スマホ規制を叫ばないのは原発における東電と同じ

もう何年も繰り返していることですが、商業メディアはクライア
ント、要するに広告主に不都合なことはいいません。商業メディア
とは新聞、ラジオ、テレビ、雑誌、インターネット媒体もここに
はいることは体験済みです。

例えばラジオで毒を吐く、自称ジャーナリストなどがいますが、
これは「見逃せる範囲」であったり、あるいは「妄言」という
枠組みで説明できるレベルかのどちらかに過ぎません。

かつて山城新伍さんがラジオでレギュラー出演していた際、
相当な毒を吐いていましたし、真贋不明の「とくダネ」に触れて
いましたが、降板せずにすんだのが、続報が出ない程度のネタだっ
たからです。

それともうひとつ。「体制批判」に繋がるものは、事実確認が
曖昧でも報じられるのは、

「チェック機関としてのメディアの仕事」

というのは本当ですが、日本のそれは左翼や「サヨク」の残滓が
色濃く、また日本国家解体を夢見る三国人(差別的意味合いではなく
もともとあった表現として・・・あぁ面倒くさい)や、係累の活動も
多いというのが特徴的です。

つまり、体制という権力の暴走を抑えるというより、政治活動と
いう意味での体制批判が見られるということです。この点が、
いわゆる他の先進国と違います。解りやすいところでは、トムと
ジェリーのようにいがみ合う、米国の共和党と民主党ですが、彼ら
も「国益」という点では歩み寄り、どちらがわのメディアもその点
において不利益な報道は避けます。

また、体制批判については日本独自の状況がもうひとつあります。

体制=自民党政権が長く続いたことと、その反動としての民主党
への肩入れ、それへの無自覚です。その発露が東電批判です。

舌鋒するどく東電を批判する人や、反原発を痛いほど唱える人々
は民主党政権誕生を積極的に応援し、加担し、好意的だったのです。

しかし、この期におよんでなにをかいわんや。政府、すなわち
国家はいち民間企業を握りつぶすことさえできるスーパーパワーを
もっているのです。まして、国策企業というか、準国営企業のよう
に保護下で成長した東電を国家管理の下に置く理由なら、原発事故の
不手際と情報隠蔽体質で充分すぎます。

それをしない民主党政府を批判すべきなのです。

だいたい、いま、東電の発表と菅直人の言い訳を信じるほうが

「どうかしてるゼッ!(ブラックマヨネーズ風)」

でしょう。

話を戻せば、ラジオで語れる内容など、コップの中の嵐に過ぎ
ないのです。だいたい、自称ジャーナリストが「自称」と名のる
当たりが彼らの良心の残骸かも知れませんが、事実確認が難しい
「言った、言わない」レベルの「情報」が非常に多く、裏とりを
しないものは報道ではありません。

メディアやその出演者たちは、それぞれの「都合」で語るもの
だというのが、メディアリテラシーの基本です。

で、今回は「スマホ」。

新聞、テレビや雑誌、すべてが「マンセー」であることは
スポンサーさまのご事情によります。

もはやスポンサーとしての能力を失った東電にさえ、

「東電批判をしないのはCMが貰えなくなるから」

と宣う上杉隆氏はどうかしているのですが、CMをくれる人の
悪口をいいたがらないのは、先ほども述べた「都合」で、携帯
回線会社、すなわちドコモ、KDDI(au)、ソフトバンクと
いえば、大スポンサーで彼らが売りたがっているスマホの悪口を
テレビも新聞も雑誌も言うわけがありません。

余談ですが、石原慎太郎都知事が、春の節電ブーム(笑)のとき
に自動販売機とパチンコ店の自粛を呼びかけた時に、自動販売機の
節電機能ばかりを取り上げたのは、パチンコ店に半島出身者が多い
から・・・ではなく、パチンコ店は今後、大切なスポンサーになる
かも知れないからです。ローカル局のそれではなく、関東での
ダイナム、ピーアーク、パラッツォのCMは、かつての消費者金融
なみに放送されています。

そしてスマホ。

礼賛マンセーばかりです。ちなみにTPPについても、みんな
マンセー。日韓共催のワールドカップでも開催不要論を唱える
メディアもあったのに、スマホとTPPはマンセーばかり。

