本稿に感じ入るものがあり、外国語に通じるかたがいるならご自由に翻訳ください。政府が頼りにならない以上、国民としてできることをしなければということで、文責は負いますが著作権などは主張しませんので。
はい、対支那です。いわゆる「感情的になるな」とか、「冷静に」というのはお為ごかし。もちろん「冷静」は交渉の基本ですが、以前に述べたように
「冷静に怒鳴り散らす」
ことは必要。そして感情的にならなければ「文脈」を伝えるのは困難です。そう、支那や支那人に対してではなく、支那とロシアと韓国以外のすべての国々に訴える上で「感情的」にならなければならないということです。
首脳会談やサミットでも、他国の首相は感情を隠しもしません。よもや国家元首を侮辱した隣国大統領と笑顔で握手を交わす国賊をいただく国などないからです。「普通の国」はそれを知っているから、他の摩擦があっても国体を表すもの・・・例えばアメリカなら星条旗や大統領を侮辱することなどあり得ないのです。
「日焼けしすぎている」
という舌禍に近いジョークはときたまありますが。
以下より、ミヤワキからの海外向け「首相スピーチ」の提案です。
■タイトル
『自由と民主主義という価値観を共有する友人たちへ』
■本文
領土とは即ち国家であることに異論を挟む人はないであろう。
そして領土、国土を愛する感情は国民として自然のものであり、守る行為は国民の当然の義務である。
平和に暮らしていたある日、隣人がこういってきた。
「おまえの庭はウチのものだ」
これに明確にノーというのは当然のことで、実力を持って排除することを多くの友人たちは考えるであろう。しかし、平和を愛する我々日本人は「タワゴト」に対して目くじらを立てることもなく、ただ静かに聞き流していた。彼らが庭を欲しがる理由は、秋にたわわと実る果実を狙ってのことだ。事実、果実が実るまでは庭に対してひと言も言及したことはないのだ。
我々日本人は自由と民主主義を愛するだけでなく「平和」を求める民族であることをご存じであろうか。先の大戦以降、我々の銃が多国民の命も領土も奪ったことがないことが証明している。
故に「武力」による排除など、いままで考えることすらなかった。
その結果だろうか、隣人がわが家の果実を盗むことが多くなった。
そして隣人は言う。
「その庭は我が国の核心的利益だと」
世界中の友人たちに問う。
我が国は果実を取られるだけでなく土地も隣家にさしださなければならいのだろうか。友人たちならあきれ顔で「ノー」と肩をすくめるだろう。
我が国と隣家を同じ立場と語る無知なる友人がいることはとても残念ではあるが、平和に静かに暮らしていた家に、土足で上がり込み土地と果実をよこせと強要しているのが事実のすべてである。
重ねて言う。日本人は自由と民主主義の国だ。仮に見当違いと思われる主張であっても耳を傾ける懐の深さは持っており、これも繰り返しになるが「平和」をなによりも大切と考える日本国であり日本人である。だから最大級の忍耐を持って話し合いを継続してきたし、これからも続ける用意はある。
ただし「話し合い」は、同じ立場にいると双方が認めるところが出発地点だ。同じ立場とは利益の主張ではない。相手を人として認めるということだ。
悲しい歴史に触れてしまうが、かつてアフリカ黒人が奴隷として売買されていたころ、黒人と雇い主のあいだで「話しあい」が成立したであろうか。植民地時代の東南アジアの国民が、宗主国との賃金交渉が可能であったであろうか。
自由と民主主義とは過去の反省にたち、人は平等であるという立場に立つものであると確信している。
ところがである。我が国の隣人である中国は話し合いに応じない。
彼ら中国人の希望する話し合いとは、彼らの主張を丸呑みしろということなのだ。その背景にあるのは日本人への
「人種差別」
だ。
友人たちは「愛国無罪」という言葉をご存じであろうか。国を愛するあまりの行為ならばすべての犯罪行為も許されるというものであるが、その犯罪行為とは日本人及び、日本企業、そして日本国への暴言、暴行、掠奪のことだ。
中国国民は日本人を「鬼」や「いぬ」と呼び、「小日本」と侮蔑する。それが一部でないことは、数日続く「デモ」からも明らかであろう。
