※本稿は平成26年2月17日(月)付のブログをベースに大幅に加筆修正しており、ほぼ別物ですが、まったく同じコメントを別の番組でも使い回すテレビコメンテーターと同じにされては心外なのでと、断りをいれておきます。
大雪により交通が混乱しました。高速道路が通行止めになるのはともかく、降雪により渋滞どころか「停止」した道路もあり、道路上で三泊過ごした人もいたと報じられています。
政府の初動の遅れを批判する声はネット上にかまびすしく、安倍批判へとつなげようという動きは「放射脳」に重なります。また、安倍首相が16日(日)の夕方、天ぷら料理に舌鼓をうっていたと告げる「首相動静」をみつけて、
「天ぷら喰っている場合じゃないだろ」
と批判もありました。
幼児的な感情論としてはわからなくもありませんが、すると首相はいつ天ぷらを食べれば良いのでしょうか。いや、天ぷらの有無ではなく、今回の大雪への政府や行政の対応に、課題が残されたのは事実ですが、それを首相個人の責任に求めるところに、原発事故への反省がありません。
東日本大震災、放射脳がいうところの「フクイチ(福島第一原発の事故)」の経験を活かすなら、感情論で個人の責任を追究するのではなく、システムによる解決を目指すべきだということです。
つまり安倍首相が「休日」を返上し、天ぷらを食べずに首相官邸に詰めていれば解決したという発想そのものが間違いなのです。
そもそも「大雪」は予想されていたことです。実際、14日(金)の昼には関係省庁災害警戒会議を開き、土日は古屋圭司防災担当相も出席して関係省庁災害対策会議を開いていました。
つまり「担当大臣」は動いていたのです。大臣に失態があれば、最終的に首相は任命責任を問われます。それを理由に、安倍首相を指弾するのならわかります。そうではなく、本来的には休日である日曜日の夕方に天ぷらを食べたことを批判するのは、個人に過剰な責任を課すもので、練習中に水を飲むなと言う精神論と同じです。
むしろ、対策会議を開きながら、後手に回った事実を踏まえて、首相不在でも機能する危機管理体勢の構築をしなければならないのです。
菅官房長官は17日の記者会見で、雪により立ち往生し、放置された車両が、除雪や救出の障害となったことから、緊急時に行政が車両を排除できる法改正に着手する意向を表明したのは、そのひとつです。
緊急事態でも邪魔なクルマを撤去できないのは「財産権」を盾にされるから・・・というより、この改正に対しても飛躍して、有事に際して国民の財産が侵害されると主張するやからが現れており、お気づきでしょうが放射脳に重なります。
しかし、この主張は、
「個人の財産権は他人の生命より優先される」
というもの。昭和時代はこれを「人でなし」と呼んだものです。
さらにネットでの批判にこんなものもありました。
「土日は休みですか?」
先に触れたように防災担当大臣は動いていたわけで批判は論外。それでは目に見えて活動が分かる「自衛隊」はどうしていたのかといえば、派遣要請を受けながらも待機している部隊があったのも事実です。
医療ジャーナリストで写真家を名乗る伊藤隼也(@itoshunya )氏がこうツイートしていました。
このツイートへのリアクションを見ると「放射脳」との重なりが鮮明ですが、一方では正しい反応もあり、伊藤隼也氏に
“過去に豪雪により福井県や新潟県に自衛隊は災害派遣されているのをご存じでしょうか?”
と投げた人もいましたが、伊藤隼也は
“釈迦に説法!”
