年1400万部、隠れたベストセラー

 ロシアと中国にやりたいようにやられていますが、もういう言葉
がみつからないというより「コピペ」で充分となれば、読者に失礼
と政治経済については棚上げしたおります「そもそも論」。

お陰様で沢山の反響を頂いておりますが、今回は「時事」と絡む
そもそも論。「民主党」は楽しませてくれます。

国民の良識の片鱗がみえたのが、この週末に日経新聞とテレビ東京
が行った世論(せろん)調査で、菅内閣の支持率が暴落したことです。

あの「事業仕分け」の神通力も賞味期限を迎えたというよりは
こういう気分なのだと見立てています。

「ってかさぁ、政治家の普通の仕事ジャン」

パフォーマンスに浮かれ、役人をやっつける様にやんやの喝采を
あげた国民が、冷静になり、無駄の削減や役人を指導することは

「通常業務」

だと気がついたことも「政権浮揚」につながらなかった理由では
ないでしょうか。路線バスの運転手がバス停でバスを止めても誰も
拍手をしないようにね。

そしてこれは多くの識者が指摘しているように、政権を担当する
与党になったのだから、「仕分け」をしなくても、自分たちで予算の
配分の大枠を決められるようになっているので、パフォーマンス
以外の何者でもないと気がついたことも多いでしょう。つまり、

「事業仕分けなどいらない」

が、そもそも論なのです。反自民を色濃く出すためのパフォーマンス
として昨年までは効果がありましたが、ここまで弱体化した自民党に
責任を押しつける様をみた国民が「弱いものイジメ」と捉える日も
そう遠くないことでしょう。

一方、民主党支持者の反論として耳にするのが

「議論を透明化させた意義はある」

というものですが、もちろん、その功績は大・・・ですが、
小沢一郎さんに中国漁船問題を筆頭に行われているのは

「密室政治」

どころか

「ノー議論政治」

こんなご都合主義を信頼する日本人はマイノリティーです。

そんな「事業仕分け」で、すっかり「悪代官」というレッテルが
お似合いの風貌になった枝野幸男議員がこうおっしゃいました。

「送ってきてもらっているけれども、見もしないで、
ごみ箱にすみません、わが家も入っています。
そういう人は多いと思いますよ、いい悪い、別として」
(フジニュースネットワークより引用)

これは「ねんきん定期便」の事業仕分けでのひとこま。

言葉尻をつかまえるようで恐縮ですが「いい悪い、別として」と
いう表現は「悪い」、あるいは「好ましくない」と自覚しているときに
用いる表現とであり、枝野議員はそう認識しながらもゴミ箱に
ポイしている様をみてリア・ディゾン嬢はなにをおもうでしょうか。

そもそも論なので端的に述べます。

「枝野が悪い」

あえて呼び捨てにしたのは公的立場のお方が、さらに公的性質が
強まる与党の方が、国の制度として運営されているものを「私見」
により判じていること、なにより「見る」こともせずに「無駄」と
したなら枝野氏の思いこみと了見だけで日本国の方針が決まるという
可能性まで発生します。

例えば親戚友人の数人にでも電話をかけて「定期便見てる?」
あるいは「ツイッター」で呼びかけてもいいでしょう。そもそも
毎月100万円支給されている

「文書通信交通滞在費」

とはこういう時の調査に使える大金ではないでしょうか。

本当に「無駄」と思うなら、「無駄」となっている実態や、
実際に定期便から無駄の論拠を拾うのが真っ当な大人のすること
ですし、そもそも「議員」の仕事です。

あきれてものが言えませんが、同様のことが春にもありました。

「年1400万部、隠れたベストセラー」

とこれは、蓮舫さんどころか、マスコミも国民までもこぞって
嘲笑した「講習用教本」です。

運転免許の更新時に配布される(事実上は買わされる)交通法規や
運転の心得などが書かれた小冊子ですが、この製作会社に天下りが
ごっそりいて、無駄だというのはいいでしょう。しかし、多くの
嘲笑が

「あんなもの読まない」

だったことです。

それでは問います。以下は正しい行為でしょうか。正しい場合は
○を、間違えているなら×をつけなさい。

1)黄色信号は止まるほうが望ましいが、
やむを得ない場合はすみやかに通過してもよい

2)歩行者が対向車に気づかずに飛び出し、危険そうだったので、
クラクションを鳴らして教えてあげた

よくあるひっかけ問題です。
どちらもNoです。黄色は「止まれ」で、間違っても

「黄色当然、赤挑戦」

ではありません。そしてクラクションは「警笛鳴らせ」の標識に
従うもので、自己判断で鳴らすものではなく、飛び出しそうな歩行者
を発見したら、徐行するか停車して待つ、あるいは窓を開けて大声
をだすのが正解だったと記憶しています。

私はいわゆる「教則本」を貰う度に、大凡目を通し、うろ覚えに
なっている法規を確認します。なぜなら

「自動車は凶器」

にもなりますし、みんなが

「法令遵守」

している前提でなりたっているからです。あと

「知らなかった」

ではすまされないのですから。

いい子になりたくてそうしているのではなく、「我が身を守る」
ためといってよいでしょう。

だから本来は「読むべき」なのです。
もちろん、インターネットやいまなら「iPad」を使っての配布で
予算を削るというアイデアを否定しません。紙にこだわる必要も
ありません。

しかし、日々の運転、知っている道を走行しているだけでは
忘れてしまう交通ルールがあるのもまた事実で、チンチン電車(
路面電車)が走っていない地域、踏切のなくなった街では見かけ
ない標識は多く、また、自動車に「中型免許」ができ、後部座席
のシートベルトが義務化されるように交通ルールも日々変わり、
これらを確認するためにも、某かの「再勉強」は必須なのです。

これが「そもそも論」です。

そして政治とは「そもそも」の上に立脚するものであり、
下賤で欲望に負ける我々のような庶民を教え導くものでなければ
ならないところを、下々同様に「みない」「よまない」と公言す
ることを言語道断というのです。

これらを「言葉尻」とするには「事業仕分け」で飛び交う言葉
は軽く、そもそも論の「そもそも」が庶民に迎合したものが多く
それは

「水は低きに流れる」

を体現しています。

そして私はニタニタという笑いが止まらずに、毎日笑いに困る
ことはありませんが、日本の将来を思った刹那、眉間にしわが寄っ
てしまいます。
 

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