俺様主義の暴走

 ラストワンマイル。

これは問題解決の最後の課題などの最後の一歩のことを指します。

日本語的に言うと

「あと一里」

というより

「あと三寸」

といったところでしょうか。
本当に極わずかの何かが足りないだけで、実現できないときに使
う言葉です。

先日徳島からわざわざお越し頂きましたとある企業もそんなとこ
ろでした。

通販もリアルな物販も努力のかいもあって上手くいっているのに、
ネット通販だけ今ひとつだというのです。

訊けば充分とは言わないまでもソコソコの成果は出していますし、
現在運用されているホームページを見ても、もう殆どできているの
です。

僅かなことを大袈裟に取り上げて、金を取るのは私の主義にあり
ません。手品師じゃありませんから。
手品師は

「誰にでもできることを難しく、難しいことを簡単に演じる」

といいますがね。
そこで私が手伝うまでもないと思い、先方の目の前で

「やり方」

を見せ、

「これだけのことですよ」

と伝えたところ、

「だからこそお願いしたいのですが」

と、火に油を注いでしまったかのようなリアクション。

そこで思い出したのが

「ラストワンマイル」

ということ。
確かに現在のネットの活用は完璧とは言えませんが、もう殆どで
きておりあとは「有機的」に結びつけるだけなのですが、どうにも
この感覚が掴みにくいもののようで、そこを埋めて欲しいというの
です。

なるほど。コンサルタントって毛嫌いしていましたが、こういう
お手伝いの仕方もあるんだなと知ることができました。
毎日お客さんに教えて貰っています。本当に幸せな職業です。

「遠足は家に帰るまでが遠足です」

これは小学校の時の校長先生が遠足おわりの集会で言った言葉で、
クソ生意気だった小学生の小坊主ミヤワキは、

「け、何いってやがるんだ」

と毒づきましたが、大人になると含蓄深い言葉と、ことある毎に
呟きます。

同じ様な意味の諺には

「百里の道は九十里が半ば」

というものもあり、こちらもまた肝に銘じている言葉です。
実は9月26日に発売される著作の執筆もそうだったのですが、
ゴールが見えてくると

「楽勝」

と、執筆ペースが落ち、理由を付けてはサボろうとしてしまいま
した。今回の最大の逃げ道は「パックマン」。作中でも触れていま
すが、危険です。パックマン。

そんな自分の性格からちゃんとフィニッシュするまでは気を緩め
ないように「家に帰るまでが」と念仏のように呟くのです。

校長先生ありがとう。

似て非なる言葉であり、本質の上では繋がっているのではないか
と思うのが

「仏作って魂入れず」

です。これはまさしくラストワンマイルが届いていないことを
揶揄している諺で、魂を入れなければ仏像は彫像や絵画でしかなく、

「仏の心」

というその本質を伝えられないということです。

飲酒運転による悲劇が後を絶ちません。
福岡の「公務員」による悪質な殺人にも似た行為のあとにも、
飲酒運転は続発し、その中には公務員も多数認められます。

今朝の産経新聞によると飲酒運転が発覚して懲戒免職になった
元市立中学教諭が「処分が重すぎる」と不服を申し立てているとの
こと。

危険運転致死罪が新設され、ルールが厳罰化されると今度は

「逃げ得」

という法の矛盾がクローズアップされました。
しかし、これは当初から指摘されており、更には今年から施行さ
れた路上駐車の取り締まりも、全く同じ「逃げ得」が存在します。

つまり現行の法体制における警察の「ラストワンマイル」が
ここにあるということです。

これは「現認主義」という分かりやすい正義に基づいていること
と、更には「推定有罪」を許さない「灰色は白」からくるものです。

それではこの逆になるとどうなるか?

