パヨク難民が逃げ出した理由は嘘と内ゲバ

 先週警告したように、世界では「右傾化」が進んでいます。フランスなどは「極右」を掲げる政党が、右翼も左翼も蹴散らし、選挙での大躍進を予感させています。

 パヨクな人々が大好きな「世界は」という切り口なら、日本は右傾化のトレンドに、大きく乗り遅れていますし、あえて乗る必要はありません。

 根拠なき政権批判と、政策否定、他国の利益を守るかのごとき知識人の野放しなど、特定秘密保護法が施行されても、安倍政権が強いままでも、なんら変わることなく、彼らは放言を繰り返しています。つまりは自由な言論が守られています。素晴らしいことです。

 パヨクな知識人が息苦しさを感じるのなら、いままでカジュアルに、息を吐くように発し続けてきた「嘘」が見逃されなくなったことに気がつき始めたからです。それは石田純一氏が唱えるところの「反知性主義」のようなもの。そもそもの設定が間違っているのだから、正しい結論に至らないのは自明です。

 ざっくりといえば「反知性主義」とは、神が世界を創り、アダムとイブからはじまったことを前提に、地球環境を語るような人々を指し、むしろ石田純一がすり寄った連中の「お花畑平和主義」のほうが「反知性主義」に近いでしょう。

 そして安心してください。いまでも日本において、言論の自由は守られており、徴兵制が敷かれる気配すらありません。

 そんななか、ちかごろ顕著な動きが「逃避」。左右で分ければ、あきらかに左な著名人ら、先ほどから繰り返している「パヨク」な人物どもが、「リベラル」や、あわよくば「保守」のゾーンへと逃げ込みを画策中。それは「パヨク国」の崩壊によって生まれた「難民」とも言えます。

 それはシリアにおけるものではなく「難儀な(市)民」の短縮形です。

 国内で著名人としてテレビや新聞に、頻繁に登場する「知識人」とは、大半がその名に値しないポピュリストで、だからトレンドに傾くのは当然といえば当然ですが、その節操の無さに呆れます。

 ざっくりといって「リベラル」とは、自由主義を指し、そこに言論や表現の自由が含まれます。しかし、その自由の権利を守るためには義務と同時に他人の自由への寛容と、それを実現するための努力が求められるのですが、日本の自称リベラルは、自陣営の自由ばかりを主張し、伴う義務も寛容さも放棄し続けてきました。※希に世界標準でのリベラルに値する人物も存在しますが、少数派なので割愛します。

 暴力や違法行為も辞さないと公言していたパヨクな団体へ、重い腰を上げて苦言を呈すと同時に、自分は関係ないと、わざわざ宣言をはじめたのです。「パヨク国」からの離脱です。

 パヨクとはなにか。パヨクな団体とは何か。

 培った人脈と経験、あるいは業務上のノウハウを用いて、個人情報を晒すとネット上で恫喝していた人物が、セキュリティソフト会社「エフセキュア」の幹部社員と特定され、その人物が挨拶として使っていた謎の単語が「ぱよぱよちーん」。

 そこに左翼を接続し、ネット上で左翼を意味する言葉として、「パヨク」は、今年の11月中旬より大ブームになっております。

 なお、「ぱよぱよちーん」はガジェット通信が選定する、「ネット流行語大賞」において、登場からわずか1ヶ月で「銀賞」に輝いております。

 世界水準における「左翼」ではなく、ネット用語的には「サヨク」とカタカナで表記される人らを指し、また、次々と誘爆し、実名や勤務先が暴かれ、さらには内ゲバ同然に、身内同士で罵り合うコントのような展開からも、「パヨク」というマヌケな表現がしっくり来るようです。

 パヨクな団体とは、かつて「しばき隊」と名乗っていた集団に代表され、「しばき隊」とは、在特会(在日特権を許さない市民の会)」への対抗組織として誕生したということになっています。

 彼らは主要メディアではまず報じられていません。その為、朝鮮学校への威力業務妨害や、橋下徹氏との子どもの口喧嘩レベルの罵り合う様子が報道された在特会とは、一般認知度は極度に低いと言えます。ここでもメディアは「報道しない自由」を行使しています。

 なぜなら「しばき隊」が掲げる理想は、パヨクな既存メディア、朝日新聞や毎日、東京新聞に通底するからでしょう。脱原発、特定秘密保護法、辺野古移設反対、そして集団的自衛権・安保法制反対です。

