ホワイトカラーエグゼンプションは三木谷浩史に尋ねろ

 ホワイトカラーエグゼンプションがどうやら既定路線になりました。何かと言えば「残業ゼロ法」です。政府の産業競争力会議で方針が示されており、この会議のメンバーは竹中平蔵氏や、三木谷浩史氏など名を連ねるのは「経営者」です。

 他に大学教授と政治家がいますが、どちらも一般的な「労働」と無縁な人々。

 ホワイトカラーエグゼンプションの導入に向け、

「働き過ぎ防止を掲げる」

 と産経新聞は報じます。安倍晋三首相は

「成果で評価される自由な働き方にふさわしい新たな選択肢を示す必要がある」

 と語っていますが、鼻で笑い唾します。日本を破壊する布石となるからです。

 首相は

1:希望しない人には適用しない
2:職務の範囲が明確で高い職業能力を持つ人材に対象を絞り込む
3:賃金が減ることがないよう適正な処遇を確保する

 と提示し、

「時間で評価することがふさわしい一般の勤労者は対象にはしない」

 と添えましたが、時間で評価することが相応しい労働者を正確に述べれば「パートタイマー」です。

 安倍首相の詭弁をいちいち指摘すると、左翼のようになるので、いままで見逃してきましたが、ホワイトカラーエグゼンプションに関しては黙っていられません。

 先に指摘したように会議のメンバーは経営者、そして会議の名前は「産業競争力会議」です。ならば、会議の目的は「時間当たりの生産性の向上」にあります。だから首相の「時間評価」とは詭弁と断じます。

 そもそも、産経新聞が報じた台詞も論旨が混濁しています。

「成果で評価される」
「自由な働き方」

 とは、それぞれ「報酬」と「待遇」です。むしろ、現実の問題点を平易な言葉であげるなら、

「成果で評価されず、帰宅の許されない職場の空気」

 ということです。そしてこれは、単純に批判の対象として良いのか疑問が残ります。

 前者は「成果報酬」を指しますが、これは規制緩和が実現するものではなく、経営者が社内規定を変えるものであり、政府が民間起業の財布に口出すべきことではありません。

 同じ「自由な働き方」にしても、裁量労働制はもちろん、

「契約形態」

 を整備すれば、法律が関与することではないのは「外資系」をみるまでもありません。

 先の会議のメンバーに

「長谷川閑史 武田薬品工業株式会社代表取締役社長 」

 と見つけました。武田薬品と言えば、1997年4月に成果主義の人事制度を導入し、成功したと喧伝されていました。成功例があるのなら、わざわざ法律や、省令を変えるのは不用のはずです。

 詭弁家の安倍晋三首相なら、武田の成功例を一般化するための法整備が必要というのかもしれません。

 ちなみに、安倍首相を「詭弁家」とするのは、詭弁を非難しているのではありません。詭弁とレトリックは紙一重であり、言葉を巧みに操るのは政治家の才能のひとつであり、イヤミを含ませた誉め言葉として用いています。ただ現時点において、それを批判する能力を、マスコミが失ってしまっていることが最大の国難です。

 武田薬品工業の成功例が一般化しなかった理由を訊ねるにうってつけの人物が、同じく会議のメンバーにいます。

 楽天市場の三木谷浩史氏です。

 就職ポータルサイト「リクナビ」にあった「楽天」の給与条件はこうあります。

2013年度実績
学士 300,000円~(月給)
修士 310,000円~(月給)
※月40時間を超えた時間外労働には、別途手当あり
http://job.rikunabi.com/2015/company/employ/r806010018/

 学士と修士で差がつきます。「成果で評価」なら中卒でも修士号ホルダーより高給が取れるはず。対象の職種の中には開発職も含まれ、これなど無能が1000時間かけても完成しないシステムを、学歴上では中卒の元ニートが短時間で完成させた逸話は掃いて捨てるほどあります。

 また、月40時間を越えた〜ということは、「月給」と謳うなかには「残業代」が含まれていることを意味します。週休二日の場合、20日勤務計算で、毎日2時間の残業であり、

標準勤務時間帯:9:30~18:00(7.5h)

