中国の民主化がもたらす世界の危機

 先日、いま話題沸騰中の「マイケル・サンデル」ハーバード大学
教授が日本テレビのバラエティ番組で「講義」を開いておりました。

内容を要約するとこうです。

「ブレーキも警笛も壊れた電車の進行方向に5人の作業員がいる。
運転手であるあなたはどうするか?」

つづけて

「よくみると側道があり、そこには一人の作業員がいる。
そのまま進めば5人を殺し、ハンドルを切れば1人を殺すことに
なる。あなたならどうするか?」

これに自民党の石破茂さんは明確に答えます。1人を殺すと。
それを決断するのが政治の仕事であるとは私の意訳です。

その答えへの明言をさけ、マイケル教授は次の例示をします。

この時点で私は苛立ちました。理由は単純。

「人にものを尋ねたのなら、相応の態度で答えるのが礼儀だろ」

・・・ま、テレビは編集もあるので、そこはグッと我慢します。

「実はあなたは高台からこの様子を見ており、隣には巨大な大男が
いて、彼を突き落とせば5人を救うことができます。
さて、どうしますか?」

馬鹿馬鹿しいので、ここまで。マイケルの結論は、次に北朝鮮に
よる日本人拉致を、これまた突飛なケースと比較して、どちらかと
聴衆に迫り、結論は

「どちらも正しくて、これが哲学だ」

とのこと。ふーん。

まず、大学では哲学と呼ぶのでしょうが、私の知っている
下層社会でこの論法を使う人を「詐欺師」と呼びます。まったく
違う価値観をさも比較対象できるかのように並べて、どちらかし
か選べないように迫るのは、安物の絵画を価値あるものと前提し
た上で

「現金で買うか、ローンを組むか」

とせまるシーンに似ています。

「どちらも正しくて、これが芸術だ」

とね。

たとえ例え話でもおかしいものはおかしいと指摘しなければ
素人が哲学に出会うのは難しいでしょう。専門家ではないおまえが
言うな・・・というかたはこの質問にどう答えるでしょうか?

「死ぬほど空腹の時に他人の庭にいたニワトリが卵を産んだのを
見た。あなたは卵を盗んでそのまま食べますか?」

この質問のポイントは「そのまま」。日本人にとって生卵は
違和感なく食べ物ですが、ある欧米人はこういいました。

「蛇じゃないし」

卵の生食文化がなければ、そのまま食べるという行為そのものに
抵抗を感じ、哲学的思考に辿り着くのが難しいということです。

多くの日本人がマイケル教授の設定に違和感を覚えるのではない
でしょうか。以下、列挙します。

1:作業員は列車の運行時間を知っていたのか
2:現場監督、運行管理者はなにをしていたのか
3:列車のブレーキが故障し、警笛まで使えないのは整備不良に
よるものではないか

運行ダイヤが正確で当然と思っている日本人にとって、まず
そこがひっかかります。

次にすべての機械は正常に運行していると信じる日本人には
ブレーキも警笛もきかない状況に違和感を覚えます。

ついで、人数的に1人を殺す選択は合理的に見えますが、1人は

「時刻表からこの時間はこの線路に列車は通らないから作業を
していた」

となればどうでしょうか?

さらに、丘の上で見ていたとして、大男を突き落とすのが鉄道
会社と無関係で、さらに、国交省の職員でもなければ、

「国民の生活が一番」

とニタニタ笑う政治家でもない人間を、不注意で作業している
5人(だとして)を救うために犠牲にしろということに「道理」
が通りません。

日本人は命の軽重よりも「道理」や「義」を優先する思考回路
がある・・・、失礼、昭和の頃まではありましたし、私は装着し
ています。

道理や義を優先すると人数では割りきれません。
そしてこの思考を「非合理的」と非難されても、哲学とは
その国の文化を構成するひとつで、日本人からすれば

「アメリカ人如きに言われる筋合いではない」

如きの前を中国人に、韓国人に、パプア・ニューギニアにおき
かえても同じです。

バラエティ番組に目くじらを立てるのも大人げないのですが、
「哲学」とは、それだけが切り離されたすべての人類に共通する
などというのは妄想に過ぎないということです。

マイケルの批判ではありません。ただ、自説のための我田引水
は、結論に向かうために都合の良い状況設定や、論説を引っ張り
だすので気をつけましょうねと言うはなし。ちなみに、今週の
Web担当者Forumの原稿では正反対のことを書いています。
それは「商売用コンテンツ」とは、自説の都合にあわせて作る
もので、その視点に立てばマイケル・サンデル教授の論理展開は
絵画商法並みに役立ちます。