と一喝。伊藤隼也とはずいぶんと傲慢なお釈迦様のようです。
■伊藤隼也氏の発言をめぐる一連のツイート
https://twitter.com/itoshunya/status/434539160003567616
自衛隊はもちろん、消防や海保もすべて「二次被害」を避けるのが鉄則です。救出に向かい、そこで被害をだせば、被害者の生命を脅かす危険さえあり、まず「我が身の安全」を確保するのは世界の常識です。
あるいはこういうのでしょうか。
「自衛隊員は死ね」
伊藤隼也とはなんとも残酷に過ぎるお馬鹿様、もといお釈迦様です。
そもそも伊藤隼也氏のツイートそのものに疑問が残ります。まずは「知人市長」という点。ツイッターで「公表」するなら、市区町村名と市長名を実名で拡散するほうが効果があるのは、東日本大震災で証明されたツイッターの活用事例です。
それすらも知らずにジャーナリストを名乗り、ツイッターを利用し、政府批判(自衛隊批判)へとつなげるするのは無知に過ぎます。
それとも知人市長は、自衛隊に角が立つと「匿名」を申し出た上で、怒ったふりをしてみせたのでしょうか。ならば市民の命を預かる市長としては失格です。知人であるからと、批判の刃を鞘に収めるようですがジャーナリスト失格です。
あるいは
“天候が落ち着くまで出動できない自衛隊の事情を知っていながら、批判のための批判に被害者を利用した”
とは穿ちすぎでしょうか。そもそもそんな知人がいなかったというオチなら、佐村河内氏もびっくりでしょうが、これはわたしの邪推に過ぎません。
しかし、荒天でヘリコプターを飛ばせないのは当たり前の話し。ドクターヘリでも同じ。医療ジャーナリストを名乗る伊藤隼也氏ならご存知でしょうに。
陸上部隊も同じです。自衛隊は安全を確保された場所でしか「雪かき」をしません。この安全とは自衛隊の基準であり、民間の求める安全・安心のレベルではありませんし、そこには現場においての民間人の安全も含まれます。一例を挙げれば、雪が降り続く状況の中で、やみくもに重機を動かして、民間人の乗った雪に埋もれた車両を破壊することを避けるためです。
これらの条件がクリアになれば、自衛隊の隊員は夜を徹して「雪かき」をします。それは東日本大震災で見た光景と同じで、あれを忘れて自衛隊の働きを軽視するものを、わたしは人として・・・いや、日本人として認めたくはありません。
話しを安倍政権批判のツイートに戻します。
「土日は休みですか?」
土日の対応が遅かった、あるいは無かったとする根拠不明の批判ですが、では問います。その休みとやらに、大雪予報が出ているなか、移動したのは誰でしょう。
雪深いに土地に住みながら、想定以上の豪雪や雪崩により、孤立した人々を批判しているのではありません。充分に備えをしながらも、病気や孤立の長期化の予想から救出を願う人も同じです。
しかし、不要不急・・・端的に言えば「遊び」にでかけた先で孤立し、被害者面(ヅラ)しているものもいます。大雪による交通機関の乱れも呼びかけられていました。
“食糧がない、孤立している、明日から雪かきするから、手伝ってくれる人、リプください(筆者要約)”
大変だなぁとツイートを辿ると、軽井沢の貸別荘に、大雪のバレンタインデー、つまり雪降る金曜日に出向いているのです。その上で、食糧も不十分だったようで、餓えを訴え、取り残されていると大騒ぎ。
これ、台風が来ているのにサーフィンして沖に流され、増水警報がでているのに中州でバーベキューして取り残される馬鹿と同じでしょう。これを「拡散」していたのは岩上安身。こちらもジャーナリストを自称していますが、「裏」をとらずに拡散する姿に「活動家」の影を見つけます。
また、映像がちょこちょこ報じられる河口湖のホテルの「宿泊客」も同じです。「被災映像」に添えられた実況中継のなめらかさに違和感を覚えていたら、彼らは
“慶応大学・放送研究会のOBとして学生ら約80人と合宿に参加して孤立した。(「朝ズバ!」 価格コム テレビ情報より)”
とあります。
被災地にヘリで乗り込み、被害を喧伝するマスコミ予備軍の自作自演でしょうか。自然災害が想定される事態に、合宿を切り上げ帰京しないような連中が、マスコミを目指しているのですからメディアが劣化するのは自明です。
さらにこんな報道もありました。スノーボードにでかけ、帰宅できなくなったとテレビの電話取材を受けた26才の女性は、ツアーバスが立ち往生したものの、幸いにして目の前がコンビニで食糧確保はでき、もっとも大変だったことはとのアナウンサーの問いに
「お風呂には入れなかったこと」
と答えます。しかも実名入りで、取材に応じる方も応じる方なら、報じる方も報じる方です。
今回の大雪においての幹線道路の大渋滞の原因は「走行不能車両」です。正確な名称ではありませんが、雪道を走る能力を保有していない車両と、技倆を持たないドライバーが大雪の被害を拡大させたのです。
