なぜ、小泉純一郎が、いま脱原発なのか

放射脳の暴走が止まりません。

放射脳とは福島第一原発の事故以降、放射線被害に科学的知見を持たず、感情論と陰謀論を優先させた思考回路で主張を拡散する病に冒された連中を指します。

彼らの誕生に民主党政権の無策があったわけですが、わたしの調べでは放射脳に罹患した患者の大半が、その民主党を支持していた傾向が強く、消極的な支持ではあっても

「一度自民党にお灸を据えてやる」

と上から目線の投票行動が「自業自得」になったと自省しない、自分勝手な思想行動がベースにアリ、自分の信じる世界により閉じこもるのは、どこか最近のアニメオタクとアイドルオタク業界に通じます。

アニメやアイドルを持って世界を切りとる手法は、サブカルの世界では昭和時代からあり、さして珍しいものではありませんが、空想や妄想を助長するネットの普及により、またメディアの批判精神という牙が虫歯になったことにより、空想と現実を混同する主張を無批判に受け入れ、世に送り出す傾向があり、特にNHKに顕著です。

最たるものは「泥酔尻だし女はキリストを越えた」という、多分この女性タレントにとっても迷惑極まりない論考を発表する批評家がいて、それをまた世に送り出す出版社まである事実です。

この女性が勢い余って「世界進出」とでも言いだしたとき、著作がどれだけ足を引っ張るかといえば、あのビートルズが証明して見せたことです。一神教において神への冒涜は最大のタブーです。

まぁこの女性タレントも迷惑なファンに支持されたものですが、つまりはその程度のタレントだとみるならば、部外者の私が口出すことでもないと、これはここまで。

話を戻します。とにかく自分は別世界に置き、現実世界を批判する無責任さの怖さに気がつきません。

放射脳な連中は「安全神話」を批判します。彼らの言う神話そのものが漠然としているのですが、原発は安全と喧伝していた政官財の主張を指すと仮定して話を進めます。

まず、神話が指す原発の安全とはどのレベルを持って認定できるのでしょうか。また、安全の定義とは何でしょうか。

自然界に放置しても無害。ならば、原発どころか放射線がでる物質はすべてNGとなります。この立場に立てば、レントゲン写真も規制しなければなりません。

レントゲンは管理できている。問題は原発だ。

でも世界中に原発はあります。日本国内にもあります。その事実を前提にすれば原発は管理できているとはいえるのではないでしょうか。

そうではない。不安定な地盤にある地震大国 日本だから問題であり、事実「フクイチ」が起こった。

この「フクイチ」なる呼称。放射脳や脱原発派が好んで使う福島第一原発のことですが、言葉の定義にイベント性を見つけるのは私だけでしょうか。「ヒロシマ」や「ナガサキ」を連想させる、すなわち「アンブッシュマーケティング」の匂いをかぎ取るのです。

アンブッシュマーケティングとは便乗商法で、原子爆弾という人道に関する罪(と認定されないのが不思議)と、千年に一度の未曾有の危機を同列に置くことによる印象操作です。福島県を利用した反核運動に見え不快です。

さあて、管理とは、どのレベルでしょうか。

取材不足で申し訳ないのですが、壊滅状態となった東北の各都市に歯医者はなかったのでしょうか。あるいはそこにあるレントゲン施設は、津波の後も無傷であったのか、なんらかの方法で安全な場所に避難させたのでしょうか。

原発と歯科医のレントゲンは規模が違う。

もちろん、その通り。

しかし、管理や安全危険というのは規模も利便性も考慮した上で語るもので、一括りにすると見落としてしまう・・・当たり前のことですよね。

さて、「安全神話」。

本当にあったのでしょうか? 昔からお付き合いいただいている読者ならご存知でしょうが、わたしは昔から脱原発派。潮力に揚力発電や地熱発電、メタンハイドレートをメタンハイブレードと間違えてお叱りを受けたことは反省材料としても、可能な限り再生可能エネルギーへとシフトしていかなければならないと言い続けてきました。理想的には水素とみていますが、いくつもの課題が解決されていません。