あいすいません、いつも通りここまでが「前置き」。

世界中で「民主化ドミノ」と大騒ぎしています。
テレビでラジオで新聞で、そしていつもは既存メディアの報道
にはすべて否定的な「ネット系ジャーナリスト」まで歩調を
あわせます。

なかには「なぜ、既存メディアはエジプトを報じないんだ」と
主要新聞が全紙、朝刊で報じた朝にツイッターでこうつぶやいた

「佐々木俊尚」

さんのような勇み足もありますが、概ね好意的に報じます。

それは政変にフェイスブックやツイッターが使われたことも
大きいでしょう。そしてなにより「民主主義」への盲目的礼賛が
あります。ネット系は「地球市民」という幻想を抱えており、
その思考回路はルーピー鳩山に似ています。私がネット業界の
「言説」に否定的なのは、このルーピー的コスモポリタンを
まったくもって信用していないからです。

そして民主主義の礼賛派は

「独裁政治と民主主義、どちらが自由か?」

と、結論に導くためのレトリックで、民主主義の参加者全てが
自由だと誰が決めたのでしょうか。民主主義の結論して独裁を
選び、自由な報道を規制する可能性だってあるのです。

そしてアラブ諸国で「政変」の後に必ず民主主義国家が生まれ
るという保証はありません。逆に独裁者による強権で保たれてい
た平和が脅かされることもあるでしょう。部族が社会の基本単位
である彼らの常識は、われわれとは異なるのです。

もちろん、これはその国の住民が決めることであり、どちらが
良いとも悪いとも言いません。

ちなみに我が国のことを考えれば、中東諸国の安定が崩れるこ
とは危険です。産油国であることで、日本のライフラインへの
危機はもちろんですが、相対的に露西亜の国力が高まるからです。

ご存じでしょうか。いま、世界最大の産油国は露西亜なのです。

外貨を手にした露西亜がジャイアンの本性をむき出しにするこ
とは誰もが知っていることです。アラブ諸国の民主化のために
日本の安全保障が脅かされかねない事態に、諸手を挙げて喜ぶ
行為を私は「国賊」と亡父に教わっています。地球市民から見れば
狭小なと侮蔑されることでしょうが、私は日本人。日本のことを
第一に考えるのです。

この「革命運動」が中国に波及すると、ジャーナリストは色め
きだちます。そこに全共闘の影を見るのか、ジャーナリストは
革命に好意的です。

さて、中国で民主化が進んだとします。国民が共産党一党独裁
を打倒したさきにどんな政権が生まれるでしょうか。

中国国民が選ぶことです。日本鬼子(日本人への蔑称です)の
関知するところではない・・・とは言い難い問題があります。

中国はいわずとしれた「核保有国」なのです。共産党が倒され
ても人民軍が残っていればと楽観視はできません。上に方策あれ
ば下に対策があるくにです。

思い出してください。

「毒餃子を横流し」

していた国民のいる国です。

共産党崩壊のどさくさで「核兵器の横流し」がおこらないと
だれが保証できるでしょうか。

核兵器はその管理が難しいとされ、維持費にもお金がかかり
ます。一計案じ、はりぼての外見だけを残して、中身を売り飛
ばす可能性ははたしてゼロでしょうか。

いまは、中国共産党と人民軍が睨みをきかせています。

睨みが消えた時に、維持費負担が大きく、売り飛ばせば
莫大な利益を生む「商品」を目の前にして心は動かないでいら
れるか。

我々、日本人の発想からすればあり得ない話しです。
また、国家への帰属意識を持つ欧米人なら、安全保障の観点か
ら他国に売り渡すことに躊躇するでしょう。

しかし、それは日本人と欧米人の「哲学」であって、はたして
中国人も同じ「哲学」をもつのか。現代中国人の哲学の「利益」
を軸にして構成されていることを忘れてはなりません。

中国の民主化を否定はしませんが、礼賛するほど脳天気に
私はなれないのです。

そしてなにより哲学的に問いかけます。

「民主主義はそんなに良いものか」

菅直人さんと小沢一郎さん、そしてルーピーの顔を思い浮かべ
てから400字以内に答えよ。なお句読点、カギ括弧も一字と
数える。

 

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