昨日、宅急便(は、ヤマト運輸の登録商標)にて見本誌がとどいて掲載を知りました。
特定アジアと左翼方面から「極右雑誌」という称号を受けるオピニオン誌『月刊 WiLL』に、私の記事『「ネット世論」を目の敵にする朝日新聞』が掲載されたのです。
依頼があったわけではありません。
自分にしか書けないネタと確信しての「持ち込み原稿」です。
東京五輪エンブレムを巡る騒動において、ネット民の果たした役割は顕著です。一方で、このネット民の「捜索能力」を既存メディアが怖れて見せます。
代表的な意見を要約すれば
「今後デザイナーが萎縮する」
とのこと。あの金髪が目に痛い、津田大介氏などもこのような主旨の発言をしていたと記憶しています。
これはおかしい。東京五輪を巡るエンブレムの騒動は、ネット流行語にノミネートされている「佐野る」であり、つまりは「パクリ」ったから疑問が呈され、それを裏付けるような「証拠」が次々と発掘されたから起きた騒動で、パクっていない、普通のデザイナーなら何一つおそれることはなく、それが証拠に、先日、再募集をかけたところ、初日の数時間で300点を超える応募があったとのこと。
誰が萎縮したのだよ。津田君、と糾弾したいところですが、この手の発言は「可能性」を論じただけだと、常に逃げ道を用意しているので、狡いなぁ。
デザイン業界に限らず、パクリやリスペクト、インスパイアはよくあることで、それを踏まえても、上回る説得力が作品にあれば、騒動にはならなかった、ただそれだけのことを、発掘したネットに責任があるかの怯える姿に違和感を覚えます。
とりわけ、朝日新聞とその系列のテレビ朝日の報道は異常レベルで、「モーニングバード(現、モーニングショー)」で
「鬼女」
の説明により恐怖を煽ります。この時、点と点がつながり、一本の縦糸が見えます。すすんだ老眼と乱視のせいではありません。
「メディアはネットを怖れている」
という確信です。
それは旧ライブドア事件による株式の損失に対して、損害賠償の支払い判決が下されたホリエモン氏がはしゃぎ、楽天の三木谷氏が後出しジャンケンでTBSを、いま、また強制捜査の報道がある村上ファンドが、漁夫の利を狙っていた時代のネット脅威論ではありません。
当時のネット脅威論とは、テレビや新聞にネットが置き換わるという「媒体覇権論」でしたが、媒体は視聴者の時間を奪い合うイス取りゲームとはいえ、それが故に短期間での「独り占め」は絶対に起こりません。
まさしく、イス取りゲームを想像すればわかることで、ゲームの開始早々「独り占め」などできないからです。
ラジオが登場しても新聞は残り、テレビに押され斜陽産業と呼ばれた映画も生き残り、またラジオは健在で、ネットが台頭してもそこでの「ネタ」はテレビが多いと歴史が証明しています。
覇権が移ったからと他方が「淘汰」されるとは、週刊少年ジャンプの読み過ぎです。
メディアの側もこれに気づいているはず。
つまりネットという「チャネル」が増えたということで、そのチャネルに流すのは、新聞かテレビか、過去の作品か、それは営業上の選択に過ぎないと。だから、テレビ各社が「ネット配信」に注力しているのです。
ところが「エンブレム騒動」では、その「ネット」を極度に怖れて見せました。
それは
「既存メディアは歴史の検証に耐えられないコンテンツが多い」
から。もっと平易な言葉にすればこんな感じ。
「嘘ばっか」
より正確を期すならこう。
「本当の全部を言わない」
つまりは「報道しない自由」です。
恣意的に情報を取捨選択し、明言を避けながらも、印象操作で視聴者をミスリードしていく。その方向は、朝日新聞が大好きな左。
一方で、左以外の風が吹けば、異常気象だ白ヘビ様のたたりだと大騒ぎして「正常化」と名づけた左傾化の再洗脳を試みます。
私がメディアの嘘に気がついたのは、1998年のフランスワールドカップのころから。インターネットを使い、「世界」、といっても世界に散らばる日本人のコメントからですが、米国は世界と同一ではなく、むしろ米国が世界の嫌われ者の面もあると知ります。世界史をさぼっていた私には、いまでも弱点ばかりですが、必死にキャッチアップしたものです。
ひとたび、メディアに疑念を抱けば、あとは芋づる式。すべてが嘘とは語弊ながらも、都合良く事実を切り取り、結論のためにすべてを調整している姿は明らか。
一例を挙げれば、我が地元、竹の塚ではかつて、悲しい踏切死傷事故が起きました。開閉の判断を「人力」に頼っていたことが、事故の原因だとマスコミは総バッシングします。
しかし、開かずの踏切として地元では有名ながら、この「人力」のお陰で、わずかな時間でも開くことを喜んでいた地元住民は決して少数派ではありません。そして重大事故はこのときが初めて。これを報じたのはウジテレビ、もといフジテレビの「とくダネ!」だけでした。
