峯岸みなみと武士道について考えてみたりみなかったり

昨日「供養」と名付けパチンコ店にでかけ「CRぱちんこAKB48」で「みーちゃん」を推しメンとしてプレイ。赤色の人型が登場しSPSPリーチになるも外れ。ほかにもライブゾーンに入るもすかっと外れ。まぁそんなものか。ちなみにこのパチンコ台が登場した直後は「あっちゃん」。玉が出ないならケツ出せよなどとはいいません。最近の派手なだけで複雑なパチンコ台と比較してゲームバランスは秀逸・・・とパチンコ台の話しではなく例の坊主について。

感想を端的に述べ「おぞましい」。峯岸みなみさんの坊主姿は、彼女の目鼻の配置とクビと肩のバランスなど美しいと感嘆したのですが、二十歳の少女が頭を丸め、本人申告を信じ自主的であるとするなら、そうまでさせてしまうAKB商法と仕組みです。私見を述べれば自主的であるのでしょう。だって「商品価値」が下がる・・・というか、そんな面白い出来事ならイベント化するのが彼らの手口だからです。突然やられては収録番組や、発売予定のグラビアなどが「つながらない」からです。

おぞましさ、とは。あの坊主頭に悟りの対極にある、欲望の権化が見えたからです。彼女だけの欲望ではありません。すべての連なるモノで仏教的にあらわすなら「業」です。

峯岸みなみさんが、いまひとつツイていないなぁと思うのは、体罰柔道などがなければこのネタだけでワイドショーを独占できたのにと。さて、体罰王となった園田隆二女子代表監督と、同じく謝罪と反省を求められる状況ですが、両者の違いを上司としてどちらが望ましいかという視点で考えてみます。

乙女ではないか、二十歳の女性が髪をおとして僧門に入るかの如くするのは相応の覚悟が必要で、心意気に感ずるところを否定はしません。ただ、どうでしょう。彼女は商品でもあります。独白のなかで、今後のことはみなに委ねるといいますが、会社で言えば重大な内規違反をし、懲戒解雇もありえる状況のなかでの自己判断で謝意だけを示そうとするのは、経営者の視点で見れば「傲慢」です。しかも辞めたくはないとも言っています。ううん、女の子。とみれば許したくもなりますが、いやいやとかぶりを振って経営者の視点に戻せば、内規違反の上に独断専行しておきながら、組織には残りたいとは筋が通りません。武士でいえば不義密通が発覚したのち、謝意を表すために髷を落としましたが、藩の末席にはお残しあれと。

一方の体罰王は「進退伺い」。すべての判断を預けるという潔いモノです。というのは江戸期に完成した武士道では、切腹とは「賜る」ものであるからです。刑罰なら斬首です。自死は論外。無断での途中退社のようなもの。だからすべてを預けるという意味をもつ「進退伺い」が正解なのです。

もちろん、みーちゃんは武士でもなんでもありませんが。

 

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