そして昭和45年生まれのわたしは知っています。原発が度々トラブルを起こしていることを。だから、原発の安全神話が存在していたという主張に驚きます。

どうにかこうにか抑え込んでいた。これがわたしの認識で、脱原発もその立場に立つからです。また、ウランも限りある資源で、核燃料サイクルも目処が立たず、ならば残される核のゴミの長期管理・保有のコストを考えれば、できるだけ早くフェードアウトへの道筋をつけるべきだと。

それでは神話が生まれた背景に何があるでしょうか。

放射脳が唱えるように政官財の結託に、広告を貰うメディアのスクラムで「安全」が誇張されたことは事実です。バランスのとれた発電方法の選択を「ベストミックス」として火力、水力、原子力発電のバランスを喧伝していたのはデンコちゃんではなくて、いまバレーボールの世界一決定戦「グラチャン」の解説でなにも解説しない川合俊一氏だったと記憶しています。

そして原発は安全だ。と、安全と認識させることでメリットがある人たちは叫びます。これが罪だというのなら、八百屋も魚屋も、美味いよ旨いよと通りの人々に声を掛ける人々は罪人です。ちなみに繁華街で「いい娘、いるよ」と声を掛けるのは本当に違法です。

自分のメリットのために都合の良い発言をするのは人の性です。

それではその発言を鵜呑みにした人に罪はないのでしょうか。

「悪いようにはしない」

という発言は、発言主のキャラクターにより意味が大きく変わります。

自分のことを真剣に考える父母や親戚、恩師や先輩の台詞ならば頼もしく、仮に裏切られても後悔などしないでしょう。しかし、見知らぬ他人やヤクザに詐欺師に菅直人が発言したとして、それを信じた者がバカなのではないでしょうか。

ここで安全神話の正体を明かします。「幻」です。正確に言えば「短期的な経験則からの希望的観測」です。

日本で原子力発電が行われたのが昭和38年(1963年)ですから、いまから丁度50年前。それから2011年までの48年間、

「(チェリノブイリのような)過酷事故がなかった」

ということと、

「電気の安定供給を欠かさなかった」

ことを重ねて、生まれた神話=キャッチフレーズです。

48年間を短期的な経験則とするのは、廃炉から核のゴミ処理も含めれば、数十年から数万年単位の視野が必要となるからです。つまり「核」というものを扱う上での時間の尺度でみたときの「短期的」です。

そしてこれは「バブル崩壊」が起こる前にあった「神話」と重なります。

「株と土地は下がらない」

一時的な修正局面はあっても、どちらも必ず上昇するという戦後に生まれた神話がありました。これは経済のベクトルがインフレで、経済成長が続いている(どちらも近い意味ですが)ときという条件が限定されているときにだけ成立した「神話」に過ぎないことは、15年続くデフレのいまなら常識です。

しかし、当時は信じられていたのです。だからバブル崩壊が巷の隅々に行き渡る直前

「いまが底値」

と借金を重ねて土地や株を購入し、夜逃げした人たちが沢山いました。余談ながらバブル期に大損したのはこういう「後追い」の人たちで、最初のバブルの波で儲けた人たちは、その後の損失でもせいぜい「行って来い」で金持ちはもっと金持ちになってから、ちょっと損をした程度です。

原発の安全神話も同じです。限定条件での成功を喧伝した売り文句です。

しかし、ここでもうひとつ立ち止まり考える必要があります。

放射脳が叫ぶように安全神話を唱えていた連中・・・は、彼らの利益のためで、不道徳ではあっても、経済活動と我が身の利益のためと開き直れば特段異常とは言えません。

先の「悪いようにはしない」を思い出してください。そして問います。

「フクイチの前に政府や東電をそんなに信用していたのか」

違うでしょう。政治不信が嘆かれ、独占事業による既得権を批判してきたのが、自民党単独政権が終演してからの20年です。そして放射脳が叫ぶように、原子力政策を主導してきたのは永らく与党の座にいた自民党です。その自民党による安全神話を信じてきたというのでしょうか。

