ダメっていわなかったじゃん

 衝撃映像流出! という文字に新手のアダルトビデオを想像した
国民は男子限定で150人ほどいたと推察しています。

もう、民主党に語る言葉はないのですが、しかし、歯を食いしばり
伝えなければならないことがあります。それは

「選んだのは国民」

昨年の衆議院選挙で民主党、及び、立候補者に票を投じた

「あなた」の責任です。

弱腰、もとい柳腰内閣かどうかまで分からなかったにしろ、
ご近所関係との付き合い方、親分米国との距離感は「宇宙人」が
すでに述べていたこと。

それを「知らなかった」としないために、選挙権は分別があると
される年齢まで与えられないのですから。つまり、尖閣も北方領土も
円高についても、民主党に票を投じた国民のひとりひとりが、自分の
責任受け止めなければならないのです。

耳が痛いでしょうが、もっと踏み込みます。

「民主党を勝たせた野党支持者も同罪」

これは消去法的自民党支持者のわたしが背負うべき十字架です。
国難ともいえる民主党政権誕生を阻止することができなかったのは
野党支持者の責任なのです。

あの占い師ではありませんがズバリいいます。

大人になってからの知らない、わからない。は、「罪」に属すの
です。

・・・えぇ、自由な言論のなくなったネット界のために、
補足しておきますが面倒くせえなぁ・・・コホン、本音が・・・
知らない分からないを罪とするのは

「フェルマーの定理」

についてではありません。あるいは

「好きな異性の気持ち」

でもなければ、

「100%口説き落とせる夜景の見えるレストラン」

の話しでもありません。いわゆる「常識」に属することです。
常識とは社会生活においての「お約束」で、これを大人になって
「知らない」ということを問題視するのであり、それは民主党が
子供手当を筆頭に外国人参政権など、禍根を残すマニフェストを
あげていたことを「知らなかった」というのは論外で、また、
小沢一郎さんの「アイラブチャイナ」という性癖から推察すれば
自ずと見えた結論を「分からなかった」とするのは如何なものか
という疑問に繋がるということです。

ちなみに外国人地方参政権が認められたとします。
私が中国人(あるいは台湾人)ならば、尖閣諸島のある石垣市
に大量に国民を「移住」させ、傀儡議員を送り込みこう議決させ
ます。

「尖閣諸島は中国に属する」

国政レベルでの法的根拠はありませんが、それを「民意」とし
て、あるいは日本国に虐げられる「難民」として、中国海軍を
派遣して「救出する」というプランはどうでしょう?

荒唐無稽と、いまなら笑えないのではないでしょうか。

しかし、「中国」が踏み荒らしてきた道程を辿れば、これは
「常識」に属することです。

その「常識」が崩壊しつつあります。

ただし、ここでもエスケープをいれておきますが、「常識」は
時代と共に変化するものと、そうでないものがあり、また変わった
としても、使うツールが変化しただけのものと、本質的なゆがみとは
異なります。

ちなみに先ほどからちょくちょく中断していることは、本来は

「文脈から読み解く」

もので、流れを遮り説明する類のものではないのが「常識」で
これは他の世界では現存していますが、「ネット」では、自分が
思ったことが唯一の真実であるということが「常識」と信じている
人が多く、彼らの理解力に合わせて、注釈を入れています。

あ、彼らと書きましたが、彼女も含むことを・・・あ、スイマセン。
あまりの面倒さにかえって面白くなってしまいましたが、ここからは
一般社会での理解力を前提に話を進めていきます。

まぁ常識とは、そこに存在する人間の価値観に左右される面は
仕方がないとはいえ、その許容範囲を超えて「常識」が壊れつつ
あります。

愛する妻の葬儀。ご主人は喪主。不惑も曲がり角を迎え、人生の
完成を目指すべき年齢で、先だった妻は40才。

さぞ、悲しいことでしょうという涙も乾いてしまうのは彼の
ファッションを見てのことです。

一応、喪服らしき黒のスーツはきていますが、ネクタイはだらしなく
鎖骨の下辺りでかろうじて交差しているだけでぶら下がり、耳を飾る
ピアスまでは責めないとしても、靴下は綿で白地に模様がはいって
おり、まるで中学生です。さらに足下に視線をスライドすると、
黒の革靴ではなくよれよれになった茶色のモカシンのかかとは踏み
つぶされています。