 ということは、毎日20:30までは残業をしても給料は増えないということです。そして建前上の解釈をするなら、仕事が終われば、すなわち「成果」を出していれば、毎日18時に帰社してもよいということになります。

 これまた、建前論に立てば、「残業」とは非日常的な労働時間の延長ですから、基本的には定時退社ができている、あるいは法定労働時間の8時間で帰社できていなければなりません。

 ならば安倍晋三は三木谷浩史にこう問うべきです。

「楽天社員の平均労働時間を教えてよ」

 かつて執筆の関係から、楽天社員の周辺を取材したところ、定時退社はあり得ないというのが定説でしたがね。残業の代わりに早出したりとかも。

 残業時間は2割5分増しです。
 楽天の学士様の給料を、もの凄く乱暴な計算をすれば、

160時間×基本時給+40時間×残業時給=30万円
(160時間とは1日8時間労働、20日間勤務です)

 で、残業時間は基本時給の1.25倍なので

160時間×基本時給+40時間×基本時給×1.25=30万円

 ということで、整理するとこうなります。

160x+(40×1.25)x=30万円
    ↓
160x+50x=30万円
    ↓
210x=30万円

 そして導き出された時給は1428円。

 これはコールセンターのアルバイトとほぼ同じ。楽天ご自慢のECコンサルタントの職務内容がコールセンターと同等とするなら、適切な時給かもしれませんが、学士など不要な仕事です。

 実際の楽天の給料明細を見たことがないので、断定はできませんが、一般的な会社の場合、残業代の対象となるのは「基本給」で、求人票に掲載する凡例の月給は「支給総額」で両者は似て非なるものです。

 精勤手当、資格手当、役職手当などなど、実際のキャリアと無関係に上乗せされている手当は、基本装備となっており、これらを除いた基本給に対して残業の加算がなされ、賞与の「○ヶ月分」も同じです。

 仮に楽天の「基本給」が20万円だとします。すると先の計算から導き出される「時給」は952円。もはや都内のサイゼリヤで高校生がアルバイトする時給です。

 もちろん、各種「手当」は社員だから得られるもので、賞与も含めて正社員のメリットのほうが大きいことは明らかですが、ホワイトカラーエグゼンプションの目的とする成果を評価し、自由な働き方への議論をしている、産業競争力会議の議員である三木谷浩史氏の王国において、経営者が残業をさせたくなる仕組み、というより、残業をすることを前提とした制度を採用していることこそ、この会議における最大の問題点です。

 具体的に指摘するなら、

「現在の労使関係の見直し」

 が議論されていないということ。

 安倍晋三首相が議論を深めようとしている「集団的自衛権」に通じます。

 連立政権を組む創価学会、もとい公明党ですら「難色」を示していますが、これに対して安倍晋三首相を筆頭に、具体例を持って課題と問題を提起しています。

 朝日新聞が主張する「戦争を始める」とは、狂人レベルの妄想に過ぎませんが、安倍首相は巧みに「議論」を「深める」ための取り組みに注力しています。議論を深めれば、自ずと結論がでるとみているのでしょう。

 しかし「憲法改正」は棚に上げたままです。ハードルの高さからでしょうが、迫る中韓露の圧力という現実においての優先順位からみれば、憲法解釈の見直しにより、運用できるほうが大切ですから順当です。

 これが労使にも通じます。未来の禍根を残すかも知れない、いや、日本人の国民性、そして国柄を破壊するホワイトカラーエグゼンプションを法律で定めるより、まず「解釈」の変更で対処すべきなのです。

 まず、国民性、国柄の破壊について指摘しておきます。

 同じ時給でも能力の差は厳然とあり、時給1000円に見合う社員と、不足するスタッフはいます。

 経営者の視点でみれば、「できる社員」に見合う給料を支払うことにやぶさかではありません。時給五千円でも、一万円でも惜しくないのは、それ以上の利益をもたらすからです。

