ズルをした方が得する社会を誘導する公明党ってなんだい?

 未履修が馬群最後方から一気の追い上げで、すっかり

「2006年流行語大賞」

の有力候補となりました。
「Web2.0」はそれで儲ける人たちの思惑が絡んでいるので、
入賞は間違いないとして、未履修も相当にいいところに絡んでくる
のではないでしょうか。

ちなみに

「インターネット元年(1995年)」
「iブーム(1999年)」
「2000年問題(1999年)」
「IT革命(2000年)」

すべて流行語大賞の各年で入賞しております。

「嫌韓流2」でも流行語大賞のおかしなことを指摘していましたが、
商売の世界では「大人の事情」が絡むものです。


嫌韓流2
http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4883805166

戦後公教育で詔のように神聖化されていた

「平等原理主義」

からするとまかり通らない「不正」が大人の世界では当たり前です。

ただこれを「不正」と追求できるかというと微妙で、何でも正しく
多数決的な公平さで晒しているかというと、その平等原理主義者で
さえ、

「人権(これはもう様々なとあえて)」

の前では「不正」を働きます。彼らは「配慮」といいますが。

もちろん、私は「大人」としてこれらを非難するつもりはありま
せん。これを「大人の呼吸」と呼んでいます。

社会というのは四角四面にルールを厳格適用していれば、上手く
いくほど単純なものではありませんからね。

しかし、同じ条件で戦うべき「競技」で不正が行われていたら
どうでしょう?

例えばディープインパクトは凱旋門賞で、おフランスのルールに
抵触して、今月中にもでる裁定によっては

「失格処分」

となるかもしれません。これは

「公平な条件でレースに望まなければ、結果の信頼を揺るがす」

という原則からして当然のことです。
結果の信頼は競馬そのものへの不信につながり、自身の首を絞めて
しまうのです。

所定の条件下での平等な競争。

但し、これは日本もフランスも共通の見解ですが

「馬に罪はない」

と。

未履修生徒は「大学受験」というレースにエントリーして、研鑽を
積んでおりました。モチロン、

「生徒に罪はない」

でしょう。

しかし、未履修生徒と

「ちゃんと受験科目以外も時間を費やして勉強した生徒」

との間に不公平は生じないでしょうか?

それに未履修よりもちゃんと履修している学校の方が多数派です。

今、補習を軽くしようという動きがあり、宗教団体を背景に持つ
馬鹿な政治屋集団が

「優しい救済案」

をゴリ押していますが、これは裏を返せば

「正直者が馬鹿を見る政策」

ということです。

こんなことをこの国の明日を任せたはずの政治屋はやってはなら
ないことです。

もし、それでもどうしても陳情が煩くて・・・もとい、生徒達の
ことをおもんばかって正直者が損をする政策をだすのであれば、

「未履修に係わった教職員、それを見逃した教育委員会関係者の
懲戒解雇も含んだ懲戒処分」

を先に発表すべきです。

非常に日本的な解決方法ですが、

「俺の首を差し出すから生徒達は」

ということです。但し、本当の命を差し出す必要もありませんし、
そんなことをしたら生徒の心に一生消えない傷を残してしまうので
やってはいけません。

ただ、「ズルをしたらバツを受ける」としなければ、ホリエモン
チックな

「やったもん勝ち」

となってしまい、それは教育としていかがなものかと。

日本は「玉砕」のイメージがありますが、将の首をとれば家来の
責任は問わない歴史が圧倒的ですので、良い日本史の勉強になるか
もしれません。

将棋などでも相手の「駒(部下)」を取ったら、自分使えるのも
非常に日本人的なのです。外国? 多くは皆殺しです。

責任をたらい回しにして、そして得をした生徒達は真面目にルール
をまもった生徒よりも有利に受験をする。

子供が可哀相・・・なのは認めますが、その学校を選んだのは誰
でしょう。

だったら、未履修生徒はそのまま受験させて、

「未履修1単位につき3点減点」

なんてどうでしょう?
あくまで「受験レース」のためにおきたズルなら、競技中で補正
すればと思うのです。

だって「教養」に近い部分を切り捨てて、「点が取れる授業」に
傾注するあまりにおこったことなら、これが一番「フェア」かと。

まぁ、私はこの件が明るみにでたときから

「大騒ぎしなきゃいいのに」

と見ていました。

現実的に普通の補習や追加授業では難しいのですから、文部科学賞
としても、

「ちゃんと履修させるように」

と通達をだして、学校は「分かりました」と答える。
そして試験休みや今週末の連休などを「活用」して、

「世界史履修合宿」

を実施。
2泊3日不眠不休で履修させるのです。

カリキュラムは「学校の方針と企業秘密」ということで非公開。

学校を合宿所に仕立てて、24時間、世界史の教師が放送室から、
スピーカーで「授業」を放送しつづけ、生徒は各教室で

「履修」

させるのです。各教室のスピーカーの音量は各自の判断で。

・・・メディアも教育界も・・・そして私たちも。
そこは「大人の呼吸」で、それ以上は追求しない。と。

四角四面のなかに時々、三角がはいっても柔軟に対応するのに
役立つのが

「教養や知恵」

なんです。受験技術では解決できない。

社会では「大人の呼吸」でのズルはアリですが、国としてズルを
容認することに納得がいきません。

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