嘘つき左翼が招く極右化な未来。民主党の正体は、おおぶりな社民党

 中川翔子的な「レベルアップ」をしたことの節目として、いまのWeb空間を取り巻く状況と、これからへの危惧を記しておきます。

 このところ、何度も「左派」を取りあげるのは、彼らの陣営全体としての劣化が加速し、その危機感からです。左右の違いにおいて、先週紹介したように、勝った負けたでしか判断できない、津田大介氏のような幼稚な視点、カルトな発想ではありません。

 左翼が自爆するなり、自然消滅することを止めはしませんが、いまのような劣化の先には、「極右化」が待っており、これを是としません。

 極右をすなわち悪としているのではありません。ただ、どちらかに極度に傾いた社会は息苦しく、多様な言論を大切と思う立場からいかがなものかと。言うまでもないことですが、左翼一色の社会も同じ。なお、日本型左翼が支配すればどうなるかといえば、民主党政権時代がさらに悪化した世界を想像すれば、きっと悪夢にうなされることでしょう。

 Webは思想や嗜好を強化する構造を持ちます。そして左翼の劣化もWebで加速し、極右化のリスクをWebが増大させています。Webの利用による偏りは、興味(知識)の蛸壺化とも呼ばれ、自分が求める情報、価値観に拘泥し、果てはカルト化します。

 なぜなら、「SNS」では自分の興味の対象としかつながらず、いわゆる「ググる」で辿り着けるのは語彙の範囲に限られるからです。周辺情報から調査対象を広げる「リテラシー」を身につけるのに、ネットは便利すぎます。

 渋谷近辺のハロウィンでも、祭りの情報を求めてググる結果は、らんちき騒ぎを当然とする情報ばかりで、近い価値観で繋がる友人・知人のSNSを眺めてみれば、佐藤さんはゾンビで、鈴木君がミニスカポリスなら、何の準備ができていないことに焦り、パンツを遺して衣服を脱ぎ捨て、「とにかく明るい安村」のコスプレでもしたくなるのが人情というもの。

 グーグルはよりユーザーが求める情報へのアクセスを容易にするために日々研鑽し、FacebookやTwitterは、ユーザーに関係する人物ばかりをレコメンデーションすることで興味を惹きつけ、利用時間の増加を目指しています。

 「ネットリテラシー」とは実のところ、その言葉に語弊があります。一般的にネットの利用技術を指しますが、そこに含まれる「情報読解力」は、ネットを利用するだけではまず身につけることができないからです。

 ネットリテラシーを身につけるには、その前段として「情報の探し方、求め方」を学ぶ必要があり、これらにより集めたパーツを取捨選択し、組み立てるノウハウが求められますが、ネットだけを利用しているようでは永遠に身につきません。

 分類ごとに並べられた図書館では、同じ棚には類書があり、正反対の意見の書籍を手に取ることが容易です。分類方法は異なっても、書店でも同じことを体験できます。

 また、新聞や雑誌は、よほどの専門誌でもない限り、万人ウケを目指して「アラカルト」になっており、想定外の情報と出会えます。

 対面での会話はより重要。

 適切な質問ができなければ、相手から適切な答えを得ることができないように、ニュアンスの違い、言葉のチョイスによって、それが望んだ結論ではなくても、まったく別の角度からの視点や、経験を知ることができます。

 もっと極端な例を出せば、地方の老人の、特に人口の少ない山間部や沿岸部の老人の話す「方言」は、もはや地元に住む若者ですら理解できないとも言われていますが、しかし、それが「方言」だと体感でき、かつ、じっくりと話しに耳をかたむければ、何となくでも「意味はわかる」ことができれば、その時の理解は、ウィキペディアにならぶテキスト情報の何倍も血肉に溶け込むことでしょう。

 「情報」とは、それを理解する基礎知識と、取り巻く周辺情報の複合体なのです。

 一方、Webで得られる情報は、こちらの目的に沿った結論でしかありません。時間は短縮できますが、結論に至るプロセスを経験しません。だから、経験から得る知識やトリビアに、ボキャブラリーが増えません。ボキャブラリー(語彙)は、ググるの精度を左右します。

 Webでの情報収集は、魚で言えば「刺身」の状態です。魚の身の味を楽しむことはできても、骨や皮、ウロコに内臓と「身」の他の部分に気づくことはありません。

 図書館や書店、対話から知識を身につける訓練をしていれば、つまりはそもそもの「リテラシー」が身についている人ならば、ネットで検索という手段を使っていても、情報の偏りをある程度は回避することはできますが、電子書籍に電子黒板、小学生からスマホを使うことを良しとする風潮が強化される昨今、近未来に情報の偏りはより加速していると予測できるのです。

