不良録 関東連合元リーダーの告白・反証/石元太一

 関東連合元リーダー 石元太一被告の著書を2冊。

 率直な感想はひと言。「不良」です。

 不良の人間性を知りたいなら最適な書籍と言えます。

 誉めているのではありませんし奨めもしません。

 独自の価値観をもとにした自己弁護の巧みさが「不良」の特徴だからです。元不良を売りにする役者や芸人にも通じます。

 役者デビューを目前に出版した『不良録』では、金属バットをフルスイングして殺した相手への謝罪を言葉として並べては見ますが、「殺す」行為そのものへの反省は感じ取れません。

 仕方がなかった、そういうものだったを繰り返します。

 一方で仲間との友情を繰り返し熱く語ります。

 能年玲奈主演で封切られている『ホットロード』は、私が中学生になるかならないかの頃、ヒットした漫画作品で、スケバン(笑)だった姉がコレクションしていたものを盗み読みしたことがあります。

 作品中の不良の論理も同じです。すねて甘えて迷惑をかけ、たかだか十代の知る世界を社会の真実と思いこみ、置かれた環境のマイナスを取り戻すのは更なる弱者。それでは切なすぎることを本能的に感じているためか「仲間」という言葉で自己正当化する。

 ティーンエイジャーなら誰もが通過する道ではありますが、その悪化状態が不良であり、その病を克服せずに今に至るのが石元太一被告ということです。

 いまバズワード化している「マイルドヤンキー」にも通じます。言葉を定義した原田曜平氏は、消費文化のセグメントとして取り上げていますが、40才を超えても「ヤンキーマインド」をもったオジサンおばさんが増えています。

 それはこの病の克服が十分でないどころか、病を完治させようとしない社会的圧力の喪失で、「ありのまま」を是とする風潮が拍車を掛け、端的に言えばそれを「幼児化」と呼びます。そしておねしょを直さないまま成人したような、チンピラまがいの社会人が野放しになっています。

 そして幼児性を純粋と錯覚します。これは『ホットロード』の世界です。この正当化が『不良録』です。不良の人間性に触れるという目的においては良書といってもよいでしょう。

 基本的に不良は反省しません。むしろ本当に心の底から、反省したとき、不良を卒業します。

 もう一冊の『反証』は、無関係の人物を、営業中のクラブ店内で、金属バットにより撲殺した「六本木クラブ襲撃事件」の公判に不服を述べる内容。

 これもじつに「不良らしい」一冊。

 都合の悪いところには触れず、触れてもさらっと流し、自分に都合のよい箇所をなんどもリフレインします。不良同士の喧嘩なら通じても、社会に通じる理屈ではありません。

 例えば同じく元関東連合を名乗る工藤明夫『いびつな絆 関東連合の真実』を挙げ、その欺瞞を暴きます。まるで嘘だらけ・・と主張しているように見えて、その実、関東連合が半グレとしての裏社会で名を売り、さらに芸能事務所社長の人脈を通じて、表社会で勢力を拡大していった過程については否定も肯定も触れもしません。

 実際、どちらの本でも石元太一被告は「ビジネス」をしていることは語りますが、その内容や、そこに辿り着いた過程は見事なほどに触れません。

 圧倒的な屁理屈、強引なまでの感情論、都合によいところは拡大解釈してしつこいぐらいに繰り返す。これが「ヤンキーロジック」です。

 裁判にフォーカスすれば、石元太一被告の主張に頷くところもあります。検察側があまりにも強引で、罪状も「無理筋」と感じる面もあります。

 しかし、残念ながらというか、当然というか、日本の裁判は「流れ」を織りこむことがあります。事実だけではなく、そこに至った過程や、その後の反省が考慮される代表が「情状酌量」で、その反対もしかりです。

 自伝として出版した『不良録』と連結するのは自然な感情です。

 金属バットで人間の頭部をフルスイングし、刃物を相手の首筋に押し当てていた行為を反省どころか、確信を持ってその理由を述べる(著書として発表)被告を、無罪にするのは勇気がいります。

 かつてホリエモンが自身の逮捕を「国策捜査」と批判していましたが、捜査は国民感情を反映するもので、検察審査会の制度が生まれたのもまったく同じ理由です。

 余談ながら『不良録』で目を惹き、不良話法的なエピソードをひとつ紹介します。

“IT長者としてもてはやされ、時代の寵児といわれた若手社長の第一印象は最悪だった”

 で始まる一節。知人の社長を介した初対面の席で、この若手社長は女性をはべらかせて酒を飲み、人として最低限の挨拶すらしなかったそうな。筆者、石元太一は突発的に怒り、彼の「Tシャツ」をひっぱり、

“「ブッ殺されてぇのかコノヤロウ。こっちが挨拶しているのにそのたいどはねぇだろう」”

 とやりました。まわりの仲裁もアリ、その場は収まると若手社長の姿が消えています。まわりにいた女性に訊ねると、非常口からダッシュで逃げだしたとのこと。女を捨てて自分だけ逃げ出す神経を嘆き、金を持っていれば偉いわけではないと悟ります。

 後日テレビのニュースでこの若手社長が登場したとき

“「あっ! こいつはこの前逃げた奴じゃねぇか”

 と驚いてみせ、

“そんな礼儀も知らない様な奴でも世の中はカネさえあれば、持ち上げられてしまうのかと複雑な心境になったことも覚えている”

 と吐露します。

 この若手社長を特定させるキーワードは「Tシャツ」と「テレビ」。そして「無礼」を重ねれば、もう彼しかいません。が、石元太一被告は「言っていない」と抗弁もできますし、事実「言ってはいない」のです。

 これアウトローの世界における「因縁」を繰り返すなかで身につけたのでしょう。

 そして不良話法の典型とするのが「自分の正義の絶対化」です。
 挨拶しないのも個性で、無礼がイヤならつき合わなければよく、知人社長はその無礼を承知でつき合っているのだれば

「そっとしておいてあげる」

 のが社会のマナーだからです。

 最終的な判決がどこに着地するかわかりませんが、「不良」の生態を理解するには役立ちます。

■不良録 関東連合元リーダーの告白
http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4575304476
■反証
http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4575307173

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