私たちはビッグバンのなれの果て

 日本人3人と日系アメリカ人がノーベル賞を受賞しました。
さらに記せば「国内在住」は二人で、受賞者の半分は米国で
生活をしています。

本旨はここではないのですが、賞を取ったときだけ大騒ぎする
のはまだしも、科学者が日本から遠ざかるのは分からないではあ
りません。

国の支援や研究体制などの諸々はかねてよりいわれておりまし
たが、それを批判するメディアの問題はより深刻でしょう。

受賞を受けて、テレビ局各社は中継車をだしコメントを求め
特集を組みました。アナウンサーやアシスタントが受賞した研究
をことこまかに分かり易く解説します。

南部陽一郎さんの「対称性の破れ」にしろ、小林誠さんと
益川敏英さんの「6個のクォーク」、下村脩さんの緑色蛍光
タンパク質(GFP)をそれは分かり易く紹介していました。

分かり易くというのは完全理解のことではありません。
門外漢の素人には充分な説明だったということです。

ところが「緑色に光るクラゲ(由来成分)」は、眼前で光り
さらにそれが「癌研究」に役立つと聞き理解を示すものの、
物理学賞の内容の説明が終わると総じてこう答えます。

「・・・よくわかりません」

あるキャスターは首をひねり、あるものは照れ笑いを浮かべ
さらには己の理解力を棚に上げ

「文系だからさっぱり」

何が問題か端的に述べるとこうなります。

「自分が理解できないことを恥じと思わず、
時に小馬鹿にするメディア文化人」

残念ながら報じられたものはデファクトスタンダードとなる
傾向が強く、テレビやワイドショーの影響力はスーパーから
ココアをなくし、最近は八百屋からバナナを奪いました。

そして小難しいことは分からなくて良く、小難しいことを
いっているほうがおかしいと因縁をふっかけます。

「もっと私たちにわかるようにいってくれなきゃ」

素人が簡単な説明で完全理解できるような研究でノーベル賞
は貰えないということをご存じでしょうか。と、問いたい。

自分が理解できないことを排除する行為は社会的幼児性の
発露です。他者との差異を理解できない故に排除します。

私自身は科学の門外漢ですが、理解を超えるものを解明して
いこうとうするのが科学的姿勢だとするならば、その姿勢を
否定する「俺わかんね」が大手を振って流通する日本では議論
も研究も成立しないということです。

結果、頭脳が流出していきます。

この週末も株安というバッドニュースをフォローするように
明るい話題として日本人3人+日系アメリカ人のノーベル賞受賞
が報じられるでしょう。是非、キャスターやコメンテーターといっ
た「テレビ文化人」に注目してください。ラジオもそうですが。

このテレビ文化人に「エコ」や「ロハス」というパッケージ
をつけているもの言動不一致は何度か指摘しました。

朝取れ有機栽培の野菜を六本木のレストランで食す、輸送に
かかるガソリンを無視して賛美する女優や、真冬にノースリーブ
で出演して環境を語ったり等です。

ちょっと哲学的な指摘となることをお許しください。

私はエコとの折り合いをこう考えます。

「人間も自然の一部」

だからエゴもでます。野生動物は木々の若芽を食べるものも
いれば、絶滅危惧種であってもハンティングし餌とします。

もちろん必要以上に獲らないのですが、繁殖条件を満たせば
環境を破壊することだってあります。

ただ自然のサイクルという「円環」の中にはおさまっている
ということで人間がこの円環をいびつにしていることへの異論
はありません。

つまりは可能な限り人間本来の自然な生き方に近づくことが
エコロジーとの共生へと向かうのではないかということです。

南部陽一郎さんの「対称性の破れ」により宇宙の根源、
いわゆる「ビッグバン」が証明されたという大雑把な解説に
こう答えたエコ文化人がいます。

「宇宙のことがどうして素粒子という小さいもので分かるのか」

私がその場にいたらこう答えるでしょう。

「宇宙の起源がビッグバンから始まったのなら、この世の全
ての物質は同一の祖により始まる。
つまり、私たちはビッグバンのなれの果てということ」

人間だけが特別だと考える人にとっては理解できないかも
しれませんが、すべてがビッグバン以前のカオスから生じた
ものであるなら、全ての「素材」はかつて一つだったという
ことで、ならばその「素材」にカオスの秘密が隠されている
ことに何の疑問があるでしょうか。

人は死して土に帰ります。比喩ではなくタンパク質は死後
バクテリアなどにより分解され、本当に土となります。骨や
歯も地殻変動や降雨、落石などを経て粉砕され土になります。

そして土は若葉を育み、大木となり、人に木陰を提供して
くれます。

すべてが繋がっているからこそ、円環、連環のパーツとし
て人間が存在させていただいているという想像力を持つので
あれば宇宙と素粒子もまたつながることに思いを巡らせるの
は容易なのではないかと。更には自然や動物の気持ちに深い
理解を示すほどの感受性と理解力を持っているのであれば

「たかだか人間の考えた理論がなぜ理解できないのか」

という不思議が溢れかえります。

人は宇宙の一部。もちろん、自然には宇宙も含まれている。
自然を大切にする心と科学を究めんとする姿勢は相反する
ものでは決してない。

この立場に立つとメディアに流布する「エコ」に鼻をつ
まんでしまいます。

・・・ちょっと難しかったでしょうか。

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