芦田愛菜主演の日本テレビのドラマ『明日、ママがいない』に批判が集まっています。なにかといえばドラマの設定や演出に対して、全国児童養護施設協議会が抗議書を日テレに送付しているのです。
ドラマの舞台は児童養護施設で、ペットショップのペット扱いし、肉体的な虐待も加えるシーンが目白押し。フィクションであるドラマに目くじらを立てることにもどうかなと思いますが、今回のドラマはかなり雑。
もっとも個人的に気になるのは、今クールのウジテレビ月9『失恋ショコラティエ』における妄想内という設定のキスシーンは「エロ」を狙ったもので、エロならば放送開始は夜10時からではないでしょうか。
深い意味はありませんが、労働基準法における深夜業の規定より夜10時(特定条件下では10時30分まで)を越えて働けるのは18才以上、つまり労基法においては一人前と見られる年齢です。要するに「大人」として、法の庇護を受けない年齢になれば、エロ見ようがエロを楽しもうが良いという私見によります。
篠原涼子主演でスマッシュヒットをだした『ラスト・シンデレラ』における、三浦春馬の「男乳首」と同じく、ウジテレビに残された切り札は「エロ」しかないのかもしれません。ただし『ラスト・シンデレラ』は木曜夜10時からでしたが。
そして『明日、ママがいない』は夜10時から。製作者サイドの言い訳としては「深い(遅い)時間だから子供は見ない。視聴者は分別のある大人」というところなのかもしれません。志田未来主演の『14才の母』もこの時間でしたし。
もちろん、言い訳ですが、ないよりあった方がマシ。という程度の見識しかないのでしょう。
去年の12月には抗議書を送付することになる「全国児童養護施設協議会」が、初回放送分の台本の確認を、製作者サイドから求められ、あまりの内容に変更を要請したところ、ほとんど反映されなかったといいます。また、その際の企画趣旨として
“『家なき子』以来のすばらしいドラマを作るので協力してほしい”
だったとのこと。『家なき子』は土曜日の夜9時オンエア。昭和時代の夜9時は、子供は熟睡している時間だったことは時代の変化と脇に置きます。
主人公の芦田愛菜は劇中「ポスト」と呼ばれるのは、「赤ちゃんポスト」に預けられたという設定から。「赤ちゃんポスト」への賛否はありますが、子供を育てられない親や保護者が匿名で養子にだすための取り組みで、国内では熊本県の慈恵病院だけに設置されています。
つまり、「赤ちゃんポスト」で自動連想するのは慈恵病院で、そこに預けられた子供が児童になる頃、ペット扱いされているとは、病院に対する名誉毀損であり、児童の尊厳を傷つける行為です。劇中において「赤ちゃんポスト」と思われる設定を「赤ちゃんボックス」と称し、主人公のあだ名を「ボックス」、あるいは同様に「赤ちゃんゆりかご」から「ユリ」「リカ」「カゴ」などと「創作」しているのなら「言い訳」もできますが、そのまま「ポスト」は考えがなさ過ぎます。
というより、そもそも企画時代がなにも考えていないのではないでしょうか。深い考えがないときほど、大袈裟な理由を掲げて誤魔化そうするのが、企画屋の本性です。そしてそれはタイトルに現れています。
「明日、ママがいない」
「あしたままがいない」
「あしだまながいない」
「芦田愛菜がいない」
つまりは駄洒落です。邪推に過ぎませんが、芦田愛菜ちゃんありきで企画を立てたら、スケジュール調整が難航。見切り発車ではじまった企画会議で、こんな感じ。
「芦田愛菜がいない? スケジュールが無理? 主役がいなくてどうすんだよ。
むむ、芦田愛菜がいない、あしだまながいない、あしたままがいない、明日、ママがいない。これだ! 家なき子の安達祐実を凌駕する社会派ドラマ『明日、ママがいない』で芦田サイドを口説き落とせ!」
で、中身は後付け。慌てて『家なき子』の野島伸司に声を掛けたところ、スケジュールが間に合わず「監修」として彩りを添えることで了承。とかね。
ドラマのタイトル以降は、完全な創作ですが、ここまでベタな「韻踏み」で無関係とみるのは少し無理がある・・・というか、言語的センスがなさ過ぎるので。
いずれにしろ「雑なドラマ」です。