日本人は一方向に流れるというのは大嘘です。日本のメディアが
一方向にダッシュするだけで、すべてのメディアがダッシュする時、
その主張には誇張と嘘がまみれています。TPPについては近日
必ず。

もっともあからさまな「世論誘導」がスマホの利用率です。
どこでも引用するのが「2015年に半数がスマホ利用者になる」
という棒グラフです。

いまは2011年。4年後の需要予測で、いまのデータはと言えば

「スマホ利用者はまだ1割」

に過ぎません。つまり不確定な未来予測をもとに、いまのブームを
語っているのです。

また、こんなデータもあります。

「携帯市場におけるスマホの出荷台数が約半数に」

・・・これについては、以前も指摘しましたが、iPhone等の一部
を除けば、携帯端末はキャリアがメーカーに仕様も出荷台数も指定
しているので、ユーザーの求めではなくキャリアの都合で、それを
市場支持率とするのは大本営発表並みの強引さです。

そしてこれも「捏造」のよくあるパターン。

渋谷や新宿でのスマホ利用調査です。

さも、みんなが持っている・・・とは先の利用実態からも嘘とい
うのは明らかなのですが、こういう反論もあるでしょう。

「映像ではたしかにみんな使っていた」

・・・渋谷や新宿、あるいは銀座に足を運んだことがあれば
わかりますが、東京の繁華街は、一年中お祭りがおこっているかの
ように人で溢れかえっています。それは万人規模で、そのなかで
知り合いが一人もいないと気がついた時に、都会の中の孤独を
感じたのは多感な思春期の終わり頃だったと記憶しています。

 映像として「携帯端末の手元がわかるように撮影する」と、そ
こに映り込める人数は数人から多くて十人程度。万人規模で人が
うろついている渋谷で、偶然スマホ利用者が密集している映像を
撮影するのは容易いことです。あるいは、待ち合わせ場所として
利用される「ハチ公前」などで小一時間もカメラを回せば、数秒
程度の「スマホラッシュ」を収めることなど造作もありません。

 これが人影もまばらな、日暮里・舎人ライナーの

「見沼代親水公園駅」

 でスマホの利用者が溢れかえっているのなら・・・それは
やらせとみて良いでしょう。利用者は1割に過ぎないのですから。

 映像というのも人を洗脳するには良い道具で、中国共産党が
日本の戦争犯罪とでっちあげるときによく使った手法ですし、
かの「玉音放送」で、皇居に集まり平伏す国民という写真も
新聞報道用に前日に撮影されたものです。

 いまのスマホマンセーはメディアリテラシーを磨く好材料と
いうことです。

 スマホは不便な機械です。なぜなら利用者に学習を強いるから
です。理由は簡単「パソコン」だから。アプリというより語感
からは「あぷり」といった趣で紹介されるものは、スマホ専用の
プログラムです。言うなればワードやエクセルと同じもの。

 これを自分で取捨選択してインストールしなければなりません。
 不便です。

 なによりでかくて重い。あれで通話している姿は、かつての
大型携帯電話を知っている時代の目から見て滑稽です。また、
画面に顔を近づけるので、ディスプレイが脂で汚れます。

 こういうことを指摘すると、ガラケー(従来型の携帯端末)と
2台持ちすればとさらっといいますが、2台持つぐらいなら
私はカバンに愛機MacBookProを忍ばせます。それじゃあ重いからと
はいいません。不便な機械で不便な操作を強いられるぐらいなら、
愛するパートナーの重さなど苦労のウチに入りません。

 そもそも2台持ちとは、片方の端末が要件を満たしていない
不完全な機械だという告白です。

 ただし、スマホが好き! という気持ちは否定しませんし、
どうぞご利用くださいなとしかいいません。問題はちらっと
触れた通り「操作性の悪さ」です。これが他人の迷惑を発生
しています。

 徐々に社会問題化しつつある

「歩きスマホによる迷惑」

 歩きながらスマホを操作することで他人ぶつかり、子供や
老人を危険な目にあわせたり、自身も駅のホームから転落する
危険性が指摘されています。スマホの操作で我が身が危険にな
るのは勝手に●んでくれとしか言いようがないのですが、それ
により電車が止まるのは社会的迷惑なのでやめて貰いたいもの
です。

