外務省、社会保険庁、厚生労働省・・・などなど、ひとつの悪事が
露呈すると、組織全体が灰色の目で見られるのは報道のせいもあり
ますが、日本人には「穢れ」という概念があり、穢れたものに触れ
たり、そばにいたりするだけで、自分も穢れてしまうという恐怖心が
「一緒くた」にするベースです。
もちろん、そんなことはなく、立派な官僚や額に汗して働く役人も
いるのですがね。
さて、「検察」。
厚労省のFD改竄事件に「粗忽な方法だな」と、つぶやいた人間が
日本だけでも3000人はいるかと思いますが、検察は重大な過ちと
発覚を恐れて間違った決断をしました。
沖縄の地方検察も負けてはいません。中国漁船の公務執行妨害に
「外交判断」
を下したのは、明らかに間違いです。検察組織の領分を越える
判断は「政治力」がかかったのではなければ、日本国の司法制度に
対する挑戦といってよいでしょう。これらをもって「検察解体論」が
でるのは致し方ありません。
さて、小沢一郎さんのくだり。
そんな「間違った判断ばかりする検察組織」が、小沢一郎さんを
不起訴処分にしました。
これを国語の問題風に記すとこうです。
Q:前述の事例から類推して不起訴の判断は正しいですか。間違いですか。
検察審査会の判断がこの答えかと思うのですが、小沢一郎さんを
擁護するかたは、ここを切り離して考えることができる、非常に
冷静な方なんでしょうね。もちろんイヤミですが。