#ぱよちん 様が日本を明るくしてくれた !

 平成27年を総括してみると、社会が少しだけ明るくなった気がします。

 といっても、局所的なネットの話しで、株価は年初より高いとはいえ乱高下し、原油安とアメリカの利上げによる世界経済の減速感は強く、中東の混乱に加え、トルコとロシアのつばぜり合いのきな臭さは、世界大戦への言及すら生み出しています。

 以前、Web担当者Forumの原稿でも、指摘しましたが、いまネット界隈では、右翼と左翼、というより排外主義と、反日・抗日活動家の熾烈な罵倒合戦が繰り返されています。

 排外主義といっても、海外の極右とは比べものならず、いわゆる在日特権なるものがあるならばそれを改め、外国人犯罪の取り締まりと、その発生を警戒せよというもので、「コロセ」「シネ」なる単語をチョイスしての発言には一切、賛同しませんが、指摘するそのもには、なるほどと頷くことは少なくありません。

 対する反日、抗日活動家は、人種差別やヘイトスピーチの取り締まりを求める一方、敵対する思想、団体、個人への、差別やヘイトスピーチを正義のツラで行います。これが痛い。

 なにより正義など、時代と立場で異なり、ねずみ色を白と捉えるかに恣意的な判定が下されるもので、無謬の正義を唱えることができるのは征服者か宗教家ぐらいのもの、という奥ゆかしさがありません。もちろん、それも思想信条の自由と強弁されれば、それまでですが。

 彼らは一般的には、リベラルや左翼と呼ばれますが、言動を繋いでみると、国力を削ぎ、評判を落とすために活動しているに見えて仕方がないのです。だから、反日・抗日活動家と紹介しました。

 ITを主戦場としていたから、こうした反応に敏感になったのかもしれません。そのIT業界、Web界隈に連中は多く、そもそも優秀な日本製品が存在しても無視し、海外から入ってきたサービスを称揚する姿は、中国や韓国の主張を鵜呑みにする姿にそっくりそのまま重なります。

 Web2.0が喧伝されていた当時、定義のひとつ「CGM=消費者生成(参加型)メディア」にブログや「@コスメ」などを掲げる一方、日本が世界ネット界隈に強い影響を与えた「2ちゃんねる」を封殺したのはその代表例。なお、CGMとは要するにインターネットのことなんですがね。

 少し角度変えてみても同じ。

 従来の地道なマーケティングが奏功した事例でも、わずかながらもSNSで喧伝できる材料が見つかれば、その手柄とする「専門家」が多く、なお大抵の場合、その専門家とやらは物流や販促の現場を知りません。

 いわば実務、現実においての無知さは、それでいながら理想論という夢想への、声だけは大きく、まさに反日・抗日活動家に重なっていたのです。

 話を戻します。

 脱原発、辺野古移設反対ながら普天間除去、特定秘密保護法に反対し、安保法制廃止を呼びかけ、そこから発する集団的自衛権を否定しながら、憲法9条の護持を叫び、安倍政権打倒を、政治家でもない一般人やタレント、学者風情までもが呼びかける。

 それぞれの事例に、それぞれが意見を持つのは理解できます。

 私は30年来の「脱原発派」ですが、技術と費用、外交関係からも「即時撤廃」は不可能であり、可能な限りの安全を確保しながら依存度を下げ、同時に代替エネルギー開発と、廃炉技術の確立を進めていく、というもの。あくまで理想論とはいえ、国益の損傷を可能な限り抑えるためには、すべて同時に取りかからなければならないと考えています。

 脱原発のきっかけは、教科書で習った第五福竜丸であり、スリーマイル島の事故で、決定づけたのはチェリノブイリの事故です。

 チェリノブイリ事故により、原発事故=即死とは極端な例で、大気や水により「薄まる」ことを知り、もちろん、放射性物質が拡散されないにこしたことはありませんが、明日死ぬとか、今日ガンになるといった主張は「風説」だと、いまから約30年前の1986年の事故から数年かけて蓄積した知識です。

 チェリノブイリの放射性物質は「偏西風」に乗って、やってくるとワイドショーまでその危険を呼びかけていましたが、実際に届いたのは人体に影響がでるほどではなく、実際に、それから30年経っていますが、顕著な健康被害は、私が知るところでは確認されていません。

 だから、反対に「即時廃炉」を求めるかの主張する坂本龍一などらが、「知らなかった」という主張の無責任さに呆れます。

 なにより、急進的な脱原発を声高に叫ぶ人々は、安保や辺野古など、そのすべてに反対し、廃止を求めます。北朝鮮のマスゲームレベルに足並みが揃った、主義主張の完全一致は、全体主義を基調とする共産主義者か、カルト宗教です。

 そこに自由な言論はあるのでしょうか。あるいは、自分の頭でちゃんと考えているのか、疑問しか残りません。

 仮に彼らの主張が、すべて実現した暁に、まず現実となるのは

「日米同盟の破綻」

 です。その代替に

「国防費を今の100倍にし、一部徴兵制を導入」

 と、つまりは

「自分の国は自分で守る」

 というのなら、論旨に耳をかたむける必要もありますが、憲法9条があるから敵が攻めてこないとは論外。まともな大人の思考ではありません。

 これを保守論壇の、今風にいうならレジェンドであった、哲学者の田中美知太郎(故人)の『今日の政治的関心』からの言葉を借りれば

「平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというようなものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」

 となります。この皮肉に対して、自然災害と戦争を同列に語るのはナンセンスと否定する、憲法9条信者を散見しますが、その憲法9条そのものがナンセンスだという、そもそも論の自省を、護憲論者に見つけることは困難です。

 横浜の杭打ちデータの偽装ではありませんが、土台が歪んでいれば、その上の建物は言わずもがなです。

 実体はまったく異なりますが、両者を便宜上「左右」というイデオロギー区分をするならば、排外主義を右とし、反日勢力を左へ。そのとき左派の劣勢は明らかです。

 ゲストやコラムに左傾化の際立つ「週刊文春」のなかで、リベラルを自認する宮崎哲弥氏が、左派を攻撃するのは叱咤激励のひとつというより侮蔑で、リベラル寄りだった人物が保守的な発言にすり寄り、ド左翼が安全圏に逃げ込もうとしてもがいています。

 理由はトレンドの変化です。端的に言えば

「土下座外交っておかしくね?(平板イントネーション)」

 によります。アメリカのいいなり、ポチと蔑まれても、そのアメリカは飼い犬に餌を与え、時に頭をなでることもありました。中国、韓国は、彼らの主張飲み込めば、もっとよこせと欲しがります。誠意を見せろとの要求に、頭を下げたら土下座しろと欲し、そうして見せたら誠意とは金品だとエスカレートする様は、ヤクザやチンピラのそれと同じ。これらのリアクションは、中韓に顕著ですが、外交においては珍しいことではありません。相手に要求を呑ませたら、呑んだことを理由に次の要求をします。

 日本的な「お互い様」とは、主張しない限り訪れはしません。

 漠然とながら、「世界の常識」に気がつき始めた日本国民が、

「もう、いいかげん、土下座はいいんじゃね?」

 となれば、右と左のどちらにシンパシーを覚えるかは自明です。誰だって、自分の身内を罵り、貶めようとする人物を好みはしないからです。

 いわば、日本人の謙虚さが甘やかしていた左派に対して、いい加減にしなさいよ、と、やんわりとノーを突きつけているのです。

 あえて「やんわり」としたのは、ネット言論界の極一部の過激な発言を除き、国民の大半は、急進的な右傾化を一切望んではおらず、あの日本を貶めた朝日新聞でさえ、一定部数を保っているのがその証拠です。

 そんな状況に息苦しさを訴えるのは、精神科医の香山リカ氏。この週末に行われた新大久保周辺のデモ活動でも、カウンターを名乗り、カウンターとは実力行使でデモを妨害する行為で、合法的なデモを警備する警察に阻止されていたようです。警察が警備する理由のひとつは、このカウンターとは「暴力」の実績を持つからです。

 繁華街で大衆に呼びかけるデモ行為は、個人的には迷惑だなぁと思いながらも、これも言論、表現の自由の範疇で、一定の手続きに乗っ取れば、誰でもデモできる自由は担保されなければならない。と、「考えられない人」にとって、息苦しさが募るのは当然。それは

「アタイの考え以外は認めない」

 と考えているから。左の退潮は、その排他性にあり、論理構造でいえばオウム真理教やISの相似形です。

 確かに彼女が世に出た頃、日本の世論(せろん)は左側にあり、近隣諸国への土下座外交を容認する空気もありました。

 なにせ、北朝鮮という国家による日本人拉致を、金正日が認めるまで、否定していた政党があり、一定以上の支持を得ていました。それらの党が、先の脱原発からはじまるすべてに反対というか、足並みを揃えているのは奇妙な一致というより、状況証拠から確信犯なのでしょう。

 香山リカ氏が息苦しさを覚えるなら、同輩である心療内科か、呼吸器系の医者の診断を仰ぐべきで、日本のPM2.5のレベルのは北京のそれとは比べものにならないほど清浄ですし、いまでも元気に反政府デモとも見まがう集会が行われている現実が、言論の自由が担保されていることを証明します。

 一例を挙げれば、新大久保のデモの前日、原宿で実施された

『小さいが熱狂的な反安倍デモ@原宿byシールズ高校生版』

 とやらでは、安倍首相を模した人形を、ピコピコハンマーで殴り続けながら練り歩きます。まるで、韓国のデモのようです。その「自称高校生」らが、どうみてBBA(ネットスラングにおけるババア)ですが、それもまた表現の自由により、女子高生と主張する権利だけは保障されています。

 つまり、息苦しいに客観性はなく、個人的経験に過ぎないのです。

 御尊父が社会党の関係者で、すっかり左翼の闘士然と活発に活動を続ける津田大介氏は、

 と攻撃して見せますが、ケント・ギルバート氏はむしろ、朝日新聞が展開した「従軍慰安婦」を信じていた立場で、昨年の誤報騒動から、文献を渉猟して知り得た事実を、各所で発言しているに過ぎません。

 もちろんというか、この津田大介氏の発言に、数多くのツッコミが寄せられます。

 ことほど左様に、

「アタイの考え以外は認めない」

 が滲むというより、隠しもしないのであれば、支持されなくなるは当たり前の話しで、香山リカ氏の地上波テレビ出演が減り、凋落ばかりが話題にのぼる「フジテレビ」に、津田大介氏が重用される理由かも知れません。

 和を貴ぶ日本人は、自説のゴリ押ししかできない、排他的で狭小な人物を好みはしません。

 ちなみに津田大介氏のツイートで紹介される「記事」は、左翼活動家が執筆することで有名なプロパガンダサイト「リテラ」。

 そして連中の手口を、自ら語る肩書きに発見。

「LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見」

 知とは、彼らの認めるものに過ぎません。
 さらに、

「右翼・左翼に関する話題……本と雑誌のニュースサイト/リテラ」

 と、SEOという検索エンジンに拾われるための狙いと見られますが、右翼層まで取り込もうとうするあざとさ。彼らが掲げる「正義」とか「人権」と同じ手法です。

 そのキーワードを掲げながら、実体は腐す。一方的に差別する。否定する、嘲笑する。そこに議論の余地はありません。

 これまた正体がすっかり晒された左派の茂木健一郎氏。「Blogos」への寄稿で、


極論すれば、たとえば6年毎にかわりばんこにやったり、くじ引きでもいいくらいだ。(略)政権交代のリアルな可能性のない民主主義は不完全である。
http://blogos.com/article/150774/

 と言い垂れます。

 選挙という民主主義のそもそもを否定しておいて、政権交代もなにもないだろうに。なお、これをからかった「保守速報」がピックアップしたコメントが、的を射ているので紹介しておきます。

“なにしても政権が回ってくるんだから腐敗するべな ”

 結局、彼も

「アタイの考え以外は認めない」

 ということ。政権交代という持論のためなら、大前提でさえいとも簡単に覆します。

 香山リカ氏が、合法的に許されたデモに対して、実力行使・・・行進を阻止し、周囲から罵声を浴びせ続ける、また、過去にはデモ行進に自転車でツッコミ、デモ終了後、参加者をツケ回す嫌がらせをする・・・で阻止しようと目論むのも同じで、さらにここに茂木健一郎氏を補助線として浮かび上がるのは、とても親しい「有田芳生(参院議員)」で、香山氏同様に「カウンター」と称してデモの妨害を目論みます。

 国会議員が言論弾圧! とは言いますまい。国会内で「ボディプレス」を披露したのは、有田芳生氏と同じ民主党参院議員の小西ひろゆき氏。なお、蓮舫氏も加えた、皆、来年の参院選挙で改選を迎えます。民主党に投票する、とはこういうことです。

 ここで紹介したのは一例に過ぎません。
 端的に言えば左派は、追い詰められています。

 それは自業自得。だって、

「アタイの考え以外は認めない」

 のですから、別の考え方が広まれば、それは普通の人以上のダメージとなるのは

「アタイの考え以外は認めない」

 という自縄自縛。

 津田大介氏のケント・ギルバート氏への難癖に露呈しますが、もはやなりふり構っていられないようで、だから、言論空間の罵倒合戦が白熱するなか、それでも明るくなったなぁと総括するのは

「ぱよちん」

 の発見です。

 以前取りあげたように、セキュリティ会社勤務の経験とコネを活用し、個人情報を晒そうとしたら、文字通りのカウンター攻撃で、氏名や住所、過去、女性タレントを恫喝し、さらには

「ぱよぱよちーん」

 と意味不明な挨拶を繰り返していたことまで暴露された騒動。

 先の有田芳生議員が「代表」をつとめるとされる旧称「しばき隊」に所属し、この団体は香山リカ氏の行動をより具現化しており、過去に暴力騒動を起こし摘発を受けています。

 そしてこの団体に関与した人物が、やはり同様に個人情報がらみで攻撃したら返り討ちにあい、個人名その他を特定され、役職停止されたり、会社を追われたりする騒動が連鎖します。

 さすがに一部の大手報道機関では報道された、新潟日報の元報道支局長の恫喝騒動もこれに含まれます。

 そこから転じて、道理の通らぬ左翼な活動に、

「ぱよぱよちーん」「ぱよちん」

 なる称号が与えられます。「ぱよちんした」的な、動詞としても、省略形の「ぱよ」もあり、かつて

「ブサヨ(不細工な左翼)」
「ヘサヨ(ヘイトスピーチに反対する会 的な左翼 ※筆者注:ヘイトスピーチに反対しながら、率先してヘイトスピーチを拡散するという意味)」

 と、どちらかといえば攻撃な言葉並んでいたネット言論空間は、いま、

「パヨク(ぱよぱよちーんな左翼)」

 に統合されつつあり、ネット上の言論空間に

「ぱよ」

 が並びます。ビジュアル化するとこんな感じ。

ぱよ? ぱよぱよ!
ぱよぱよちーん
ぱよってる。
だからパヨクだよ。

 実に牧歌的で、マヌケな字面に肩の力が抜けてしまいます。

 いいんじゃない。日本人の言語空間は、これぐらいゆるいぐらいで。そう振り返る2015年。

 なお、「ぱよちん」を生むきっかけとなった、はしみとしこ氏の著作が出版され、アマゾンで現時点でベストセラーの1位に輝いておりますが、昨日、先の有田芳生氏の手引きと推測されるのですが、参議院会館において、本書『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』の

「刊行に抗議する記者会見」

 が行われました。ま、抗議も表現の自由ではありますが、出版言論の自由も大切にされなければなりません。

 そしてTwitter情報に過ぎませんが、この抗議集会での訴えに憤りを感じた、ある女性参加者が反対の質問をすると場が凍り付いたのは、まぁ良いとして、記者会見終了後、先の「しばき隊」の一員とおぼしき、いかついオッさんに「ツケ回された」そうです。これを差別主義者となじるなら甘んじて受けますが、チンピラ同然のファッションに身を包み、執拗に女性をツケ回し、意見を述べるなりもせず、脱法的恫喝をする成人男性は卑怯者。

 どちらが「正義」か。

 ではなく、どちらが「文化的」か。

 来年の左右の対立というより、左派の自滅は「文化程度=民度」によって訪れるとは、ノストラダムスレベルの大予言。

 万が一、この予言が外れたとしても、ぱよちん様に免じてご容赦ください。ぱよぱよちーん。

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