「保育園落ちたの私だ」では絶対に解決しない保育園問題

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 保育園を巡る騒動、というか喧噪。この手の主張は、わが街足立区でも何年か前から起きており、3年前には子育てママが、ベビーカーで区役所に押し寄せ、テレビなどで報じられていましたが、なぜか革新系組織や、日本共産党の手引きについては報じられません。

 弱者に寄り添うという美名を隠れ蓑にしても、地方議会議員が某かで関与していれば、それはニュースバリューがあることでしょうに。というよりも、都合良く抗議活動にテレビカメラや、新聞社の取材が入っている時点で、手慣れた活動家が関与しているのです。

 それを悪いとは言いません。広報なんてそんなもの。ただ、読者、視聴者にとって、政治活動と自然発生的な市民の活動では受け止め方が異なり、ならば正しく背景を伝えなければならないはずが、報道しない自由を行使します。これも「偏向報道」のひとつといってよいでしょう。

 そしてこちらも、そのひとつ。毎日新聞への精神科医でありタレント、最近では活動家として著名な香山リカ氏の冒頭。

《子どもの保育園への入園を断られた母親が「何なんだよ日本。1億総活躍じゃねーのかよ」と強い口調で抗議の言葉を書いた匿名ブログが話題になった。国会で野党議員がこれを取り上げ、「言葉は荒っぽいが、本音、本質だ」と待機児童解消や保育士の待遇改善を安倍晋三首相に迫ったところ、議員席から「誰が書いたんだよ」などのヤジが飛んだ。首相自身は待機児童の問題は重大であることを認めながらも、「匿名である以上、実際起こっているか確認しようがない」とも述べた。》
http://mainichi.jp/articles/20160308/ddl/k13/070/124000c

 ニュース報道ではなく、著名人のコラムということで見逃されますが、この書き方では

「保育園の判断」

 となりますが、正しくは自治体の基準に沿ってのこと。そしてこれを国会の場で問うたのは民主党の山尾志桜里(愛知7区)氏。

 その人物像も、経済的背景も政治的思想も一切分からない匿名ブログをもとに、一国の首相を問いただそうとは、これが民主党に票を入れるということです。

 そして香山リカ氏も

「言葉は荒っぽいが、本音、本質だ」

 と取りあげることで追認していますが匿名ブログです。2ちゃんねるのやり取りでもツイッターにおける誹謗中傷合戦でもありません。

 議論には「論拠」が求められます。という常識がもはや通用しないのでしょう。毎日新聞が、社の校閲を通して掲載したこの記事の論旨は、

《「保育園落ちたの私だ」をシュプレヒコールとして、子育てに直接関係のない人々まで、我がこととして声を上げていることは好ましい》

 といったところでしょうか。宜しければ原文を確認してください。正直、何を言いたいのか分からないというか、彼女の日頃の主張や、公道で中指突き立て「バカヤロー」と目を剥きわめき散らす姿といった、予備知識がないと理解が難しいとは思いますが、それでも言論の自由は存在し、同意できない意見でもその権利を私は尊重したいと願っています。

 記事はこれで結びます。

《私にも実は子どもがいない。でも、ここで大きな声で言わせてもらおう。「保育園落ちたの私だ」》

 観念的で論理性に欠けています。これでは問題解決は困難です。精神科医はそれでもなり立つのかも知れませんが、社会問題は情熱や思いこみだけで解決できません。

 というより、同時多発的に御用メディアを通じて左派が連携し、社会問題化を目論んでいるようにも感じます。「吉良よしこの失敗」を踏まえての巻き返しではないかとは邪推でしょうが。

 吉良よし子氏とは日本共産党所属、東京選挙区選出の参議院議員です。あの山本太郎も当選した2013年の参院選挙で当選し、プチ共産党旋風のきっかけになった人物。

 当選後も「路チュー」を週刊新潮に掲載されるなど、なにかと注目を集めていました。その彼女は「路チュー」の相手と事実婚だったようで、妊娠出産のタイミングで入籍し、この2月に「復職」し、3月5日に国会前で行われた抗議活動に参加。

「保育園落ちたの私だ」のプラカードを掲げます。

 なにより2月17日のツイッターで、

「わが家にも認可保育園に入れないとの通知が区から届きました」

 と、目黒区福祉事務所所長名義で届いた通知を撮影し公開していました。

 民主党の山尾志桜里氏の国会での質問まで、あまり騒がれていなかったところに、吉良よし子氏の本当のニュースバリューを見つける思いがしますが、ある意味、不運でもあります。

 ネット上では吉良よし子氏へ非難囂々。擁護する声もありますが、観念的で感情的で、対する非難や批判は論理的。

 端的にいえば、吉良よし子氏は国会議員。どこまでを所得とみるかは判断が分かれますが、最低でも1千万円以上、産経新聞は2千万円と報じています。

 批判とはその年収。そして吉良よし子氏自身が公開した通知にあるように、保育園事業は「福祉」の領域なのです。語弊を怖れずに言えば、貧しい国民生活を助けるためにあり、豊かすぎる人は制度設計上、後回しにされてしまいます。

 吉良よし子氏のご主人は目黒区議の松嶋祐一郎氏で、区の規定で計算た年収は10,037,430円、つまり1千万円を越えます。最低でも2千5百万円を越える世帯が、福祉制度を利用しようとするのも・・・・本人の自由、ではあります。そして、今回の騒動に通底する権利意識でしょう。