 ところが、「平和」や「安全」「命」を掲げながら、その行動は旗印とする主張や理想とは大きく外れ、暴力的な態度が目につくどころか、実際には法を犯すこともしばしば。だからか、つぶさに報じることはありません。それが理由かは存じませんが、「しばき隊」はいま、正式名称として別の名前を名乗っています。

 これが「パヨク」と呼ばれる理由のひとつですが、在特会における一部の主張のように、極度な排外主義者に対して「差別主義者(レイシスト)と罵声を浴びせるのはともかく、わずかでも自分たちと意見が異なる相手を「レイシスト」と認定し、思考停止し、怒声と罵声と恫喝をかまします。

 パヨクの語源となった「ぱよぱよちーん」の人物も、その他、マイナビの原稿で指摘した新潟日報の元支局長たちも、みな「しばき隊」に属しているとされています。

 こうした団体や、連なる人々、またシンパなどを含めた、一種の部族社会を「パヨク国」と名づけます。これがいま、崩壊の危機に瀕しております。

 思考停止もまた「多様な言論」を構成する刺身のつま、というよりハンバーグの焦げた苦みの一部だとして、肯定はしませんが排除はしません。なるほど、そういう人もいるのねと確認をするだけです。

 ところがパヨクは、そう思わず、対立する意見というより、自分の意見に同調しない全てのモノを「敵認定」し、実行力を持って排除抹殺を目論みます。旧ソ連もビックリの全体主義者であり、北朝鮮の三代目の思考回路と同じなのでしょう。

 直近ではISIS(イスラム国)にそっくりです。明確な国境線を持たず、従来の国家の枠組みのどれにも該当せず、都合の良いときだけ国家の扱いを要求するところも似ています。

 安保法制を巡る民主党と野党連合と、「SEALDs」なる抗議団体は顕著な事例です。明確な連合を宣言せず、支援者の存在をひた隠しにしながら、「ゆるやかな連携」と称して、正当な手続きを経ずに体制を攻撃する姿などそっくりです。

 しかし、パヨクな団体と彼らの接点を証明する集合写真や記念写真は、ネット上に散乱しています。「SEALDs」など、いまだに「普通の若者の集団」と紹介しますが、仮にヤクザが集う新年会に参加し、その構成員と仲良く酒を酌み交わす写真があったならば、それを「普通の若者」とするのは、いくらなんでも無理があります。しかし、この論法はSEALDsにだけは適用されません。なぜか。

 国会議員でいえば、オウム事件で名を売った参院議員の有田芳生氏などは、刺青をみせびらかし、中指を立てカメラに向かって徴発する人々と肩を並べ、さらには彼らの違法レベルの実力行使を褒め称え、ニューズウィーク誌にたしなめられるほどです。

 山谷えり子氏が国家公安委員長時代に追及された在特会との記念撮影のレベルではありません。事実上、パヨク団体関係者、仲間、少なくとも「同志」と見なして良いのでしょうが、彼らはこれをなぜか認めません。それが「パヨク国」の掟なのかも知れません。

 その他にも、パヨク国には著名人が掃いて捨てるほどいたのですが、それが徐々に「いました」になりつつあります。石田純一氏などは、その点、時代の流れを見誤っているのでしょう。トレンディに踊らされる人生とは、波がひいても取り残されていることに気づかぬまま、嘲笑に晒されるとはフジテレビ病です。お可愛そうに。

 なお、パヨク国には、リベラルやリベラル保守なる、自宅警備員レベルの珍妙な肩書きを名乗る大学順教授もおりますが、異論に対して全否定する姿は「リベラル」ではなくパヨクです。原理主義者です。

 シリア難民がドイツを目指し、パヨクからリベラルへ、さらには保守への逃避行を目論む背景には、パヨク国の「嘘」がばれているからです。

 在特会に限らず、右派や保守側の、適切に届け出た許可を受けての上でのデモ活動を、取り囲み罵声を浴びせて活動を実力行使で阻害していたのはパヨクな団体です。

 明確な「自由な言論」の否定でありながら、特定秘密保護法には目の色を変えて反対していたパヨク国の知識人らは、こうした行動を一切批判しません。

 あるいは「語らない、触れない」ことで是認してきました。

 もちろん、パヨクも含めて、人間ひとりやその集団が、すべての出来事を把握できるわけもありません。

 しかし、パヨクな人々や、その周辺は、自らの主張に都合の悪い情報については一切、耳に入らない社会のようで、カルト宗教に監禁されているのでなければ、語らない、触れないことで「なかった」ことにしようとする、隠蔽や捏造が目的であることは明らかです。

