死ぬならワンパン決めてからにしろ

月末のクソ忙しい最中に発熱でダウン。
先週末の風邪を気合いでねじ伏せたと思いきや。
日曜日の早朝からイザナギ越えの右肩あがり、夕方には39.5
度突破で焦ってしまいました。

そこにきて執筆仕事が一件、こちらもまた急ぎで入ったので
軽くピンチでした。
昨日でなんとかな立ち直したとホッとしていたら、今週は明日迄。

・・・だめだ。更にスパークしないと。

そんなわけで早速本題。

「いじめ自殺」について。

昨今の風潮として故人は聖人化され、遺族は聖域とされますので
そこを指摘することはメディア界ではタブーのようです。

もちろん、いじめる人間の方が悪いのは当然。
そのことをフォローできずに、更には「隠蔽」しようと学校がし
ていたのならそれは論外です。

そして日本人ですから故人の冥福を何より祈っております。

と、いう立場に立った上で「あえて」触れます。
「タブー」なしで。

これが、メルマガやブログだからできることと信じて。

起こってしまったことは悲しくても事実であるなら、「再発」を
防ぐためにも、事実関係を詳細に調べて公表することが大切です。

隠すのは論外ですし、とぼけるのは偽証罪で訴えても良いでしょう。

そう、全てを公表すべきです。

全てを。公表するなら。

悲しみの遺族の発言を取り上げるのは流石に躊躇われるのですが、
しかし、岐阜のイジメ自殺ですが、お嬢さんはいじめられた下級生を
庇って以来、いじめられるようになったという話しがでており、
多分、そのことをさしてなのでしょうが、お母さんとおぼしき方が

「正しいことした人が報われないなんて」

と学校関係者に問いかける映像がワイドショーで繰り返し流され
ます。ゴメンナサイ。思うところがあり、この映像を見続けること
が耐えられないので、正確な引用でないかも知れません。

見て見ぬフリをしろ。 とはいいません。

しかし、

「正しい行いをするときに誰かの力をあてにする」

というのはどうでしょうか。
彼女はそんなつもりはなかったことでしょう。
しかし、言外に正しいことをしている子供は必ずバックアプしろと
聞こえてしまうのです。

正義を貫くには力が必要です。

この力は腕力だけではありません。
財力も政治力もディベート力もその一つですし、何より

「くじけない心の力」

が必要なのです。

どれだけ虐められても「自分は正しい」と歩みを止めない心の
力です。
庇われたとされる下級生はこの報道に触れ、どう感じているの
でしょうか? 公表するならこの子の気持ちもです。

残念ながら私はエラソーな能書きを垂れられるほどの人間では
ありません。

私は中学一年生の時に「挫折」しましたから。

中学一年生の時、喜び勇んで「学級委員」に立候補して、
無風当選を果たして張り切りました。

正しい行いは必ず通じる。

通じませんよ。ヤンキーには。
一学期で挫折です。

もっともらしい理由を担任に話して「辞任」させて貰いました。

通じない理由を「今風」にいえばイジメとなるかも知れません。
呼び出されたりもしましたしね。

辞任後にすっかり尻尾を丸めて負け犬人生のスタートを切った
私に追い打ちをかけるように「暴力」はその追撃の手を緩めて
くれませんでした。

そこで私がとった手段は

「暴力に訴える」

でした。

「やられる前にやっちゃる」

私のくじけた心は、暴力というもっとも安直で根元的な力という
逃げ道を選択したのです。

が、しかし。後悔はしていません。
暴力という泥水をすすっても生き残ることができましたから。

何が何でも暴力で押し通すのは間違いです。法治国家ですしね。

しかし、法体系も社会論も統治システムも理解できない、子供達

「全て話し合いで解決できるとは思わない」

のです。
その時に力が必要なのです。某かの。

だから下級生が虐められているのを見て、助けなければと思って
も、その火の粉が自分に降りかかったときに耐えられるのかを
推し量る必要があり、選択肢の一つとして

「先生に告発する(ま、チクリです)」

というのだって方法です。これは頭脳力と情報分析力です。
先生に全てを管理せよ! なんて酷なことをいうつもりはサラサラ
ありませんが、告発に対して真摯に対応する責務はあると考えます。

しかし、それをせずにその場で「戦った」のです。

義侠心は立派です。でも、死んじゃダメ。

そこで本当に昨今の風潮では「言えないこと」なのですが、虐め
られている子供達へのメッセージです。

「死ぬならワンパン(一発のパンチ)決めてからにしろ」

弱いものイジメしかできない人は、殴られることが嫌いです。
ま、だれもが痛い思いはしたくないものですが、特に自分より
弱い奴を捜して、色んな手段でいびることにより快感を得るわけ
です。

「やっちゃれ」

暴力否定の世の中ですが、思春期ぐらいまでは本能の方が遙かに
強いのです。

「死ぬ気になれば何でもできる」

と子供にいっても「何でも」の範囲が狭いので、対して分かりま
せん。だから

「死ぬ前にぶっ飛ばして泣かせてこい!」

と。シンプル馬鹿な発想ですが、思春期の暴力というガス抜きの
安全弁が塞がれてしまっていることにより、起こっている悲劇もま
た多いのではないでしょうか。

「話し合いで解決」

できればいいでしょうが、

「ヤンキーの口先」や「集団で虐める側の口裏」

というのは相当に手厳しいものがあるのです。
これは大人の社会でも同じですよね。ただ、大人通しなら互いに
落としどころを知っていたり、

「逃げちゃう」

ことだって自分で決めてできるようになっている。

でも中学生ぐらいまでの子供にそれを求めるより

「一発の右ストレート」

の方が、シンプルで即決できることも多いのです。

・・・但し、同時に暴力は必ずエスカレートするので、

「やるときは相手がマイッタするまでやる。
マイッタしたらそれ以上はやらない」

等の駆け引きも教えておく必要がありますが。

極論暴論かも知れませんが死ぬよりマシです。

それと私は「理不尽」を家庭内で最初に学びましたが、学校って
社会にでる前にそれを学べる場所で、

「正義が必ず勝つ・・・訳ではない」

ということも結構学べるいい場所なんですが。

本日は「あぁ、また非難されるんだろうな」と思いつつ、
誰かがいわなきゃという思いで書きました。

それにあの事件って亡くなった子は中2からバスケ部に入って、
「イジメの加害者」とされる子達は中1からで、事実上の

「イッコ上の先輩」

のようです。
そこで下級生を虐め・・・ていたのかしごいていたのか分かりま
せんが、運動部では良くある話しに、

「同級生」

が入ってきた。でも実質「後輩」。

・・・なんかここら辺もあるような。

もちろん、「みんな仲良く」は基本でしょうが、中学部活にも
なればそれだけでは納まりません。

そして「下手」と言われたとかいわれないとか。

・・・これは当然そう。

バスケは「習慣のスポーツ」の最たるものですから、一年差は
余程の天才でもない限り埋めるのは・・・数ヶ月では難しいのです。

だから、公表するならここまでして欲しいのですが。

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