月9に見つける「あらすじ」の力

テレビ離れが深刻です。私自身の。テレビっ子として育った最大の理由は、物心ついた高知県の文字通り山中では、最大のメディアでアリ、読書の無縁の家庭においての情報源はテレビだけだったからです。

当時のテレビは民放が2つとNHK。教育(現Eテレ)ですら受信状態が悪かったので。

東京に来てビックリ。リモコンのない時代、ダイヤルを回せば、ほぼ全てのチャネルに映像が飛び込んできます。夜逃げ同然だったこともあり、しばらく学校に通えず、もちろん東京に友だちおらず、それでも幸せだったのはテレビがあったから。

いまでも取り柄のひとつが「テレビ欄」が頭の中に入ること。算盤の上級者が頭の中に「そろばん」が浮かぶのと同じです。

ところがいま、テレビがつまらない。特にドラマは・・・っと十把一絡げにできないのは『あまちゃん』のような拾いものもあるからでも、現在放送中の『あさがきた』も、設定の爪の甘さを補うテンポの速さは、朝の忙しい時間にはもってこいです。主演の波瑠ちゃんが足立区の子というのもありますが。

また、随所に過去を振り返るので、見逃しても安心して回を追っていけます。これは『あまちゃん』にも通じます。

先日、ふとチャンネルを合わせた、いわゆる「月9(5→9〜私に恋したお坊さん〜)」に引き込まれました。といっても冒頭の数分間ですが、ダイジェストで「あらすじ」を流しているのです。

「へぇ〜、こんな話しなんだ」

と、それ以上の興味はまったく持ちませんでしたが、なるほど。と頷きます。昭和時代の連続ドラマは、必ず「あらすじ」を流していたからです。だから、どこから見始めても、安心して追いつけたのです。

数年前になりますが、同じくフジテレビの『週刊フジテレビ批評』という、自社をはじめ「テレビ」について論じる番組で、脚本家の鴨下信一氏と、メディアアクティビスト(活動家)を名乗る津田大介氏の対談企画がありました。

ドラマ復権について問われた鴨下信一氏は「あらすじ」の復活を挙げました。理由は先に述べたような感じ。これを真っ向から否定したのは津田大介氏。

「すべての局の新ドラマを録画して見る時代。1話目がつまらなかったらその後は見ない」

と力強く自説を開陳します。

津田大介氏はその後、フジテレビの情報バラエティでちらほらと見かけ、安藤優子氏を追い出した末に、鳴り物入りではじまりながら、残響音がレインボーブリッジを挟んだ汐留まで聞こえ続けるほどに視聴率は苦戦し続けている『みんなのニュース』のレギュラーを勝ち取ります。

フジテレビの「月9」が、いつから「あらすじ」を復活させたのかは存じませんが、私は鴨下信一説を強く支持します。

山Pと石原さとみの恋愛ドラマに、まったく興味はありませんでしたが、「あらすじ」で要点をつかんだことで、いくばくかの「接点」はできたので、なにかのきっかけがあれば見るかも・・・あ、無理か。いまそもそもフジテレビを見ないし。

なお、私は「フジテレビ倶楽部」にも入っていたほど、フジテレビファンでした。

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