 特定秘密保護法に反対するときに、自由な言論を堅持すると叫び、猛烈に反対の論陣をはっていたパヨク国の国民が、他人の言説を完全否定し、暴力的な恫喝で封じようとするその姿は、他国の人の目からみたら「嘘つき」のそしりは免れません。

 SEALDsのデマ、もといデモでトラメガ片手にスピーチをし、先の「しばき隊」と同じ政治活動に参加しながら、「しばき隊とは関係がない」と、聞かれてもいないのにわざわざ宣言するパヨク国のジャーナリストが表れたのは、関係があるという告白と同義でしょう。なにより、その関係性は動画や写真、自身のツイートで保存されています。

 戦争反対と叫びながら、暴力を辞さず、脅迫を繰り返す団体を見逃し、そこに繋がりが完全に確認されるSEALDsをたしなめることなく、賛辞を贈るものを、信頼するのはその人の価値観次第ですが、地球上の民間人のレベルでは少数派。一般常識を持つものならば、一連の発言から、その人物を評価します。

 なお、あえて民間人としたのは、外交レベルではこの手のダブルスタンダードは手練手管のひとつだから。外交交渉のキモはこちら。「誰も信じるな」。外務省を擁護するわけではありませんが、日本外交が敗北するのは、相手を信じる日本人の善性によるところも大きいのでしょう。だからでしょうか。「パヨク国」は二枚舌な人間ばかりです。

 パヨク国にも限界が訪れました。相手を信用しないのが外交の基本とは言え、信用されない態度をとるものは、交渉相手にすらして貰えなくなります。

 パヨク国の悪行や嘘の数々がネット上に晒されました。いや、現在進行形で量産されているので、自転車操業です。パヨクの魂、百までもです。パヨク国の終わりの始まりです。

 最近ではこんなこともありました。

 カリフォルニア州での銃乱射事件。速報段階で、事件現場近くに中絶可能な施設があることを、テレビ朝日「グッドモーニング」が報じます。

 11月末にコロラド州でおきた銃乱射事件は、中絶を行う医療施設で、犯人は中絶反対を呼びかけていました。そこから、両者に関係性がある「かも」との推測は当然ながら、この時点では事件が起きた事実以外の情報はありません。ならば、可能性のひとつとして挙げたにしても、確定診断は不可能です。

 ところが、名村晃一テレビ朝日社員は、事件の背景として

「犯罪の右傾化がある」

 と断定します。

 パヨクやパヨクが信奉するメディア、すなわちパヨク国において、右傾化=悪の代名詞であることは、朝日文化人として輝かしい活躍を見せる(見てないけど)、高千穂大学准教授さまの五野井郁夫が、結局、精神に障害を抱える犯人だった「アンネの日記破損事件」で、事件の背景を「右傾化」としたことからも明らかです。

 本当にパヨクらは、その思想構造も論理展開も、邪推を事実化のように語る姿もコピペのレベルで、全体主義の強さと恐ろしさの一端がそこにはあります。

 ちなみにというか、この五野井郁夫が「しばき隊」と指摘される人物と、仲良く肩を組んでいる写真や、その人物が刺青を見せびらかす連中とグルになり、他人を恫喝している映像をネットのあちらこちらに転がっています。

 アメリカ社会における銃乱射事件は、オバマ大統領が執務室からメッセージを発しなければならないほど深刻ですが、その背景として伝わってくるのは「差別」と「テロ」。

 人種差別は根深く、フランス流のエスプリを効かせてアメリカの右傾化を語れば、人種差別の復権とすれば叱られることでしょう。ゴメンナサイ。

 一方、テロは右傾化ではなく、国際秩序への挑戦です。国際的な犯罪と呼ぶべきでしょうか。それはイスラム的立場から見ても、右傾化ではなく極右化も通り過ぎたカルト化で、いずれにせよ、アメリカ国内の犯罪背景ではありません。

 そしてフランスで極右政党が躍進したように、テロにより右傾化、極右化が起こってはいますが、それは「テロありき」で、テロがなければ極右の台頭はなく、はっきりとした因果関係が存在します。

 結局、カルフォルニアの乱射事件もテロと断定。

 根拠もないまま「右傾化」を根拠と語る時点で思考停止。庶民の言葉に置き換えればバカ。特に我が国では「右傾化」の証拠は見つけるのは難しく、安倍政権の支持率は回復しても、安保法制を巡る設問にはネガティブな回答が多数を占めるといった、「現状維持」の状況ばかりが確認されます。

 とんだ赤っ恥。パヨク国周辺ではこうした事例が、まるで落ちゲーの「ぷよぷよ」における「連鎖」のように頻発しています。

 今月号の「WiLL」で、指摘の核にしたのは、「佐野エンブレム騒動」を巡るパヨクな朝日新聞でしたが、それ以降、堰を切ったように自爆と誘爆が繰り返されています。

 暴力反対を訴えながらフライングボディアタックで攻撃を仕掛ける小西洋介のように、「ダチョウ倶楽部」もビックリなギャグをかましているのもそのひとつ。民主党に投票するとは、こういう輩を税金で養うということです。

 「しばき隊」で触れたように、わずかでも意見が異なるものを排斥する論理構造なので、その後の状況変化に耐えられないというのも、パヨクの嘘が晒される重大な理由のひとつ。つまり、表現の自由や多様な言論を、排斥し続けた結果、自らの首がしまってしまったのがパヨク国。

 嘘つきを信じないのは日本社会が持つ善性です。
 信じられなければ仕事もなくなります。
 そしてパヨク国からの逃亡が始まっています。

 そこには日本型左翼特有の内ゲバも影響しています。

 独自の価値観で作品を発表し続ける、マスコミ報道に寄るところの「自称アーチスト」な「ろくでなし子」。彼女の珍奇性はともかく、芸術性はまったく理解できませんが、それもまた表現の自由でありながら、公序良俗に触れると法廷闘争中の人物。

 どちらかといえば左に分類できるかな、というのは言動から感じるのは反体制だから。イコール左翼ではありませんが。

 ぱよちん騒動に接し、ろくでなし子は「ぱよぱよちーん」の語感を面白がり、音頭をTwitter上で発表します。

 実にくだらないと笑いました。確かに「音頭」になる。
 他に感想があるでしょうか。

 ところがパヨクな連中は、これに噛みつきました。

クズ、ネトウヨ、レイシスト、ツイートを消せ!

 さらにこんなモノも。

「ろくでなし子が逮捕された時に署名したり支援してやったのに、裏切りやがって!」

 でこれに対して、ろくでなし子は、産経新聞が主催するオピニオンサイト「ironna」でこう反論。

「支援してやったんだから俺たちの言うとおりにしろ!」というのは、なにかおかしい。支援とは、そのように支配的なものなのでしょうか?
http://ironna.jp/article/2402?p=2

 その通り。

 さらに、新潟日報の事件で、元支局長が噛みついた相手は左翼な弁護士(パヨクではない)。

 つまり、繰り返しとなりますが、わずかでも意見が異なれば、あるいは少しでも意にそぐわない言動をしたものを「敵」と認定する思想構造を持ち、それはあの浅間山荘で悲劇の終幕を迎えた学生運動と同じであり、一般大衆の支持を受けられないことは明白で、なにより、いつ自分がターゲットになるか分からず、パヨクな人々、自称リベラルな知識人は、自分の痛みには敏感なようで、パヨク国から自分だけでも安全圏に非難するために、脱兎の如く駆け出しているのが昨今の状況です。

 ただ、結論は虚しい努力と見ています。お天道様は見ているという精神論ではありません。パヨクからの足ヌケを、邪魔するのはパヨクに染まった自分自身と見るからです。

 SEALDsの中心メンバーと紹介される20才前後ぐらいなら、思考の柔軟性を失っていない可能性もあり、足ヌケへの期待もできますが、30才も過ぎ、それでいてメディアに登場する程度の「成功体験」をしていれば、パヨク的活動原理である

「嘘も方便」

 が染みついています。

 この諺は、相手を思いやる心や、社会を円滑にするための知恵としての弁明ですが、パヨクな連中のそれは、自己利益という目的達成のための嘘であり、基本構造は詐欺師とまったく同じです。

 それも、その場限りの嘘で乗り切る寸借詐欺。こうして楽して儲けた、成功した人物が、いまさら誠実に社会と向き合うことは困難でしょう。だから難民として受け入れて貰った先でも、同じ嘘をつき続けることでしょう。これもなんだか・・いや、止めておきます。

 嘘は麻薬です。一度、嘘の誘惑に身を委ねれば、そこから抜け出すのは困難です。それを「自業自得」と呼ぶのですが。

 極右化するフランスやアメリカよりによる難民への対応よりも、ネット界隈の「難民」の動向に注目しています。

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