侮蔑的表現だけならば、われわれ平和を愛する日本人は耐えもしたであろう。ところが「デモ」が「暴動」となり「掠奪」に加えて「放火」までおきた。すでに「デモ」ではない。また、日本人というだけで、街中で突然殴られ、蹴られる事件も多発している。
そして中国政府は彼らを取り締まらない。
ここで悪夢を思い出す。
かつて「人種差別」を党是としていた党が支配していた国があったことだ。いまや我が国と同じく、自由と民主主義、そして平和を愛する国故に国名は挙げない。しかし、日本人、日本企業、日本国への暴虐をみるに「一党独裁」という共通項をそこに見つける。
かつての「一党独裁国家」も、国民教育により人種差別を推し進めていた。そこではまともな人間感覚が喪失することも少なくない。
中国の経済発展のために協力してきた企業を焼き討ちして凱歌をあげる中国国民を見るにこの悲しい歴史を重ねずにいられない。
そう、われわれ自由と民主主義を愛する陣営にとっては信じがたいことではあるが、この地球上から
「人種差別」
はなくなっていないのだ。いまなお、現在進行形で日本人、日本企業、日本国は中国人により虐げられているのだ。日本人であるだけで暴力の恐怖にさらされ、クルマは破壊され、放火されても誰も助けてはくれない。
その差別意識が「庭」を自分たちのものだと言わせる。それはここ数日の中国国民を挙げての日本企業から掠奪をみれば明らかだ。そしてこの強盗団は
「日本を中国の省にしろ」
と、日本国そのものの強奪まで画策しはじめているのだ。
すでに成立している国家を奪えるという発想のみなもとは、人種差別に違いない。
しかし、絶望はしていない。自由と民主主義を愛する友人たちがいることを知っているからだ。なかでも人種差別と戦ってきた歴史を持つ偉大なる友人 アメリカが人種差別をする連中にどう接するかを知っている。
先の「庭」は偉大なる友人が戦後施政下に置き、1971年に返還したものだ。だから領土における紛争、交渉においては中立の立場を取ることに理解をしめすが、アメリカにおける尖閣諸島の帰属の認識はあきらかだと明言することを期待したい。日本国とアメリカは軍事同盟のみならず、自由と民主主義、そして「人種差別」と戦う同胞なのだから。
いま、中国国内において我が国国民が危機に晒されている。そこで自由と民主主義を愛する友人たちにお願いがある。日本国国民が中国からの避難が必要となったとき、友人たちの国の旅客機、船舶などで協力して欲しいのだ。もちろん、我が国の総力も投じるのだが、先ほどから繰り返しているように「人種差別」されており、いますでに不法にも「輸出入」に関して制限が掛けられ、かつては民間企業の社員まで中国当局により拉致されている差別に晒される状況下では、どのような残虐な行為により妨害されるか予想だにしないからだ。
我々が先の大戦で同盟国の人種差別政策に明確にノーと回答し、狂気に晒された多くのユダヤ人に手を貸したことを思い出し欲しい。いま世界2位の経済大国となった中国に背を向けるデメリットを天秤にかけ欲に目がくらむのか、それとも
「人としてもっとも大切なもののために手をさしのべる」
のかの決断をお願いしている。
・・・・以上ここまで。
中国と韓国(韓半島)の主張を冷静に聞いていると、人種差別をしているとしか思えません。相手の主張には耳を傾けず、自分たちの説だけがすべてにおいて優先され、話しが二転三転し、時と場合によって論拠が異なるダブルスタンダードであっても、省みることもなく頷けと強要する。
そこに戦後の被害者意識というカードを加えての人種差別です。
つまりは日本人には何をしても良いという。
中韓のどちらも
「日本人であるだけで謝罪と賠償を要求する」
のですから立派な差別です。
「中華文明」特有の差別意識にも触れ、説明しない限り世界は理解しないことでしょう。だから単純な領土問題や経済事案に話しがすり替えられるのです。
ちなみに先の文章で韓国をいれなかったのは、一応、彼の国が民主主義国家だからではありません。機をみるに敏という国家の特性から、国際世論を「人種差別」に傾かせることができれば、手のひらを返すのは自明で、わざわざ指名することで「恨(ハン)」を増やす必要もないからです。もちろん、慰安婦問題などでしつこいようなら「人種差別カード」を切るとちらつかせながらですかね。