 その果てに、左ではなく右に傾く理由は明白。

 安倍政権を旗頭にする右傾化でもなければ、緊迫する世界情勢に血の気の多い連中がはやる冒険主義でもなく、GHQによる占領政策の「WGIP(War Guilt Information Program)が白日の下に晒され、それをよすがに朝日新聞的な主張の過ちに気がつく人は増えて欲しい限りですが、そうではなく左翼の自滅と、左翼への生理的嫌悪の増幅。その反動としての「右」です。

 ここでの「左翼」とは、社会の変革を求めるという広義の左翼ではなく「日本型左翼」。ぱよぱよちーんにおける「ぱさよ」陣営もここに含まれます。

 私の定義する日本型左翼の特徴を列挙します。

1:理想的平和主義
2:憲法9条護持
3:君が代、日の丸の否定
4:目的のためには論理をすり替え脱法・違法を容認
5:話し合いを要求しつつ、話し合う姿勢を見せない
6:つまりは嘘つき

 1〜2は、残念ながら日教組の活躍と、WGIPの申し子のような朝日新聞の活躍により、いまだこれを信奉する国民は多く、条件付きながら多数派といっても良いでしょう。平和ボケ、平和の毒です。

 3の君が代、日の丸への反対も、20世紀まで過半数を占めていました。この風潮を改めたのは「国旗国歌法(国旗及び国歌に関する法律)」ではありません。

 サッカーを筆頭とする、スポーツの「国際試合」において、国会代表は国旗を背負い、国歌により送り出される姿を見て、徐々に世論が変わっていったのです。

 先日、女子フィギュアスケート NHK杯で宮原知子が表彰台に上がり「君が代」を歌っていましたが、かつてサッカー日本代表で歌わない選手は珍しくなく、ラモス瑠偉が激怒していたものです。

 いずれによせ、1〜3は思想信条の自由。なお、公務員の国歌斉唱は、トヨタの社員がトヨタの社歌を歌うようなことに過ぎず、拒否したいのなら民間企業に勤めれば良いだけのこと。

 問題は4〜6。

 特に4と5は、安保法制を巡る国会内での「暴動」に顕著。

 政務調査費で自著の大量購入が明らかとなった小西洋之参院議員(民主党)。国会の場で「ダイブ」し、返り討ちにあった顛末を、Twitterでこう説明します。

“誰にも暴力は振るってないし、また、振るわれてもいません。(抜粋)”
https://goo.gl/Lz33We

 だから、小西を見つけたら、みな彼の背後に回り、見えない角度から「ダイブ」して飛び乗ってもOK。暴力の教唆ではありません。彼が暴力でないといっているのですから(涙)。

 小西の行動どころか、レイプまがいの津田弥太郎(民主党)の行動に触れず

「あのような暴力的な採決では、民主主義は死んでしまう」

 と総括したのは福山哲郎参院議員(ミンス)。

 そもそも論で、議論の場である国会で、入口の議論に拘泥し、議論を深めようとしなかったのは彼らです。

 安保法制から時を経て、安倍政権への支持率が順調に回復するなか、また、「うちわ事件」や小渕優子衆院議員の疑惑などなど、数多くのチャンスがありながら、支持率へと繋がらなかった民主党や社民党、太郎と一郎などが、鮮明な「左離れ」を示しています。

 日本共産党については、ここ20年近く、日の目を浴びていなかったので、ご都合主義の嘘が国民にばれていないだけに過ぎず、仮に今後も躍進することでもあれば、社民党と同じ轍を歩むことでしょう。その前に金策が間に合えばですが。

 総括すれば6に帰着。「嘘はダメ」を、いまだに大切なモラルとする日本人は多く、民主党をはじめとした嘘つきへの失望が政治不信を招いています。

 嘘という点だけで言えば、自民党も大差はありません。公約違反や都合の良い解釈は多々ありますが、決定的な違いは、民意を背景にしていることから、妥協と打算という名の自浄作用が働く点です。

 妥協を生み出すのは話し合いで、時に密室政治と批判されますが、原理主義的に話し合いすら拒否するよりは、政治は前に進み、打算との兼ね合いで起こる、党内の足の引っ張り合いが、結果論として新陳代謝へと繋がっています。

 さらにマスコミの大半が、アンチ自民ですから、選挙の度に「嘘の清算」が求められるので、嘘つきのままではいられず、折り合いが求められ調整し、たまには反省することもあるのが民主党らとの大きな違いです。

 民主党がこうなった理由は、保守系のある民主党議員のツイートに集約されます。

“党内の少数左派に従う民主党”

 選挙応援のために、労組などの支援を受けている左翼議員が幅を効かせ、民意ではなく労組や、その支援者らの声にしか耳をかたむけなかったことにより日本型左翼政党になった、それはつまり

「大型の社民党」

 になってしまっているのです。

 だから平気で、論理をすり替え、話し合いを拒否し、そして嘘をつきます。

 市民がデモや抗議集会をやるのはともかく、そこに政治家が登場し、政治的主張を展開するのは論理のすり替えの体現です。主張は国会において与党にぶけるものです。

 聞いてくれない、とは妥協も含む、聞かせる努力が足りないのと、耳をかたむけるほどの議席数を獲得できない、つまりは民意を背景としていないからです。

 「戦争が始まる」と騒いだモノの、2ヶ月が過ぎてもその気配はなく、もちろん、それは当然のことながら、だから安倍政権の支持率は回復し、結果的に左翼が嘘をついて扇動していたことが白日の下に晒され、わずかに遺された信頼が失われていきます。

 政治への信頼がないのは、今に始まったことではありませんが、「知識人」と目される著名人への信頼崩壊も始まっています。

 ひとつに絞ればやはり「安保法制」。

 茂木健一郎や先にも挙げた津田大介、瀬戸内寂聴や落合恵子といった、いつもの左翼はともかく、ノンポリと思われていた役者、タレント、文化人、作家までが声を挙げ、二ヶ月を経てそれが赤っ恥という名の実りを得ました。

 知識不足、見識不足によるバカの露呈は、なかなか痛快ではありますが、こうした著名人の言動を、漠然と信じていた一般大衆のなかには、徐々にですが確実に、彼らへの不信を全体へと向ける動きが、Webで目につくようになっています。これが危険。

 アンチ自民の側からしか安保法制を報じないメディアに感じた素朴な違和感から、Webを渉猟し、そこで正反対の結論に出会います。

 Webには事実を持っての反論が溢れています。憲法9条が日本を守ったのではなく、世界最強の米軍という後ろ盾があったからであり、それでも尖閣の強奪を目論む中国がいて、北朝鮮には同胞が拉致され今も奪われたままで、南朝鮮は竹島を不法占拠しています。

 一方で安保法制に反対し「戦争法」と呼ぶ左翼らに、自民党を批判するメディアや著名人も、安保法制を批判する口で、これらの事実については一切触れません。

 これだけを比較しても、どちらが論理的かは明らか。

 そこに左翼の劣化が連鎖します。

 「ユーキャン新語・流行語大賞」は、「アベ政治を許さない」が、その発表された並びから3位と視認できる位置で発表されます。これを使っていたのは左翼と反安倍勢力だけ。つまりはこの発表とは「ユーキャン 左翼 新語・流行語大賞」ということ。

 いわば「フジテレビ病」で、自らがトレンドを作り出しているという自称文化人の驕りです。あるいは、

「俺たちが愚民を指導する」

 ということでしょう。高慢ちきな選民意識は日本型左翼の特徴です。

 対して「ネット流行語大賞」は、何度か取りあげた「ぱよぱよちーん」が、その言葉の登場からわずか1ヶ月未満で銀賞に輝きます。

 相変わらずこれを報じたメディアは、東京MXぐらい。そしてWebに触れれば触れるほど、メディアと知識人だろうと漠然と思っていた出演者への不信感が増大します。

 不信感を下敷きにググるならば、不信感が強化され、行き着く先は「極右」へと。

 極端な話しではなく、マスコミ情報を鵜呑みにしていた人々は、ネットの情報、つまりは自ら選択的に収集した情報であっても、それを鵜呑みにしてしまう可能性が高いということです。

 これはまったくの勘で、論拠は存在しませんが、2020年の東京五輪が分水嶺になるのではないかと。それはイベントへの昂揚感と、同胞を応援する気持、そこに絡むであろう在日問題、さらに激化が避けられないテロと、中国や北朝鮮との対立といった複合的理由によります。

 在日問題とは差別とか偏見で、それはやはり左翼の自爆で、こんな感じ。

普通の人:「東京五輪で日本代表を応援しよう」
左翼な人:「日本人への応援は在日へのヘイトスピーチだ」

 ・・・目がテンになったでしょうか。でも、実際、Webの言論界隈ではこれぐらいの珍説が開陳されていて「ぱよちん」が、ネット流行語大賞に選ばれた背景です。

 だから左翼と反日が重なり、それが誤解を生み、ノンポリのなかから在日・中韓敵視という感情を生産している面は愚かな限りですが、こうしたWebでの動きから、また民主党の社民党化、そして知識人の劣化を並べて繋ぎ、さらに欧州を中心に顕著になりつつある「アンチグローバリズム」と「移民排斥」からの民族主義の台頭を補助線とすると、その先に「極右化」が浮かんで消えないのです。

 日本型左翼について本音を言えば、一掃し、表舞台から姿を消して欲しいと願いますが、コレを言えば連中と同じ、差別意識を含む全体主義となるので控えておきますが、極右化を望むものではなく、世界標準レベルの左翼の論も含め、いつでも自由闊達な意見が飛び交う世界を望む物書きの端くれとして、左翼の皆さんに期待するのは

「嘘は程々にしましょう」

 ということ。

 嘘を全てダメとは、それそのものが嘘になることを大人ですから知っています。だから「ほどほど」。発言や事実関係はWebですべて検証できる時代になったのですから。

 それを知るには今月の「WiLL」の拙稿をご覧ください。宣伝です。

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