政権交代すれば日本が良くなると本当に思っていたとしたら、
とても幸せな人生を送られてきたのだろうと、その幸運に拍手を
惜しみません。
しかし、政治で言えば日本新党や青島都政、いや内田裕也に投じ
た経験と重ねれば、幻想に近い妄想と直感的に悟りました。
またあとやく3年ありますから断定を避けるのは、そうしてしま
うとただの悪口になり、民主党を勝たせた野党支持者として、おの
れに刺さる刃から逃れるための安全策です。
時代の閉塞感が強まると「待望論」が生まれます。
ヒーロー、変革、改革、革命、はては「戦争」まで過激になる
その心のベースは同じです。つまりは
「依存」
あるいは
「依頼心」
これは私の心の師匠と勝手に思っているある女性との会話。
「もう、我々の時代では何も変わりません。だから次の世代が
育つための何かをしたいのです」
・・・二十歳そこそこの頃で青臭い愚かさですが、ようやく
人生の荒波は波打ち際にはないことを知ったものの、大海に
漕ぎ出すには強度不足の船しか持たないことをしったころ、
おのれに挫折し、自己弁護のために用いた言葉であることを
見破られ、こう質問されました。
「もうやめるの?」
あきらめるという意味を含んだ言葉にはっとしました。
さらにこう続けます。
「ミヤワキくんしかできないことがあると思うんだけど」
言葉が刺さることを知った瞬間です。
二十歳そこそこの小僧が、小さな挫折から人生を悟った風を
装い、次の世代に「依存」することで、自己の正当化を図った
ということを見抜かれていました。
逃げるようにその場を去り、闇夜に「脳内リフレイン」を
経験し、自己嫌悪に陥ります。
自分がやらねばならぬことを放棄して、子供や孫の世代に
つけ回しし、それを正当化する発想のいやらしさに向き合います。
盲目的な政権交代の熱気に同じ温度を感じました。
それは「電子書籍」にも。
既存の出版界の青色吐息は周知の通りです。新聞社や雑誌社、
いまやドル箱だった漫画雑誌まで景気の良い話しは耳にしません。
例外はどの業界にもあります。たとえば「宝島社」。
コンビニでもお馴染みの「豪華すぎる付録」で大躍進しています。
結果論から「俺は知ってたぜ」的な発言に受けとられると残念
ですが、この発想は拙著「Web2.0が殺すもの」の発売当初
から繰り返し語っていたことです。
セールスは芳しくないと担当編集者が肩を落とした同書ですが、
関係者の評判はすこぶる高く、各種雑誌の書評欄に取り上げられ
そのお陰で、数多くの取材依頼を受けたものです(ただし、その
100%が情報収集のため、記事になったものはありませんし、
すべてノーギャラでしたガッデム)。
すると出版関係者から必ず問われたのがこの質問です。
「出版業界の生き残り策は?」
私は即答しました。
「コンビニ販売など“リアル”のチャネル(販売網・接点)です」
日本全国津々浦々までコンビニ販売網があるのは、世界に誇れる
ジャパンオリジナルで、米国がネット通販大国になった要因は
「広すぎる国土、きめの粗い物流網」
を補完したからで、逆に言えば
「せまい国土に狂気的な物流網」
をもっている日本なら、“リアル”の接点を活用すれば、
ネットでは与えることができな「触感」を提供することが
できるとアドバイスしたものです。
その後、私に「アイデア料」の振り込みがないことから、
アドバイスは宙に消えたのでしょうね。
アドバイスを求めた彼らの期待したものは、出版業界が再生する
ための新しいネットサービスやデバイスで、私のアイデアは彼らを
満足させることはできませんでした。
そしてワールドカップとオリンピックが過ぎたころ、彼らが
待望したネットサービス「電子書籍」とデバイス「iPad」が登場し
飛びつきます。
ま、いつの時代も努力もせずに救いを求める人は多く、彼らがい
る限り、ビジネスとしての宗教は活況を呈すでしょうし、それにより
一時的にでも救われる魂があるのなら否定はしません。
先日、酉の市発祥の地とされる、地元足立区の大鳥神社に熊手を
買いに行きました。私もそこそこの努力で救いを求める浅ましい
魂の持ち主ですが、同居する甥はこういいます。
「叔父さん、俺に合格祈願のお守り買って」
私は彼が頬張った「太鼓焼き」を飲み込むのを持ってこう告げます。
「神頼みは努力した人だけができるんだ。
努力をしていない人を助けるほど神様は暇じゃないんだよ」
もう少し、努力しなければと自分にも言い聞かせているのは彼には
内緒です。
「紙の文化」や欧米に比較して安い「書籍代」、そして先ほども触
れたように細やかな「物流網」をもっている日本の利点を生かす努力
の余地はまだまだ沢山残っているのですが、電子書籍に一発逆転を
願う姿は神頼みです。
新聞にしても雑誌にしても、あきらめるにはまだ早く、電子書籍は
リスクが高いのですが、かつてのアイデア料を踏み倒されたので、
これ以上は秘密です。
これは先日、ツイッターでつぶやいたことですが、電子書籍の議論が
「ネットの住民」
に引きずられていることをニタニタと眺めています。ネットの住民は
「無料」の信奉者で、ライターや編集者の苦労を想像する能力に不便が
あり、有料を唾棄し、低価格でも不満を述べる・・・のは、日本人に
顕著です。
そのなかで「週刊新潮」の電子版を海外邦人向けに発売し、その
料金設定は「紙版」より高く設定しており、理由を求められこう答え
ています。
「空輸より安い」
なるほど、痛快です。
「情報は有料。あるいは見合った価格が存在する」
ここに立たない限り、電子書籍は国内の新聞が辿った迷走を
なぞるだけです。