 一方で労働者保護の観点から定められた法律や省令などにより、「穀潰し」「給料泥棒」の給料を下げることは困難です。

 しかし、それでもなんとかやってこられたのは、

「できる社員に少し我慢をして貰う」

 という、村社会的な「弱者救済」の文化を、日本人は皮膚感覚で理解していたからです。

 昇進や待遇などで「できる社員」を処遇しながらも、それでも数字の上では「割に合わない」理不尽を強いるのが日本社会の現実です。

 若いとき、わたしはこれに反発しました。しかし、外資が次々と参入し、首切り(レイオフ)が当然の米国の雇用実態を知るにつれ、社会的な調和を重んじる日本型の雇用形態の長所に気がつきます。

 仕事ができなくても「良い奴」はいて、仕事上の「成果」はだしていなくても、組織マネジメントにおいて「潤滑油」になっている人物はいます。もっと簡単に言えば「和」です。

 そうではなく仕事は「成果」だ、という主張ももっともです。しかし、そこで弱者は浮かばれることはありません。その結果、社会の格差はいままで以上に進行します。

 共産党が叫ぶような弱者救済論ではなく、成果主義は必ず過剰に走るのは、経済の原理から当然の帰結だからです。

 格差社会を否定はしません。それにもメリットがあります。短期的には、能力の高い人間が高給を取れるようになれば、社会は必ず活性化します。鄧小平の先富論と同じです。

 優秀な彼らが豊かになると、より有利な仕組みを作ろうと政治を動かそうとします。それがゲームのルールであることを優秀な人ほど気づきますし、資本主義社会も中国共産党の支配下における市場経済も同じです。今の日本は、この段階です。竹中平蔵や三木谷浩史が政治関与する目的は私利私欲にあります。

 そうでないと反論するなら、どちらも民間企業の職を辞してから参画すべきでしょう。どちらも億万長者ですから「生活費」の心配は不用ですし、どちらも上場企業のトップを務めており、自社に不利な改訂に同意すれば、株主訴訟を起こされるリスクもあるからです。行動は心根が決めます。それが事実です。

 次のフェーズは米国のようにウォール街が支配する強欲資本主義ですが、この勝者は米国で、後発の日本が同じフィールドでは勝負にすらならず、TPPで市場が統合されれば、日本は「狩り場」になることでしょう。これは避けられません。つまりは「亡国」です。

 「亡国」すら否定はしません。歴史において永遠の国家などありえないのですから。ただし、歴史を作るのは運命論者の嘆きではなく、その時代の「政治」が示すものです。

 そしてホワイトカラーエグゼンプションとは、日本型の「和」を重視する労働形態の対極にあります。

 年単位での農耕を繰り返してきた民族にとって、単年度の大豊作は感謝すれども蓄え飢饉に備えます。仮に「スーパー小作農」が登場し、何丁もの田畑をひとりで開拓したとして、ひとりの手柄と独占させれば、小作(農民)の死去に伴い田畑は荒れ果てます。小作に子がいても、その子が親と同じ才能を得るとは限らないからです。

 そこで「村」という単位でサポートする仕組みが生まれます。鍬を持てない年寄り子供や「お荷物」たちは、雑草を取り、ご飯をこしらえ、収穫や出荷を手伝います。引き継いだ子が無能なら、スーパー小作の恩に感謝して子供を助けます。

 きれい事ばかりではありませんが、村社会とは共助、互助によりなりたっており、その精神を引き継ぐ日本社会は、成果主義という個人にのみ利益が集中する仕組みと肌が合いません。

 成果主義とは狩猟民族を起点とし、大航海時代、フロンティアへと乗り出した民族の発想です。

 しかし、安倍晋三首相は、竹中平蔵・三木谷浩史という利益誘導のインセンティブの強い民間議員を採用し、成果主義の拡大強化を推進します。その先に待つのは「国柄」の解体です。

 哲学者の適菜収氏は当初から、最近検討している政策から、三橋貴明氏なども立場を変えてましたが、彼の詭弁を厭わない政治手法に感じていた「胡散臭さ」が鼻につき始めました。

 いよいよ形に見えてきたのがこれ。

「安倍晋三は保守じゃない」

 弱者も仲間で支え、強者も多少の我慢を受け入れることで、成り立っていた国柄を変えようとしています。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください