名誉毀損とスラップ訴訟、いま起こりつつある言論弾圧の正体!?

 地元紙を引用した記事が「名誉毀損」として、韓国から出国禁止措置をうけている産経新聞前ソウル支局長 加藤達也氏もこんな気持ちなのでしょうか。先日の「週刊文春」「週刊新潮」を引用したブログを「名誉毀損で提訴する」と交信、もとい電話があったのです。

 電話の主は田中稔氏。社民党の機関誌「社会新報」の編集次長で、後藤健二氏の母 石堂順子氏の記者会見を仕切った人物。

 ちょっとしたご縁があったジャーナリストに相談すると、「弁護士を紹介する」とのこと。互いの脳裏によぎったのは「植村隆元記者」です。170人の大弁護団を動員し、「捏造記者」と書いたものは、有名無名、営利非営利を問わず訴えるという恫喝はどうやら事実のようで、別件ながら通底する何かを感じずにはいられません。

 まず、はじめに「引用」の多いブログを書いた理由を述べておきます。

 石堂順子氏の記者会見を、ツイッターで「実況」していました。CMを挟むテレビではフォローしきれないので「ニコ動」での視聴です。「ニコ動」には視聴者のコメントが流れ、そこでは「苗字の違い」を指摘する声を散見しました。しかし、田母神俊雄氏(東京12区より出馬、落選。私はここの投票権を持ちます)が角度の違うツイートをしたように「誤解」も多いようで、記者会見を見た人が、後藤健二氏への印象に何かの色をつけることもあるでしょう。

 実母と苗字の違う大人など沢山います。また、後藤健二氏がそうとはいいませんが、親の言動に苦しめられている子供は多く、いずれ、彼の口から説明される日を待っておりましたが、当該ブログの執筆当時(2015年1月29日)、後藤健二氏は反論する機会を持ちませんでした。

 また、湯川遙菜氏との関係性から、メディアに引っ張りだこになっていた当時、私の目に後藤健二氏は、丁寧に政治性を極力避けた言葉選びをしているように見えました。そこで飛び出した「9条」と「原子力」です。

 そこで引用の範囲をでないように留意しながら、「週刊新潮」と「週刊文春」、一部はネット記事をもとに、まとめたブログに、

「名誉毀損だ、だから訴える」

 と電話口で、田中稔氏は繰り返します。「新潮」「文春」の引用だと説明し、具体的にどの箇所がとの問いには、

「私のことを書いて、社会的信用を損なった、名誉毀損だ」

 の一点張り。予告などなく、面識もなく、ましてや慌ただしい月末の金曜日の電話に、録音する余裕もなく、細かな言葉づかいの正確性は欠きますが、しかし、主張はしっかりと記憶しています。なぜなら「名誉毀損、訴える」だけだから。

 当該ブログ「石堂順子、後藤健二両氏の苗字の違いなどのまとめ」で田中稔氏の名を出したのは、「ニコ動」でも「誰が引きずり出した?」的なコメントが流れていたからです。

 その人物が社民党の機関誌「社会新報」の編集次長で、「新潮」の取材に

「会見の内容は戦略的に練られたものだった(以下略)」

 と答えたことを持って、ブログでは「政治活動」と指摘しました。事前に発表されていた「声明文」に「憲法9条」「原爆」とあり、そこに社民党の影がさし、外国人記者から溜息が漏れるほど繰り返す「原子力」という「主張」を結んでのことです。

 これが違うというのなら見解の相違にすぎない、と私は考えます。その人の行動が、意図していない解釈をされることはあることで、ご本人からの訂正依頼があれば、やぶさかではありませんし、お叱りも謙虚に受け止める用意はありますが、いきなり「名誉毀損」で「裁判」です。

 会見について田中稔氏に訊ねると「(石堂順子氏から)頼まれたから。私はあそこの会員だから、とってあげたの」と「会員」に誇りを匂わせる回答。なるほど、その訂正かと思いきや「いずれにせよ名誉を傷つけた、名誉毀損だから。裁判おこすからね」と執拗に、そして強い口調で繰り返します。

 終始この調子だったので確認はとれていませんが、「新潮」へ寄せたコメントを略したことがご不満だったのでしょうか。ちなみに記事では

「会見の内容は戦略的に練られたものだったし、イスラム国の要求のハードルが“死刑囚の解放”に下がったので、私は一定の効果はあったと思います」

 とありましたが、後段を略したのは、万が一、田中氏の見解が事実だとして、ISIL(イスラム国)が記事を見ることで、逆効果となるリスクを避けるためです。極東のちんけなブログなど見ない…と言い切れないのは、国内の日本語の分かる日本人のシンパがいる可能性があるからです。紙媒体とネットの壁は想像以上に高いのですが、「コピペ」が容易なブログになると、瞬時に中東まで情報が届けられてしまいます。日本人として同胞の無事を願っており、不用なリスクを略すことで避けたのです。

 田中稔氏は自分に直接取材がなかったまま、ブログを書いたことを非難し、名誉毀損だと以下同文。あくまで引用を明記した上で、「週刊新潮」と「週刊文春」を紹介しているだけだと反論を試みると、

「記事はみんなデタラメだ」

 と一蹴。「新潮」も「文春」もデタラメな記事を書いているとのこと。これが事実なら、確かに名誉毀損にふれる可能性もでてきます。田中稔氏が発言していないこと、とっていない行動を書いているならです。ちなみに「週刊新潮」の編集部に確認したところ、記事は録音したものを文字起こししているので、内容がデタラメということはないとのことです。

 田中稔氏は

「1日以内に私に謝罪して記事を削除しろ」

 と告げ電話を切りました。そうしたからといって、裁判を回避するとは明言していないところは、まるで「アラブの商売」。24時間の限定に、「I am」の言葉が喉にひっかかるなどと軽口を叩いていたのは、微かな何かを信じていたからです。

 裁判をちらつかせて発言を封じ込めることを「スラップ訴訟」と呼び、大弁護団を従え西岡力教授を訴えた植村隆元記者や、「吉田調書報道」に疑問を投げかけた門田隆将氏に訴えをちらつかせた朝日新聞(後に撤回)などが知られます。

 私が得意とするITを中心とするビジネスシーンでも、訴訟はたびたび起こることですが、一般的には通告や予告などがあり、話し合いにより問題と争点が明らかとなり、改善や対応で解決を目指し、実際の裁判は「最終手段」です。一般社会は「善意」をベースとするからです。

 田中稔氏はいいました。

「あなたもジャーナリストを名乗っているなら」

 私の場合は正確には「IT」が頭に付くのですが、ならば先輩ジャーナリストである田中稔氏に問いたい。

「ジャーナリストなら、文章で反撃をすべきではないのか」

 影響力を測る指標のひとつの目安となるツイッターのフォロワーで比較すれば、私の1800人ちょっとに対して、田中稔氏は24888人(本稿執筆時)。13.8倍です。

 田中稔氏はウィキペディアによれば「首相・村山富市の官邸・公邸付き秘書」と政権の側にいたこともあり、彼が編集次長を務めるのは「社民党」の機関誌で、昨年末行われた衆院選挙における「社民党」のマニフェストにはこうあります。

“○知る権利や報道の自由、言論・表現の自由を侵す「特定秘密保護法」を廃止します。”

 特定秘密保護法が表現の自由を侵すという論理に汲みするものではありませんし、拙ブログ、ましてや週刊誌からの引用の多いエントリーに「表現の自由」を声高に叫ぶほど厚顔ではありません。しかし、裁判をちらつかせ、謝罪と削除を要求するそのやり方は「表現の自由」から、ほど遠いものではないでしょうか。また、社民党機関誌の要職とありことから「政治の側の人」への批判です。

 なお、当該ブログでの田中稔氏登場の冒頭「氏」が抜けていたのは、単なる脱字ですが、これが名誉を毀損したと言うことなら、その点はお詫びします。ゴメンナサイ。

 交流のある新聞記者に相談すると、そもそも電話をかけてきた人物が田中稔氏であるか「本人確認」をした方が良いということで、昨日朝、ツイッター上で公開しているメールアドレスに送信したのですが返事がありません。状況が状況だとは後に知りますが、本日(2015年2月2日)午後1時25分過ぎ、同じく公開されている電話番号に掛けたところ本人であるとし、口調は穏やかに

「内容証明を送りますから待っていてください」

 とのこと。

 電話を切ってから、遅まきながら田中稔氏のツイッターを追い掛けてみると、次のように問題箇所を挙げていました。

 

 しかし、「会見を勧めた」とは「文春」にも「新潮」にもあり、田中氏も「薦めた」とあり、「ひっぱりだし」という表現は、あの記者会見を見ていての率直な感想で、もちろん、手や足を引っ張るという物理的な意味ではありません。

 被害者の身内が混乱することは、想像するに容易で、ある種の誤解を生むリスクがあるのなら、声明文のみや、混乱しても取り直しが可能なビデオメッセージという選択肢もあったろうにとの思いからです。また、SNSによる「拡散」する方法もあったと考えるのは、私の肩書きに「IT」が乗るからですが、質疑応答での、外国人記者のざわつきから、より強く感じたのです。

 また、仮に電話で「政治活動ではない」と指摘されていれば、「本人談」として注釈を加えることに躊躇いはありませんが、名誉毀損だから謝罪しろといわれても困惑するだけです。

 政治活動への疑念を呈したのは、福島瑞穂氏の活動とともに、連綿と続く社民党の「護憲」や「脱原発」の主張からです。本人の一連の発言と、関連の深い団体が連綿と続ける主張とが近いにも拘わらず、ある一点における行動を、切り離して評価しろというのなら、それは無理です。

 こうした田中稔氏のツイートも、過去の言動というバイアスがないというのでしょうか。というか、発言が流れの中で評価されるのは、左翼、右翼、リベラルも保守も問わず当然のことで、もちろん間違っているなら訂正は必要であり、されるべきで、私はそれぐらいの「聞く耳」はもっています。それが突然の「名誉毀損」で「裁判」。

 脊髄反射的な法廷闘争は「表現の自由」を萎縮させるとは、ちんけな「ITジャーナリスト」の主張です。

 世界中が何か「力」で相手を黙らせよう、従わせようという空気になっています。私は「IT」が付く「駄文」書きですが、できうる限り「文章の力」での可能性にかけたいと願いします。そして後藤健二氏と、湯川遙菜氏へのダーイシュ(イスラム国の蔑称)がとった行動を永遠に非難します。

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