生活が苦しいとは聞いていたので洋服にお金をかけられなかった
というのは理由になりません。それは日頃の彼の手指はジャラジャラ
と、少なく見積もってもスーツ量販店で喪服を買うぐらいの装飾品で
飾られているからです。

それはそれ、これはこれ。が、通じるのはどれだけ贔屓目に見ても
30才前半まででしょう。かつては、二十歳をこえたら冠婚葬祭一式
は揃えておくものだといわれていました。少子化の両親のもとに生まれ
育てば、30歳ぐらいまで身内の慶事と不幸に出会わないかもしれな
いという想定を踏まえて30才前半としたのは「常識の変化」として
です。

悲しみにくれる気持ちはわからんでもありませんが、喪主という
のは故人を偲んで足を運んでくれた他人様に、故人のかわりにお礼
を述べる役目があり、みだしなみは整えるのが常識です。仮に金が
なく、時間もなかったとしても、靴のかかとは踏まず、ネクタイを
しっかりしめることに「追加料金」は不用です。

あるいは困ったときはお互い様です。友人や親戚に借りるという
方法は「常識」の範疇です。

彼に友人がいないわけではありません。会社の同僚に草野球の
なかまなど、弔問客は20人を越えているのですから、誰かひとり
ぐらいは予備の喪服をもっているか、「友達の友達」に借りる
ことは困難ではありません。

しかし、友人を責めるのも虚しい話しです。類は友を呼ぶのですから。

親戚に頭を下げるのがイヤだった・・・という言い訳を私は認め
ません。自分のプライドと愛する妻に恥をかかせないという「常識」
があれば、下げる頭は筋トレと大差はありません。私は実益のために
15才で、父親の知らない母親の愛人に頭を下げた少年を知っていま
す。喪主の彼は40才を軽く越えているのです。頭の下げ方など
「常識」以前の話しです。

他にも多々ありますが、それはいいでしょう。というのは、彼は
彼の常識と彼の常識が通じる世界で生きているからです。問題は
彼の常識が子供に「相続」されることです。

中学生、高校生になっていた故人の子供は制服で列席しますが、
どちらもネクタイはだらしなく、詰め襟のホックは開きっぱなし、
靴のかかとはふみっぱなしです。

貧困の世襲による格差を騒ぐ連中がいますが、その最大の問題は
学力格差や資産の相続ではなく

「常識」

にあると断じます。

つまり、こういうこと。

・好き嫌いなく食べろ
・勉強をしろ
・遅刻はするな
・忘れ物はしない

などなど、一般社会を生きる上での「常識」がないまま、学校に
通えば、人格形成と学力に開きがでるのは当然です。あるいは

・質素倹約

を学ばずに育てば、得た収入は享楽に投じ、愛妻の葬儀に着る
喪服を用意する術がなくなります。

人間は基本的に自分が好きです。これは本能で「自己肯定」す
るからこそ、人間は生きていられるのですが、その結果、

「常識がない自分を肯定」

することを止める術はいまはありません。
それこそが「常識の崩壊」の最大の理由です。

この喪服の話しを聞いた半分以上の人が

「それぞれだからね」

と「常識外れ」という認識は共通しながらも、それを「許容」
してしまう社会になったことです。

かつては「常識がない」ということは、まっとうな人間ではない
と同義で、言葉を選ばずに言えば「非健常者」といっても過言では
ありませんでした。ところが「個性」と「人権」、さらには

「プライバシー」

の拡大解釈により、「常識」を白眼視する風潮がうまれたという
のが私の見立てで、大袈裟に言えば「国家崩壊」の一要因になり得
るという危機感を抑えることはできません。

常識とは人間社会を営む上で、明文化されてない大切なルール
です。すなわち、常識がない人はルールを知らない人間で、そもそも
ゲームの参加資格がなく、許容するひとはルール破りを認めている
共犯者です。

なにもそこまで・・・というのは「常識」のない相手に、常識が
ある前提で話すからおかしなことになるのは、中国漁船の公務執行
妨害&領海侵犯&違法操業事件で明らかでしょう。彼国と我が国では
常識の定義が異なるので、我が国の常識でおもんばかったとしても
彼国でそれを「土下座」とみるようにです。

常識のない人間はこう考えます。

「明確なる反対を表明しない消極的賛成」

そして増長します。

これを平たく言えばこう。

「ダメっていわなかったじゃん」

・・・この台詞を菅直人首相、仙石官房長官。どちらもいいそう
であることが一番おそろしいことなのですが。

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