人が死ぬよ。イケダハヤトくん

 ネット社会を歩いていると不愉快でも目に留まり、不愉快の程度を確かめなければいけないこともアリ、嫌いで思考停止するわけにもいかずにチェックするひとがいて、そのひとりがプロブロガーを名乗る「Hayato Ikeda」氏。

 カタカナ表記の「イケダハヤト」、「イケダハヤト師」のほうが有名でしょうか。

 言論を生業とする方に、年齢を持って語るのはいささか失礼と存じますが、あまりにも幼い発言が多いので、若さからくる軽率さが滲み出ている文章です。もちろん、それは読者の好み次第。わたしが嫌いなだけなら見なければ良いという立場ですが、しかし、あきらかにおかしい言説は訂正し無ければ、「食べログ化」するのがネット社会です。

 「食べログ化」とは私見と主観により事実確認すらされていない情報でも、公開されたコメントが事実のように流通し、それが引用されることで、事実であるかのように広まってしまうこと。さらに嘘でも虚報でも、繰り返すことで真実と誤認されてしまう状態を指します。詳しくは拙著「食べログ化する政治〜ネット世論と幼児化と山本太郎〜」をご覧ください。

 当該ブログはこちら“おバカな従業員は「安さ」の代償 ”
http://blogos.com/article/67682/

 一連の飲食店アルバイトによる事件を取り上げ、低価格のお店では従業員のレベルが低くなるのは仕方がないという論旨です。

 イケダハヤトの文章に触れるたびに感じるのは身体性のなさという知ったかぶり(頭でっかち)です。

 当該ブログの、この一節に代表されます。

「長年の友人が飲食店で働いていたのでわかりますが、現場レベルでは、言えないようなことってけっこうあるじゃないですか。(引用、原文ママ)」

 対面でこう語りかけられたら、しらねーよ。と答えることにしているように、気安く同意を求める口調にイラッとしますが、それは若者言葉として見逃したとしても、友人期間の長短と、その友人が語る言葉の信憑性は別物です。菅直人のように一緒に民主党を立ち上げたバカ、もといルーピーにまで嘘をつくものだっています。ましてや聞きかじりの情報をもとにすべてを見知ったように語っています。同級生なら虐めているタイプです。陰湿なそれではなく、

「なにを? で、いつ? どこで?」

 と発言の論拠を求めて追い詰めるのです。

 イケダハヤトがどうだか知りませんが、こういうクチのきき方をするのは嘘つきや、知ったかぶりに特徴的です。具体性のない友人の話など信用できず、それをもって論拠とするのは論外です。

 わたしが当該企業の広報担当なら、名誉毀損で訴えることでしょう。先の友人の話を持ち出したということは、当該企業も同様だと言うに等しいからです。

 事実とするには具体性が乏しい上に、総論として

「適当にごまかして料理を出すことも、ゴキブリがキッチンをうろついていることもあるでしょう。飲食店の現場では、総じて炎上必至のびっくりエピソードがてんこ盛りです。」

 と結論づけます。

 いつの時代のどの店舗規模の店を指しているのか明示もせずに一括り。日本フードサービス協会に問い合わせてみたいところです。

 もちろん、粗悪な店もあります。しかし、イケダハヤトが指摘する、コスト面からいえば、ゴキブリが這い回るような環境を放置して、食中毒その他が発生したときの経営リスクを考えれば、店内美化や清掃、消毒にコストをかける方がお得です。飲食店経営は学校の文化祭とことなり、継続性が求められるのですから。イケダハヤトはまともな企業で、労働したことがないかも知れません。

 そして法の枠内なら笑って済ませと説き、

「別に人が死ぬわけじゃないし。」

 と締めくくります。

 死ぬよ。イケダ君。人の口に入るものを扱っている、その食材をいれる冷蔵庫にばい菌がはいり、繁殖すればO−157のような死に至る病も発症しかねません。

 だから「死ぬわけ」はあるんだよ。

 ただ、まぁイケダハヤトの主張が分からないでもない、いや正しくはこういうトンチキな主張が平気でできるのは、永年の友人とやらが語ったとするエピソードから類推するに

「安かろう、悪かろう」

 の店を聞きかじり、それしか知らないことで無知を無知と気づかないまま、無知を前提として文章を拡散し、無知である自分の触れる世界こそが、世界の全て錯覚する「幼児化」によるもの。これも先の拙著のテーマのひとつです。

 そしてついでにいえば、ながねんの友だちが本当に実在するとしても、友を見れば人が分かります。イケダハヤトのように、知ったかぶりをするタイプの周囲の人物って話しを「盛る」んですよね。知ってる自慢をするのが目的で集う人間関係で、受け狙いで誇張するということです。

 ついでに飲食店の勤務経験があるものとして言っておきますが、

「ゴキブリはいる」

 完全駆除は困難で、定期的に消毒などの完全駆除をしても、しばらくせずに奴らは戻ってきます。さらに余談を重ねれば、都心のビル街にはネズミがわんさか。同じ理由でね。

 だから、清掃と食品管理、駆除というのは欠かせない。まともな飲食店で働き始めると「掃除好き」になるのは飲食店バイトのあるあるです。ただし、この掃除好きとは、厨房やテーブルだけに限定され、個人の部屋などはその限りではないのですが。

 最後におバカな従業員は安さの代償ではありません。

 必ずしも激安店ばかりではなく、また激安チェーン、あるいはコンビニならコンビニといった同業種で起こっていないことから明らかです。バカな従業員はどの企業でも、一定程度含有するもので完全排除することは不可能です。

 彼の文章に「敷衍(ふえん)」とあります。押し広げて考えるという意味ですが、彼の敷衍とは特定の結論を元に拡げており、それを世間では妄想といいます。

「おれ、いいところに目をつけたぜ!」

 とイケダハヤト氏が自分に酔っている姿が目に余る文章です。

 というかこの文脈から見ると、敷衍というより論理の飛躍です。議論の延長にはなく、唐突に結論づけられているので。

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“人が死ぬよ。イケダハヤトくん” への7件の返信

  1. イケダハヤト嫌いな人って、なんか記事の内容じゃなくて彼の人格を攻撃してるよね。おれはイケダハヤトのリベラル的な寛容の感じについて割と共感できるとこ多いけどなー

    1. コメントありがとう。イケダハヤト氏(師)の記事の内容で指摘してもそれを理解できない君には難しいかも知れないから、わたしは君に何も期待しないけど、イケダハヤト師に思うところがあれば、彼のブログに応援コメントを寄せればよいんじゃない? 君がイケダ氏やその身内でなければね。それと好き嫌いで括るのは思考停止の兆候だということ。ま、理解できないかも知れないけど。

  2. 記事に完全同意。
    イケダハヤトの文章は突っ込みどころを
    キラーコンテンツとしてなりたっていますね。

    こういった記事とセットで楽しむものかも。

    1. コメントありがとうございます。文章の楽しみ方はそれぞれで、「ニコ動」のようにツッコミを楽しむのも新しい文章との接し方かも知れません。そしてそれは否定しませんし、イケダハヤト師の芸風は彼を支持する観客のものでアリますが、発言の中身を「放置」できなかっただけのことです。「死ぬ」ことですから(笑)。

  3. けんけんに同じく。
    貴ブログのようなマトモな何かとセットで楽しむ、いい指摘かもですが、ニコ動ほど無邪気に楽しめません。なぜだろう。
    あと、幼児化はとても大変な問題な気がする。周りの若い友達はどんだけ立派な学歴でもみんなそう見えるんだもの。

  4. それから、「突っ込みどころをキラーコンテンツとして成り立っている(けんけん)」は言い得て妙。
    あー、世の中 何から何までそうですよね。なんだこの国は?

    1. コメントありがとうございます。
      他人を低いところに置くことで、相対的に自分を高み、あるいは心の安定を得ようという心根ですね。それと学級会レベルの正義感。それは笑わせるのではなく、笑われる芸人の蔓延にも通じます。
      幼児化の反対は「自我の確立」にあると考えます。若者に限らずですが、通信機器の発達により「孤独」と対峙する時間が喪失し、自我の確立せずとも、脊髄反射のようなコミュニケーション・・・情報処理で時間を浪費している・・・と、こんなことばかり書いているから「IT」を冠にしながら、メジャーな物書きになれないのだと反省しきりの年の瀬です(笑、性分ですし持ち味ですが)。

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