楽しいことはすべてグーグルにある

 ビリヤードに興じる社員の横をセグウェイが通り過ぎていく。カフェテリアで社員はビュッフェスタイルのランチを取り、無料のドリンクを飲み干す。グーグルの社員はいつ働いているんだろうとう疑問を抱かせつつ、番組は本題に入っていく。
グーグルの「内部映像」はいつもこんな感じで始まり、畳み掛けるように「本社」のさらにぶっ飛んだ映像を流します。
さて、これはなんでしょう。情報操作? 広報番組。

タモリ倶楽部でも儲かりマンデーでもそうでした。

・・・テレビメディアが「映像好き」というツボを押さえた演出です。言い方を変えればグーグル広報の手のひらの上の猿です。やれやれ。

そんな「したたかな」グーグルの社員採用は現場の人間があたり、全員の同意がないと採用とならないといいます。それは何より四六時中顔をつきあわせるもの同士のことを考えてとのことです。過剰とも思える福利厚生待遇も

「仕事に集中して貰うため」

だそうです。

私見です。十人十色というように色んな考えがあるという前提でいいます。

「気色が悪い」

人生は仕事以外の様々なものに彩られて輝きを増すと考えます。今日のランチは何を食べようかは会社員の娯楽の一つですし、近くのコンビニで新しいドリンクを誰よりも先に発見したときの喜びはかけがえのないものです。

そして多種多様な意見があるから世の中面白いのです。

会社組織も同じと考えます。
もちろん、某日教組のように雇い主の意志に反することに達成感を覚える社員は論外としても、様々な個性があるから活性化するのではないでしょうか。

ところが「みんなの同意」で決まるとなると。

グーグルは自分と異質な存在を認めることができるほど優秀な人の集まりなのでしょう。

凡百の民は自分と同質な存在に親和性を感じ、認めたがる傾向があり、異質な存在は理解の範囲外として警戒するものです。

すると、「気に入ったものだけのコミュニティー」は、他者肯定と自己肯定が同列となりその意識は「選民」へと移行していきます。自己肯定とは自分が存在していいよという心です。その考えが沢山集まれば、自分たちが特別だと考えるのは当然ことです。

楽しいことは街にも山にも海にも転がっています。
しかし、グーグルは社内に全てを用意します。
それはまるで

「楽しいことはすべてグーグルにある」

という思想であり宗教であるかのようです。

もっともグーグルの二人の神とその信徒達がすべて、人知を超越した高次の存在なら私の杞憂は庶民のタワゴトなのですが。

家族でも恋人でもない人とそんなに顔をつきあわせていたくないというのもあります。

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