ツイッターと2ちゃんねる

 週刊ポストの取材を受けました。

「ツイッター」について。

ツイッターとは140文字以内で投稿ができるミニブログ、ただ
話題となるのはこのブログは上下左右、東西南北、自由自在に
他人の意見を参照しながら意見を述べることができること。互いの
面識は無関係で、参照の参照に発言することもできます。

またタレントや著名人が身分を晒して参加しており、彼らに
メッセージを投げかけることもできますし、フォローといって、
彼らの発言を眺め続けることもできます。ここから、海外では

「セレブの追っかけ」

と呼ばれ、パリスヒルトンは155万人の追っかけをもちます。

このイメージを伝えにくいのは事実ですが、ツイッター礼賛派は
これをもって「やってみないとわからない」といいますし、何より
「物書き」としてベストセラーを連発している連中、もとい方々ま
でこう宣うのは物書きとしての職場放棄と、私は挑戦します。

「ナンパ目的のチャット状態」

・・・誰でもいいからひっかけようと、手当たり次第に異性と
おぼしき人に声をかけるナンパ師もいれば、自己主張だけを延々と
繰り返すものもいるあの世界です。もちろん、自己啓発系の誘惑も
後を絶ちません。

もちろんツイッターの一面に過ぎません。あるいはこういう
表現はどうでしょうか。

「おばちゃんたちの巨大な井戸端会議」

論拠も根拠もなくダラダラといいたいことだけが繰り返される
井戸端会議です。人の話を聞くお母さんもいれば、無視して自説を
展開するおばちゃん、ただ頷くだけのおっかさんもいるあの風景
です。

これにも異論が出るかも知れません。ならばこれはどうでしょう。

「公開されているインスタントメッセンジャー」

短文でやり取りされる内容がすべて公開されているイメージです。

説明が難しくなるのはツイッターはシンプルな機能しか持たず、
利用者が「工夫」して、自分、自分たち好みに使いこなしている
からで、しかし、裏返せば「ブログ」でも「掲示板」でも、工夫
次第で「ツイッター風」の使い方は可能です。例えば、女子高生の
ブログ「リアル」は、本来は一定であるプロフィール欄を書き換える
ことで、「リアルタイム」の状況を伝える「機能」を彼女たちは
与えています。

そして私がツイッターを説明する際にもっともお気に入りの説明
はこれです。

「自由自在にスレッドを行き来でき、自分でスレッドを立てることが
できる2ちゃんねるのようなツール」

ツイッターの「リアルタイム中継(tsudaる、津田大介氏が
ツイッターではじめたことから、そう呼ばれるようになり、ある
ネット解説では一般動詞となったあるが、これは一部の人間の
“符丁”、あるいは“業界用語”と呼ぶべきもの)」は、
2ちゃんねるの「実況中継板」で、「ハッシュタグ(#???と投稿に
添えることで、???というテーマに沿った内容をまとめて閲覧
することができる)」とは「スレッド」と同等の役割を果たすこ
とができます。

両者の類似性を指摘すると大半の人が頷きます。ところが、
各種「著名人」がこれに触れることはありません。それはまるで
演歌歌手や芸能人がヤクザ屋さんの親分の誕生日会に出席した
ことを隠すかのようです。

しかし、日本の芸能史とあちらのご職業の方のつながりは古く
深く、マイナス面はともかく、まつりとなれば浮かれてはしゃぎ、
はみ出すお調子者に睨みをきかすことで、「仕切り」ができてい
た面もあり、また興行主としては、きっちりチケットを「捌く」
ことで出演者に余計な負担をかけずにすんだという面もありまし
た。

あちら側のご職業を礼賛するつもりはござんせん。が、しかし、
一方的に全てを否定するほど私は純粋ではなく、無知でもなく
特に昭和史を冷静に見る上で、こうした視点を欠いてしまうと
見えなくなるものがあるというのは事実なのです。

そして日本のネットコミュニティのなかで「2ちゃんねる」の
果たした役割大きく、それは功罪のどちらであっても歴史に刻む
必要があります。

「フォロー」は2ちゃんねるにないだろうという突っ込みも
あるかも知れませんが、それは「RSS」をフィルタリングす
れば済むことですし、なにより「同じ」といっているわけでは
ありません。

文章でサービスの概要を伝えるチャレンジをした理由はもう
ひとつあります。それは日本のツイッターの礼賛者がそれを

「突然変異」

のように伝えようとしていることへのアンチテーゼです。
歴史文脈にないから伝える言葉を持たないという含みを私は
感じるのです。確かに歴史において数百年に一度の天才が
突然変異のように現れます。あるいは「オーパーツ」や
「ミッシングリング」のように、文脈を持たない歴史的遺物も
実在します。

しかし「ツイッター」はそれではありません。
これは開発者も答えていることで、すでに使っていたツール
をより便利にするというアイデアから生まれたものです。

歴史が証明している人間の業にこんなものがあります。

「周辺ほど過激化する」

宗教で言えば、開祖や真理を説いたものや、直弟子よりも
孫弟子や弟子から教義だけを授かったもののほうが、それらを
絶対視して過激な活動にでるというものです。

日本でのツイッターへの「過剰期待」はこれです。

私はツイッターを嫌いではありません。なかなか面白いとも
思っています。ただし、これでビジネスが変わることがないこ
とを知っているだけです。

だって私がインターネットに関わってから、米国からの
新しいサービスが輸入される度に同じことが繰り返されてきた
にも関わらず、あまり変わってこなかったからです。

いつも楽しむためのツールに過剰なビジネスの期待を投影し
腰砕けのように撤退してきたのが、日本のインターネット史と
いっても過言ではありません。それは「バブル崩壊」後、
政治と共に迷走を続けた日本がすがった「藁」なのかもしれま
せん。

藁は藁でしかなく、救命具にはなり得ないのです。

またビジネスの最前線は想像以上に泥臭く、文化・習慣・風俗と
切り離すことはできず、米国の常識を日本に押しつけても、
イエスと素直になるのは難しすぎます。これをもって

「だから日本は」

という人は是非、米国に行ってください。もっともこういう
卑下の仕方はとても「日本人的」で微苦笑を禁じ得ないのですが。

歴史は昨日と今日の延長線上にあり、しかし、昨日と同じ
明日ではありません。だから、ツイッターが過去のネットツール
と違う役割を果たす可能性もあります。

しかし、「ブログ」や「SNS(ミクシィなど)」の時ほど
地盤が持ち上がるような、静かで、しかし力強い脈動を
「ツイッター」から感じることはありません。

・・・どこでかというと、ご近所、周辺から。周辺調査からは

「RSSリーダー」

の時に酷似しております。
ちなみにこの「RSS」でもビジネスが変わるといっていた
人も沢山いたなぁと目を細めてしまいます。

そして来週発売の週刊ポストにて「ツイッター」について語り倒
しました。

記事はアスリートからお笑いまで、丹念な取材と軽やかに読ませ
る言葉選びと、文章構成が見事なルポライターの増田晶文さんが
仕上げてくれるとのこと。楽しみです。

なげかけられる質問が誘い水となり、つらつらと語り、1時間の
予定が1時間45分に。

と、実はここまでが壮大な前置き。ここからが本番だったのです
が、書き出してから気がついたのが扱うテーマの大きさで、前後編
にわけて、続きは次週に。大事件でも起きない限り続きます。
 

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