自民党は批判しても東電は信じられたというのでしょうか。それとも政権交代した民主党が、地球温暖化対策として原発依存を強めるとしたとき、

「民主党の唱える安全神話」

だから信じたのでしょうか。

ならば、事故直後の菅直人と不愉快極まりない連中による対応のまずさも、投票行動により生み出した製造者責任として甘受するのが大人の所作です。賛成し支持しながらも失敗したら批判する行為を卑怯者と呼びます。

安全神話を肯定するものではありません。そして

「おれ、まえから知ってたぜ」

と自慢するものではありません。ただ、少しだけ問題意識があったことから、無名の何物でも無いころから、週刊連載に追われ、デイトレでヒリヒリしている、いまでもメルマガやブログを書き続けています。

あなたの側に放射脳に冒されている人がいれば、伝えて欲しいことがあります。

「安全神話があった」

と前提にする議論は、議論が単純化され、それを支持した自分たちを反省しないことであり、同じ過ちを繰り返すと。

仮に原発が本当に即時停止し、瞬時に廃炉ができたとして、その先に社会不安が起こったときにこう嘆くのです。

「脱原発神話があったから」

安全神話とは東電と経産省のキャッチコピー。それがさも一般論であったかのように語るのは、反核活動家の扇動です。そんなものなかった。原子力を些少でも知るものなら常識です。

だからこそ、つまりは「危険」を内包している技術だからこそ、緊急事態に備え二重三重の対策が求められ、これが欠けていたことは事実ですが、その対策とは少なくとも千年単位の時間軸と、議論が拡散するのでここでは掘り下げませんが、他国からの侵略戦争も含めた危機の想定が必要なのです。

そして少なくとも二十歳を超えたら社会の構成員です。「知らなかった」と態度を示さなかった過去は多数派への「消極的支持」とカウントされるのが民主主義の仕組みです。

いま、小泉純ちゃんが脱原発を叫び始めました。元首相に敬意を払わないのは、純ちゃんだから。親しみではありません。軽侮です。

もともと国会で「人生いろいろ」と言い張れるバカ、恥知らずです。知らなかったで過去をチャラにしようとするのは、放射脳患者の典型的症状で、橋下徹や山本太郎と同じです。彼らより罪深いのは、首相という立場にあったことですが、幸か不幸か、バカとペテン師、ドジョウが座った椅子の品位は、もはや犬小屋以下とみるならば、元首相という肩書きに重さは微塵もなく「米国のポチ」「ブッシュの忠犬」と異名をもった純ちゃんらしいと言えなくもありません。

なぜ、小泉純一郎が、いま脱原発なのか。

答え、寂しかったから。

マスコミに追われず、後援者に持ち上げられず、注目は息子にばかり集まり嫉妬します。そしてかつての弟子・・・といより子分が調子に乗っていると羊の目を持つ男、小泉には映ったのでしょう。そして目立とうとしているのが、脱原発発言の正体と睨みます。

向こう3年間は国政選挙がないので、無責任な立場から発言できるという安全地帯にいることもバカを加速させているのでしょう。

いま注目しているのは小泉純ちゃんが本当のバカか、ただの寂しがり屋かです。

本当のバカなら次に手を組むのは「山本太郎」。期待しています。広辞苑に

「晩節を汚す:政界引退後の小泉純一郎元首相の行動」

と記載される日を。あと、石原慎太郎元都知事・・・あ、衆院議員でしたっけ・・・じゃなく、あれだ、日本維新の会共同代表が国政復帰して、悠々自適で趣味的な政治屋活動を見て、これにも嫉妬しているのかも知れません。

あんなじいさんがやれるなら、俺もまだ。年寄りの冷や水というものですが。

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