iPadの狂乱報道をみていて覚えていた違和感の答えを
京極夏彦さんの新書がiPad対応だと聞いて発見。
ちなみに狂乱報道とは礼賛一色で、問題や課題を
考えることすらしていない姿勢への評価です。
で、見つけた答えはこう。
「活字離れはどこにいった」
紙にインクで刷られ背中をのり付けされ、時には
アート紙などで衣装を着ておすましする「本」は
読まなくてもiPadなら読むようになるのでしょうか。
私の違和感の正体です。
これが紙版と電子版の
「シェアの奪い合い」
という切り口ならなるほどと思うのですが。
京極夏彦さんの小説をいまだかつて一冊も読んで
いないことから気がつきました。作品がどうこうなど
ではなく、小説は歴史物以外はあまり読まないので。
そして漫才コンビ「爆笑問題」の太田光さんの
言葉にうなずきました。
「本は残り何ページかと確認しながら読むのが楽しい」
そうなんですよね。あと少しだけど、どうやって結論
づけるのか、え、ここでそんな展開が・・・というのも
楽しみ方なんですよね。
するとこう反論されるかも知れません。
「あと何ページです」
とでている(推測、あるいはPDFのように全体量と
現在ページが表示されるとして)と。でも、感覚と
デジタル(数字)って違うんですよ、それこそ感覚として。