あれだけ優しかった民主党を袋叩きするメディアは・・・まぁ、
あい変わらずですが、メディアが「反自民党」かと思っていたとこ
ろに民主党の甘さがあります。
海外のメディア(言論の自由があるとされる国家限定)の多くが
「反政府」
の立場に立つのは、権力のチェック機構という自負からで、こう
したグローバルスタンダードに立つだけで、政権交代後には政府と
なった民主党(この表現が建前上異なることは存じておりますが、
実態として)が「的」にされるのは当然のことです。
悲しいかな民主党。イデオロギーも綱領もなく、各議員が腹を
割った瞬間に党が割れる理念の開きをまとめたのが「党是」とも
いえるものが
「政権交代」
すなわち「反自民」だったのです。ちなみに、足立区で選出され
地元の繁華街である北千住で、飲み屋のねえちゃんを口説き不倫し、
あまつさえ、正妻との夜の巴戦を希望したと週刊誌に奉じられた
「平山たいろう」
氏は、一昨年の衆院選、竹の塚駅前での辻立ちで繰り返したのは
「民主党です。政権交代です。平山たいろうです」
政策を語ることはありません。ちなみに不倫をしていたと報じられた
彼には4人のお子さんがおり、子供手当を人数貰っていることでしょ
う。年収3000万円を優に超えているのですがね。
ついでに彼のどうでも良い名誉のために、彼の主張を記しておき
ますが、支持者には一連の不倫報道を
「ヤクザ案件」
と漏らしているようです。この不況でヤクザ屋さんも暇になった
のでしょうかね。一回生議員にハニートラップを仕掛けて、なにを
得るつもりだったのでしょうか。それとも、彼が大物政治家になる
とでも見ていたのならふし・・・大穴を狙いすぎです。
話を戻します。
反自民、政権交代だけをお題目として布教された新興宗教は、
その目的を達し、仏教的にいうところの涅槃へ、あの宗教でいうと
ころのエル・カンターレに到達しており、すでにやることがなく
新人議員は蜂蜜をなめます。
そして新興宗教にありがちな原理主義からこう考えます。
「民主党にあらずんば人に非ず」
さらに、
「民主党を崇めることこそ人の道」
で、マスコミ対策を誤りました。
一般的なメディア人、あるいはメディア出身のジャーナリスト
全般に通じるところですが、彼らは優秀な成績で優秀な大学をお出
になり、世間一般で言うところの一流企業に勤め、取材先や関係先
もおハイソであられ、しかるにこういう考え方が基本にあります。
「俺が一番賢い」
高卒のひがみではなく、新聞記者などと腹をわって話すと、驚く
ほど自覚症状があり、それゆえ、危機感を募らせているのですが、
社内のマジョリティは「賢い」と自負する連中で、なかなか難しい
とこぼします。
メディア人の本音は
「俺がやったら上手く行く」
という思い上がりです。それは民主党の幹部も全く同じで、
優等生タイプの集まった現政権と与党幹部は、腹の底で同じ思いで
それが「反自民」という教義とかさなっていただけに過ぎません。
「批判、批評、事実の報道」
を使命とする海外メディアとの違いで、それは政治屋ごっこを
する読売新聞の一番偉い人が証明しております。
だったらやれよ。と思うのですが、優等生タイプは汚れ仕事は
他人がやるものと信じて疑いません。これなどは民主党と完全に
重なります。大臣の発言をきいても、他人事のようで、ワイドショーの
コメンテーターと大差がないようにです。
メディア系の人間が大所高所から説教垂れる構図と、民主党の
お家騒動の本質が重なって見えるのは・・・そう、悪化した乱視
のせいでしょう。
しかし、いま私は民主党、いや菅直人首相に感謝してやみません。
管首相のお陰で、甥に「人の道」を説くことができたのですから。
高校受験を控えた甥は、訳あって、いま私のところで生活しています。
詳しくはミクシィの「甥日記」にて、日常を追っかけながら連載
しているのですが、彼との生活で驚いたことがひとつ、ふたつ、
みっつ、よっつと指を折れば足りないのですが、そのなかでもひとつ
挙げるならこれです。
「謝らない」
悪さをしても謝らないのです。
15才のすることで、当初は優しい目でみており、世話になって
いる叔父の下で、しかられて萎縮しているために声に出すきっかけを
なくしているのかと見逃していました。
なんども、なんども同じことを繰り返す、彼を見ていて、そして
我らが菅直人首相をみて、受けた啓示がこれです。
「謝罪という思考回路がない」
菅直人首相と比べると甥に可哀想・・・もとい、一国の首相に
失礼ですので反対の賛成ですが、ふたりに共通するのはこんな
価値観です。
「謝るのは負け」
国際的には謝れば非を認めたことになり、不利になることもあり
ます。私の営業の師匠も、頭を下げると責任を押しつけられるので
絶対にダメだと教えてくれました。
しかし、ここは日本です。また、国家間はともかく、ひとりの人間
としてなら、外国人相手でもさしたる違いはないのではないでしょ
うか。もちろん、ケースバイケースであることが前提です。
菅・・・もとい、甥の話です。いくら説教をしても頭を下げません。
自分が悪いと理解していることは表情から読み取れます。
ところがどれだけ水を向けても「ごめんなさい」が言えなかった
のです。
首相のお陰で気づき諭します。
悪いと思えば謝罪しなければならない。
それによって命を取られても仕方がないばあいもある。それは
悪いこと、謝罪しなければならないことをしたからだ。
逆に考えてご覧。謝らなければ、どうして相手が許してくれるん
だい? それは伸子夫人・・・コホン、君と接するすべての人間が
ママなら話は違うだろう。一般的な母親というのは、子供がしたこ
とはたいてい許してくれるらしい。らしい・・・というの理由は
おまえが大人になったら話すことができるが、叔父さんの母親、
つまり君のおばあちゃんはちょっと違う人だったから。
でも、おまえのママはどうだい? 許してくれただろう。いつか
忘れたふりして許してくれたんだろう。
だけどな。世間は違う。すくなくとも反省したという意思表示の
ためには「ごめんなさい」という言葉が必要なんだ。それが
次へのスタートラインになるんだ。
納得したようなので説教を続けます。
ついでにいっとく。おまえは嘘つきだ。
驚く甥を無視して話を続けます。
いいか、嘘というのは相手を騙そうという悪意がなくても嘘に
なるんだ。例えば、
「できるといってできないこと」
「やるといってやらないこと」
これはすべて嘘だ。悪意のあるなしがひっかかるかもしれない。
もちろん、「罪」という尺度で見れば、悪意のある嘘とは等しく
はない。しかしちょっと想像してご覧。おまえは友達と遊ぶ約束を
している。それをテレビが見たいからと、一方的に約束を破れば、
おまえが悪いのまではわかるだろ?
うなずく甥。
それじゃあ、おまえが学校から帰ったら、家族で出掛けなければ
ならない用事が待っていて、友達は自宅の電話に出ず、携帯電話を
もたずに約束の場所にでかけており連絡がつかなかったとしたら?
約束は先に成立している。これはわかるよな。
翌日、学校に行って、こういったら友達はどう思う。
「昨日帰ったら、突然家族で出掛けるっていわれてまいったよ」
待ちぼうけを食らった友達はどう思う。事実関係において、
おまえに悪意はない。しかし、まず「ごめんなさい」じゃないか?
おまえが友達の立場なら・・・どう思う?
結果的にできないことは仕方がない。しかし、迷惑をかけた人が
いれば、素直に謝るべきだと叔父さんは考える。また、深く考えも
せずに「やる」「できる」といって、できなければ? その言葉に
期待していた人は落胆する。言葉を換えれば裏切りだ。
叔父さんはどちらも「嘘」だと思う。だから「ごめんなさい」と
頭を下げて、次から「嘘」をつかないようにするところに人間の
成長があるんだ。
・・・「謝る」ということの意味を理解したようです。もちろん
わかったからといってすぐにできるわけではなく、悪戦苦闘は
今日、いま現在も続いているのですが、菅直人さんの身を持って
示した「不信が生まれる構図」により、甥は少しだけ人間的成長が
できたのです。
ありがとう民主党。ありがとう菅直人首相。
あなたがたのマニフェストのお陰です。