真の地方分権」にしても、それが何を指すのかが示されていません。なにかと比較される関西地域政党から出発した「維新の党」が掲げた「道州制」のような具体策が示されていません。

 今後、示されるかもしれませんが、政策や理念を旗印に人が集まるのが「政党」からすれば、これも筋論から外れています。

 走り出してから考える「ベンチャー論」は通じません。なぜなら小池百合子氏はすでにベテラン政治家であるだけでなく、何度も新党結党に立ち会っているプロ。番頭格の若狭勝氏でも2期、通算3年、ネットでは過去の女性アナウンサーとの不倫から「モナ男」と呼ばれる細野豪志氏は、2000年の初当選から17年のキャリアを持ちます。

 それが具体的な政策を「これから」とするなら、何も考えていないのと同義です。

 ネット配信されていた結党の記者会見を見ましたが、残念ながら具体策はなし。「しがらみのない」や「改革的な保守」といった、漠然とした言葉を繰り返すだけで、党の代表である小池百合子氏は都知事の仕事で途中退席する有様。

 ただし、自由で民主的な我が国では、どんな学力でも知能程度でも、被選挙権があれば立候補できます。だから立候補は自由ですし、空疎なキャッチコピーを繰り返す代表と政党であっても、その権利は守られなければなりません。

 問題はやはり「マスコミ」にあります。

 つい数日前まで「解散に大義はあるのか」と安倍首相や自民党には言いがかりのように問い続けました。

 ならば返す刀で「希望の党」を結党した大義を問い、政策の矛盾点を斬らなければなりませんが、なぜか舌鋒が鈍ります。反安倍をこじらせ過ぎて、正しい批判ができなくなっています。

 大半が民進党で、わずかながら自民党がいて、「日本のこころ」の中山恭子氏も参加し、記者会見をすべてみても、貫く理念は見つかりません。小池百合子のため、選挙のための政党です。

 結論です。

 野放しはともかく、反安倍のあまりにただしい批判を加えずに、希望の党を称揚した暁に、政権交代まではいかずとも、彼女らにキャスティングボートを握らせたときに待っているのは小池劇場「都政編」が上演している「独裁」か、あるいは政治家であり続けるという私利私欲のための選挙互助会の会員による、次の選挙で受かるためのパフォーマンス合戦という群像劇、平たくいえば混乱です。

 我が国を滅ぼすのは北朝鮮の核とミサイルではなく「マスコミ」かもしれません。

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