一事が万事。
ヒューザーによる耐震偽装事件でも、報道機関が「社会正義」の実現を求めるものならば、半歩も踏み込めばそこらにネタは転がっており、放置したが為に起こったとも言えるのが、横浜市の偽装くい打ち事件です(※メルマガ版では「ヒューマン」としていたのは「ヒューザー」の誤りです。お詫びして訂正します)。
ところが毎日は忙しく、コンテンツは消費されるだけで、顧みられることなく、そのご都合主義と左傾斜を基礎構造とした報道は放置されるつづけていました。日本人の善性も強く影響しているのでしょう。それは「普通、ウソはつかないよね」。
違うのです。マスコミと左翼は平気で嘘をつきます。あるいは、嘘という創作はしなくても、肝心な事実を除外することにより誤認させる技術に長けているのです。
そこに立ちはだかったのが「ネット」です。
掲載原稿ではニュースバリューと知名度の無さから「カット」されましたが、記事の横糸として、先の津田大介氏による「ご都合主義」を用意していました。
SNSを社会革命のように喧伝しながら、自分たちの活動に不利な現象には一切口をつぐむ。
最近の事例から遡れば、安保法制、衆院選挙、参院選に都知事選挙。折に触れての脱原発。ことごとく、彼の掲げる旗は大衆の支持を得ていません。
SNSが社会に与える影響があると喧伝して世に出たのが津田大介氏です。ならば、そのSNSは脱原発を拒否したのであり、自民党を多とし、安保法制を認めたということになる、とは認めはしません。
つまり、彼もまたご都合主義で、これは『Web進化論』でひと山当てた梅田望夫氏に代表される、Web系論客の特徴でもあります。
簡単にいえば「我田引水」、あるいは「ポジショントーク」。
これが「広告」なら、文句などいいません。「社会現象」や「常識」のように語るから「違うよ。思いこみ」と指摘するのです。
また、Web2.0が騒がしいころ、「集合知」を騒いでいた連中のなかで、エンブレム騒動を「集合知の手柄」と指摘するものはいません。それは彼らにとって、過去の発言は常に都合が悪いからです。精一杯好意的に解釈しても「その場のノリ」で、現状を認識し、未来予測を発しているだから当然です。しかもそれを公共の場で拡散するのですから、大学生のサークルよりもタチが悪い。
同じ系譜に、グーグルにより既存のビジネスが破壊されると予言した佐々木俊尚氏もいますが、広告収入を柱とするグーグルにとって、既存のビジネスを営む企業は大切なお客さま。論理が破綻しているのです。
余談ながら、佐々木俊尚氏はTwitterで私を「ブロック」していました。とくに絡んだ記憶などないのですが、人間の器を感じさせてくれるエピソードです。
ご都合主義の一例を紹介しておきます。Web2.0の構成要件の一つにあった「CGM」。消費者生成型メディアの英語の頭文字を並べてモノですが、まず、この言葉がウサン臭い。なぜならインターネットがそもそも「貧者のメディア」で、誰でも=消費者でも情報発信できるものだったから。さらに、CGMを礼賛しつつ、その代表格で世界をリードしていた「2ちゃんねる」をカウントしません。「CGMとは2ちゃんねる」だと喝破したのは私をはじめ数えるほどです。
そこに「多様な言論」などありません。我田引水でありポジショントークですから。結論ありき。それが左翼にぴたりと重なります。津田大介氏に至っては、御尊父が社会党の重鎮の秘書とのこと。
だから、「歴史の審判」に耐えられなくなりました。
すぐに嘘がばれる。なぜなら、ネットに「証拠」が残されているから。
メディアもWeb系論客と称される連中も、過去の発言を発掘されると、自分が自分を殺すのです。構図としては、ぱよちん事件や、新潟日報の報道部長と同じです。
エンブレム騒動を発端に書き下ろしたので「持ち込み」は、2ヶ月ほど前。そして掲載の内定をいただきましたが、誌面の都合上、先月は「見送り」。
幸いなことに、というより、時間軸を意識しながら、Web情報に接し発信しているものがおらず、この原稿は私にしか書けなかったと自負しているので焦りはしません。(市井のブロガーにはいるかもしれませんが、不勉強ですいません)
だから「いずれ」掲載されれば良いぐらいに構えていたのですが、「ぱよちん事件」「新潟日報」が発覚されたタイミングので掲載に、運命的なモノを感じるのですが、多分、錯覚でしょう。
是非、ご一読を。
■月刊WiLL 2016年1月号「メディアに正義はあるのか」
http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=B017T4UUAY