「放置車両」のなかにもこの予備軍は含まれ、充分な走行性能をもつ車両を、的確な技量と状況判断できるドライバーが運転していたなら、三日も車中に缶詰にされる事態がゼロになるとはいいませんが、相当に少なくなり、自衛隊も効果的に配置することができたことでしょう。
スタッドレスタイヤの過信や、チェーンの有無だけではありません。いまの一般的な乗用車は、燃費性能を高めるために車高が低くなっています。雪深くなれば、自然のジャッキアップ状態となり走行不能となるのです。
先頭車両がスタックし、通行量が減少します。後続車両が走行不能車両を、なんとか抜いたとしても、無通行時間に積雪は増し、より走行を困難にさせ渋滞から停滞、そして停止へと、被害が拡大していったのです。
幹線道路が塞がれることにより、自衛隊の到着も遅れます。緊急車両も同じです。その結果、
「救出が間に合わずに失う命」
が生まれます。
大雪の時は外出を控えるもの。旅行という遊びをキャンセルすれば、キャンセル料が発生するかもしれませんが、命あっての物種であり、それを強行することで、救出に向かう自衛隊員の命を危険に晒す傲慢な行為と自省をし、それを促す報道がありません。
物流に関しての同情はあります。特に碓氷峠での立ち往生は、逃げ道がないので諦めるしかありません。
ならば「配達しない」という選択肢も、昭和時代にならあったことでしょうが、いまはほぼ不可能です。
なぜなら、
「大雪予報でも運搬を拒否できない取引構造」
になっているからです。
危険を理由に運搬を断れば、別の業者に変えられてしまうという恐怖が物流業者にはあり、そこで多少の無理ならアクセルを踏みます。消費税の増税分の転嫁が難しい理由と同じです。恒常的な下請けイジメの構造があるのです。
これを奇貨とするのは政府にしかできない仕事です。
解決策はこうです。
「自然災害が予想されるとき、下請け企業へ物流を発注した大企業は処罰する」
という法律の制定です。
下請け企業のドライバーが死んでも、下請け企業の保険で賄われるだけのこと。大企業の良心も懐も痛みません。だから約束通りの納品を求めます。それも今回の大雪で被害が拡大した理由のひとつです。
走行自粛を呼びかける法的根拠を作ることは政治責任で、安倍政権批判を望むなら、これに「大企業優遇」を絡めて共産党あたりが騒げば良いのです。ちなみに民主党にはこんな大役こなせないので期待するだけ無駄です。
下請け企業としたのは、「直接雇用」したドライバーなら企業の自主判断となります。犠牲者が出れば直接批判に晒されますし、そもそも身内の被害はさけようとするので自粛が期待できます。さらに直接雇用により雇用増加となるので一石二鳥です。
雪深い観光地に足を運び、被害者のように振る舞い、それを拡散します。その精神がちょっとそこまでと、クルマを走らせ、動けなくなったら車両を放置して被害を拡大させます。
自ら危地に赴き「被害者」となり、行政の仕事を増やし、あるいは救出の手が必要な「本当の被害者」の命を危機にさらしているのなら、それはもう「加害者」です。おまけに被害者面して政府を批判するのですから自爆テロです。
大枠において政府は国民の生命財産を守ってくれると考えるのは妥当ではあります。しかし、それは幼稚園の砂場における安全とは別物です。自分にできる範囲において、自分の身は自分で守るのは、自由が許された民主主義社会においては当然のことで、それは自由に伴う義務です。
「コンビニの棚からパンが消えた」と大騒ぎしています。しかし、コンビニとはそもそもストック機能を持たない、高度なシステム化(集約化)の上に成り立つビジネスモデルで、物流網と切り離すことができません。
従来の小売店にあった「倉庫」を廃し、1日4〜5回(都市部。山梨県では3回との報道)の配送で補っているのです。だから、交通網の混乱に影響を受けるのは当然で、コンビニを生活インフラとする錯覚は「平時」という共同幻想に立脚した妄想です。
コンビニのパンが消えたことから、安倍政権批判へとつなげる「馬鹿」が大量生産されています。しかし大雪への警戒は週の頭から叫ばれていたことです。どうして「備え」をしていなかったのでしょうか。
繰り返しになりますが、雪崩や大雪により陸の孤島になっている村落を非難しているものではありません。救出へ向かうのは当然ですし、自衛隊のみなさまには、くれぐれも我が身の安全を優先しながら、適切に任務を遂行して欲しいと願うばかりです。
備えさえあれば、不安はあっても餓えの恐怖はありません。そして雪深い街に住む人々は、ある程度の備蓄はしているものです。ならば、飢餓をアピールする馬鹿とは、大雪が来ること、きたときにどうなるかを想像すらできない馬鹿であり情弱(情報弱者)ということ。情弱が己の無知を棚に上げてツイッターで拡散し、それを放射脳の連中が安倍批判と絡めて拡散しています。
今回の大雪による混乱は、効率化、集約化の先にある必然で、拡大すればTPPにも当てはまるリスクです。高度に都市化された社会の宿命であり、このリスクについて日本人は鈍感で、
「安全と安心と平和と“便利”を当たり前」
とする傲慢さは醜悪ですらあります。