先の大戦における南方の最前線で、哨戒の任についたとき、一羽のオウムに見とれていたら、部隊が急襲され仲間が全滅します。
銃弾を避けるために海に飛び込みジャングルを彷徨い、原隊復帰したところ、一人だけ生き残ったことを恥として、死ねと迫られたとは、先日「大往生」された漫画家 水木しげるのエピソード。うろ覚えですが。
この要約を語った上で、ジャーナリストの青木理は
「これが戦争」
とテレビ朝日「モーニングショー」で指摘。語気から「悪」への断罪を感じます。
しかし、これは水木しげるの個人的感想。個人の証言をもって、全体を語るのは論理の飛躍であるか、目的のための意図的な誤用で、つまりはミスリード。「慰安婦」を生み出した朝日新聞と同じ手法です。
片腕を失ったのは、その後、マラリアにかかって高熱にうなされているときに空爆され、命を優先する軍医の判断で切断されたもの。
負傷兵とはいえ見捨てなかった帝国陸軍の姿がそこからは確認でき、「死ね」についても、比喩的表現、あるいはその是非はともかく「殉死」的なニュアンスの可能性や、一般的な軍としては「敵前逃亡」が疑われたとみるべきではないでしょうか。
なにより「オウムに見とれて」とは、哨戒兵がよそ見をしていたということで、水木しげるが監視を怠ったことにより、部隊の仲間皆殺しにあった可能性だってあるのです。
また、「これが戦争」と青木理は言いますが、それは嘘。
命を懸ける戦場で、仲間の命は自分と同等で、感情論や精神論だけではなく、味方の数が多ければ多いほど、作戦の成功確率は高くなり、従って自分の命も助かる可能性が増えるのですから。
また、ベトナム戦争の反省から、いま米軍は兵士が負傷すれば、1時間以内に外科チームが治療にあたり、逐次、考え得る最善の措置を施しつつ、4日後には自国内の病院への搬送する仕組みが構築されているとは、都立広尾病院院長 佐々木勝氏が、極右雑誌「WiLL 2015年11月号」で紹介しています。
現在、世界中で最も戦争をしているといって過言でないアメリカがこれです。青木理の指す「This is War」を嘘とする理由です。
仮に水木しげるへの「死ね」が、ただひとり生き残ったことへの制裁としてと解釈したのなら、私ならこう指摘することでしょう。
「だから日本は戦争に負けた」
と。
なお、神がかり的幸運により、水木しげるは命拾いしたと私は解釈しています。