ま、実際には「自白主義」によって「推定有罪」から「冤罪」が
「捏造」されることも多いようですが、建前上はいけないことに
なっています。
これがまかり通ってしまうと、お巡りさんが街行く人を

「怪しい」

と思いこんだだけで逮捕できてしまうからです。

これに過剰反応するのが「メディア」です。
戦中の特高警察のイメージから言論弾圧に繋がる危険性があると
即座に過剰に反応します。

特に新聞やテレビなどの大メディアは

「自分たちが世論を決める権利がある」

と盲信し、狂信していますので、自分たちのご都合主義は棚上げ
にして、人を非難し、その一方自分たちの権利が脅かされそうにな
ると異常な執念と「メディア」を使って反対キャンペーンを張りま
す。

「同級生殺しの殺人者(故人)」

を実名報道した新聞を図書館が「自主判断」で閲覧不可にしたり
名前や写真を伏せたことを

「検閲だ!」

と大騒ぎします。
私は図書館に拍手を送りたい。もちろん、私は未成年でも殺人鬼
は実名でガンガン報道して、一般市民を危険から遠ざける必要が
あると思っておりますが、この市立図書館では未成年に対する考え
を貫いたと言うことです。

死んだら、はいそれまでよ。

ではないということを誉めてあげたいと思うのです。

メディアが「検閲」や「権力」に異常に敏感なのは、戦中の記憶と
いうより、自分たちがグレーゾーンに立っていることを本能的に
気がついてるからではないでしょうか。

人権やプライバシーといいつつ

「被害者」

に対して

「死人にくちなし」

とばかりに故人情報(あえてです)を垂れ流し、

「国民の知る権利」

を喧伝します。

狂信と書いたのも敢えてです。最近の報道はみずからの既得権益
の死守に異常な執念を燃やしています。日経新聞のmixiを筆頭
としたWEB2.0煽りは醜悪極まりありません。
また、ITバブルを作りたいようです。日経新聞は。

飲酒運転に話しを戻します。

それではどうして飲酒運転をするのでしょうか?

あまり触れられないのですがほぼ100%共通しているのが

「(運転できないほどは)酔っていない」

と思っていることです。
酒を飲んで運転しちゃいけない、運転代行を使え、タクシーを。

と「しらふ」の人がいくら提言しても「大丈夫」と思う酔っぱら
いとの間には大きな溝があります。

なかには一緒に飲んでいた周りの人に「やめろ」といわれても
運転していく人もいます。

さて、どうすれば飲酒運転を撲滅することができるでしょうか。

実はこれも見方を変えればシンプルな「ラストワンマイル」に
辿り着きます。

このラストワンマイルは根元的な問題です。

「個人の権利の過剰保護による自己責任のはき違え」です。

飲酒運転に絞って分かりやすく言い換えると

「酔っているかどうかを決めるのは俺様」

ということです。
俺は酒を飲んだ。しかし、クルマで帰宅したい。酔ったついでに
ナンパをしたい。それは俺様の人生における俺様の権利だ。

権利は何より大切だ。だから、多少酒が入っていても、運転が
できれば運転しても酔い。うぃっく。もとい、良い。

突き詰めれば教育の問題なのです。

今、子供・・・というより大人も含めて「注意」をすると逆ギレ
されます。警察かよ。法律で決まっているのかよと。

電車内の携帯電話の利用率に触れましたが、メールぐらいはとい
う世論に押されてメールはOKとなり、今、

「優先席で足を組んでメールをうつ」

姿を見ることは難しくありません。
公共空間にプライベートを持ち込んでも

「俺様の権利」

です。

飲酒運転による殺人事件と比較するのが暴論だというご指摘は
覚悟の上ですが、

「俺様の権利の暴走」

が全ての元凶ではないでしょうか。

そして相似形に映るのがメディア様です。
大メディアは法律上のグレーゾーンでも、一般庶民の良識から
逸脱していても

「知る権利の基準を決めるのは俺様」

で、動きます。敵対するもの邪魔するものはその「メディア」を
使って叩きつぶしながら。それが報道の権利であると。
俺様主義全開バリバリで。

「公と私、個人と社会」

の距離感というラストワンマイルが喪失したことが今の

「なんかおかしくない?」

という空気を生みだしている気がしてなりません。

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