 元日本共産党の重要メンバーだった、筆坂秀世氏の著書を信じるなら、日本共産党は議員でもあってもカンパなどで、上納を求められ、可処分所得は少ないとのことで、国会議員、目黒区議であっても福祉政策に頼らなければ生活ができない・・・としても、それは新興宗教への過剰な寄進とおなじですから自業自得です。福祉にすがる姿勢に首をひねるというか、共産主義者らしいといえばそれまですね。

 ただ、これはサンキュー宮崎こと、ゲスな宮崎謙介前議員への、高い年収を得ている国会議員なら、ベビーシッターを雇うべきでないかという指摘と同じです。銭金の話しを脇に置き、記事として報じるには、無理筋。

 そこで近しい著名人に寄稿を依頼した毎日新聞、あるいはその寄稿なり連載なりで、その主張をそのまま掲載したと。

 とすいません。いつもの長い前置きです。

 どれも表現と言論の自由が保障するもの。反対なら反対と論陣をはれば良いだけのことですが、「保育園落ちたの私だ」でもっとも違和感を覚えるのが、批判的に報じている数少ない媒体の、産経新聞でさえ

「なんで幼稚園にいれないの」

 という声を取りあげないことです。生活を切り詰めながらも、幼稚園に通わせている世帯は、決して少数派ではありません。

 少子化により幼稚園経営は苦境に立たされています。価格競争で、幼稚園は保育園に勝てません。地域差に目をつぶれば、月額の費用はほぼ同じですが、子供を預かる時間単価の違いです。一般的に保育園は長く預かり、幼稚編は短いのです。ただ、かつての幼稚園と違い、保護者(クライアント)のリクエストに応じ、延長保育(授業かな?)もかなり長くなっていますが、根付いた印象は強く、送迎はもちろん、独自の教育プログラムで園児集めに苦心しています。

 私の住む地域では徒歩圏内だけで幼稚園が3つあり、保育園も同じく3つ。そこでの子供の取り合いです。もちろん、日本全国が同じとは言いませんが、少なくとも地元を見る限り見えてくる課題は二つ。

 預かる時間か費用。

 足立区の私立幼稚園は4時間の預かりを基本とします。保育園は8〜11時間です。いわゆる9時あら5時のフルタイムで働く場合、保育園しか選択肢がないようですが、「預かり保育」などの名前で、朝8時から夕方6時まで預かってくれる幼稚園もあります。

 議論のきっかけ・・・に匿名ブログなるのもおかしな話しですが・・・には、「何なんだよ日本。1億総活躍じゃねーのかよ」とありました。ならば、預かる時間こそが問題のはずで、解決してくれる幼稚園も存在するのです。

 幼稚園という選択肢も含めて、すべての道が閉ざされた上での愚痴であり、国会前での抗議活動だったのかということ。そういう人もいるかもしれませんが、問題解決においてもっとも大切なことは現状把握、認識。

 ならば、どれだけの割合が幼稚園すら断られたのかを調べるための費用として使える、毎月100万円の政務調査費を受け取っているのは吉良よし子氏です。国会前での抗議はともかく、プラカードを掲げるのではなくメモを手に持ち、実際に子育てしている参加者にヒアリングし、証言の裏付けを取るための指示を出すのが彼女の仕事。それをせずに抗議だけなら、国会議員でなくてもできることです。むしろ、夫婦揃って議員を辞めれば、来年には保育園に入園させることも夢ではなくなります。

 高給取りの国会議員と区議会議員の子供がさぁ、公営の保育園に入るのって・・・骨の髄まで共産主義者なんでしょうね。彼らにとっては褒め言葉でしょうが。

 そしてもうひとつが費用。保育園と幼稚園の価格差は存在しますが、子供手当(児童手当)が毎月あたり1万5千円支給されています。これで差額が補填できるのかどうか、これもまた重要な現状の把握ですが、この議論も置き去りにされています。

 すると思い浮かんでくるのが、こんな妄想。

「貰った手当はプライベートで使いたい。保育園は公的なもの。国民なら誰でも等しく享受できないのはおかしい。だから抗議するの」

 俺のものは俺のもの、みんなのものも俺のもの。ジャイアンです。

 子育てはプライベートなんですよね。民主党が掲げた、子育ては社会でするという精神に反対しませんが、子育ての方針が各家庭に委ねられる以上、やはりプライベートなのです。

 保育園は福祉政策。道路や信号といった公共インフラではありません。それはやはりプライベートであり、子供は「私財」という側面が色濃いからです。差別や搾取ではなく、成長し、大人になった先の昇進栄達は一族に、親に利益をもたらすからです。

 香山リカ氏と同じく、実は我が家に子供はいません。だから真の意味での子育ての大変さはわかりません。だから、黙れと言われても、福祉政策とは政治であり投じられるのは税金ですから、納税者としての発言権はあるはずです。

 子育て世帯、世代を助けて挙げて欲しい、と願いますが、その為にも問題はどこにあるのか。時間か金か。ここを明らかにしない、今回の「保育園落ちたの私だ」とは、政権批判、政治活動、ひいては選挙活動に過ぎません。そして浮かぶのが「子供をだしに」の言葉。

 なお、保育園にはいれない世帯は、生活条件においては「幸せ」だということを指摘したブログはこちら。

保育園に入れないと抗議するママ達は幸せものという足立区の現実
http://goo.gl/jfpMKn

 3年前から同じことで騒いでおり、それを一般国民が政権のせいにするのは構いませんが、現実を動かし打破できる機会をもつ、国会議員には、自分にしか出来ないことに取り組んで欲しいものです。

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