 歩きスマホにより、周囲への注意力が散漫となり事故を起
こすことに間違いはありません。ところが注意力が散漫となる
理由を「情報量の多さ」とするのは、スマホのメリットの
隠れた強調で、メディアの悪質な偏向報道です。

 注意力の低下は「操作性の悪さ」にあります。

 いまのスマホのタッチパネルは静電容量方式が主流で、
平たく言えば指先の静電気の変化を読み取ります。だから
わたしのような多汗症(汗っかき)は、反応が遅いのですが
室内と室外で静電気の状態が変わるのは、いま季節から始まる
ドアノブの「バチッ」からも明らかです。

 つまり、電車内、駅のホーム、駅の構内、通路、路上
での微妙な変化が操作性を悪化させるのです。

 利用者にとっては「気にならない程度」かもしれません。

 しかし、わずかな「空振り(操作が伝わらないとき)」を
確認するために視覚は占有され、周囲の状況確認に振り分ける
リソース(機能的資源)が減少します。

 歩きながらのガラケーも迷惑千万でしたが、それ以上に
迷惑である理由は、触感がある「ボタン」の押下は
視覚以外で確認できましたが、タッチパネルでの操作は
視覚以外では確認できなくなっているからです。

 両者の違いはフリック入力を例に考えれば明らかです。

 フリック入力とは「お」を入力する際、タッチパネルの
「あ」を押下すると、四方にア行の残り「いうえお」が
表示されそれを選択する方式です。

フリック入力例(中央の“あ”がもともと表示されている)
※読み上げソフトお読みの皆さんへ。下記は文字を並べて
 図表化しています。お聞き苦しい点、お許しください

  い
  ↑
う←あ→え
  ↓
  お

 一方、ガラケーなら「あ」のキーを連続5回殴打で「お」
に辿り着きます。これは見ていなくてもOK。

 ボタンの触覚の他に「1回、2回・・・」と頭の中で
考える時に聴覚が動員されるかも知れませんが、視覚を
解放することはできます。

 利用率わずか1割に過ぎないスマホ利用による

「歩きスマホ」

 が既に社会問題化しつつある理由はココにありますが、
メディアは不便な機械でも大切なお客様の悪口は言いません。

 便不便は個人差なので不便は避けたとしても

「スマホの利用は他人の迷惑にならない場所で」

 と呼びかけることすらしない理由も同じです。

 だいたい、各回線会社が自主規制で、利用者から集めた
金にモノをいわせて垂れ流すCMの最初と最後に流せばよい
だけのことですが、それをすれば不便な機械(少なくとも
移動中の操作に不適切)だと認めれば販売への影響も避け
られないのでスルーしているのです。

 それは利用実態として、歩きながらや自転車に乗りながら
の操作を把握しながら黙認していることの証左です。

 これはIT業界も一緒です。

 スマホの大半には位置情報、振動センサーが付いています。
 歩数計もあれば、今いる場所を知らせるアプリは掃いて捨
てるほどあります。

 つまり

「歩きながらや自転車に乗りながらのスマホ操作は
 プログラム的に簡単に規制できる」

 ということ。

 歩行のリズムは個人差がありますが、一定のパターンの
振動になるもので、速度はGPSからも割り出せますし、
通勤や通学など、一般的な人間の行動半径は決まっており
それらを記録して「歩行」、「自転車」の選別させ、
移動時はこう警告を発します。

「移動中の操作は周囲の迷惑なる場合があります」

 それでもしつこく操作する人もいるでしょうから、最初から
こういう機能をいれておくのも良いでしょう。

 歩行中の操作は10秒に一回だけ受付。
 自転車移動中は操作禁止。

 スマホに詰め込まれた機能からすれば、こんなことは
簡単にできる・・・のですがやらないのは、利用者に不便
を強いるから。それが社会的道徳を無視したものでも。

 スマホの不道徳利用は簡単に規制できます。
 が、やらないのはキャリア、メディア、そしてユーザーが
それぞれ「自分の都合、利益」を優先させるから。

 そして今回の伝えたいことは

「メディアリテラシーは、自らと照らし合わせること」

 です。自分だけはという心は、メディアを偏向させ、それを
許しているのです。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください