平和は間違っている

 格差社会とかまびすしい昨今ですが、これに直球を投げつけるの
であれば「平和はいかん」となるという話。珍しくオチから入ります。

何を言うか! 平和は何よりも大切だ!

と、私は組合の先生に習いましたが、平和とは相対的なもので
絶対ではありません。さらにこういった主張も

「殺し合いとダンスを踊るのではどちらが楽しいですか」

という極端な前提条件が。

例えばダンスを踊るために手を取り合う、この相手があなたの
恋人を子供を、両親を兄弟を飼い犬を殺したとして手をつなげる
でしょうか。

憎しみは憎しみしか生まない。

・・・当事者となりそれを口にできるならば日本国においては
人格者と見なされることでしょう。中東では腰抜けと侮蔑されます。

私も戦争は好みません。人殺しもできるだけしたくありませんし
殺されるのはもっとイヤです。つまり平和を欲しています。

であるからして平和の産物である格差社会を受け入れています。

勝ち組、負け組と騒ぎ、その象徴でもあった六本木ヒルズから
ヤフーも引っ越し、もはや「ヒルズ族」とは数年後のクイズ番組で
出題されるのを待つばかりとなりましたが、ITバブルに始まり
M&Aで隆盛を誇りサブプライムでグランドフィナーレを迎えた
金融工学による一連の「祭り」のあとにも「格差」はより鮮明に
なりつつあります。

ただし議論がごっちゃになっているのですが、年収200万円
以下のワーキングプアが増えていることに限定すれば元凶は教育で

「自己実現」「個性」「権利」

がこれらのキーワードが支えており、さらにいえばこれもまた
生命の危機のない平和な社会によります。仕事とはなんのために
するのかという議論もちゃんちゃらおかしいのは第一義として

「喰うため」

であり、自分の食い扶持を得てから自己実現や個性という
キーワードを口にできるものだという教育・・・または社会規範
の欠落によります。

それでは障害者などの弱者は!

とはここで議論しません。だって別次元のことで、できる範囲
で困っている人を助けるのは「常識」だと考えるのです。さらに
私の人生論を紹介すれば、人生において多少の無理は最初から
コミであり、軽度の精神疾患や肉体的な負荷などは除外条件と
なりません。という考えです。

で、年収200万円をシミュレートすると

完全週休二日で1日8時間労働、時給1000円

です。地方では厳しいでしょうが、都内でこの条件なら職は
多く、比較的優雅に暮らせることでしょう。月給で16万円
ほどですが、家賃を6万円ぐらいに設定すれば税金や光熱費を
高く見積もっても6万円以上の可処分所得があり1日2000円
で1食を100円マックや吉野家とすればかなりの余裕があり
ます。残業もノルマもなく完全週休二日。

私はフリーターが社会で認知されはじめた頃、フリーターで
した。当時より今のフリーターの生活水準は上がっています。
なぜなら私の頃の吉野家の牛丼は400円で豚丼330円は
なく、100円マックもなく100円ショップの品揃えは
少なく、ユニクロではヘインズのTシャツが販売されていました。
さらに「娯楽」においてはインターネットも携帯もなかったの
で金を使わない「暇つぶし」に苦心しました。

デフレスパイラル突入以前の「街角」物価は今より高かった
のです。

貯蓄などの余裕はないかもしれませんが、会社員の皆さん。
特に中小企業にお勤めの皆さん、どう思われますか?

社会が悪いのでしょう。自民党もよくないですね。
大企業も儲けすぎています。

でも私は知っています。その社会を作っているお役人様が
徹夜で仕事をし、政治屋さんは地元に帰るといくつもの会合を
はしごし叱責に「仰る通り」と頭を下げ、大企業という看板に
あぐらをかくものもおりますが、土日もなく早朝から会議をし
仕事で午前様となるのが日常の社員がいることを。

はたしてどちらが「しあわせ」でしょうか。

平和が何より。
安心して暮らせる格差のない社会。

社会生活を営むには「コスト」が発生します。金銭だけで
なく時間や労力もコストです。そしてこれを仏教的に解釈す
れば

「因果応報」

で原因が結果となり結果が次の原因となるスパイラルです。

投資したコストが自分にかえってきます。それは勉強で
あったり修行だったり下積みだったり、時に「我慢」や
「辛抱」であったり。

で、今の「格差社会」ですが、つまりは「世襲」により
ます。最近ようやく的を射た議論が登場してきたと嬉しいの
ですが

「格差の世襲」

は事実です。そしてこれがワーキングプアの原点です。

いわゆる「勝ち組」となった親は得た資本を子供のために
惜しげもなく「投資」します。投資された子供はされない
子供より競争優位をもち、さらに社会に出るとその「資本」
に「人脈」も加算され、こちらもまた「再投資」されます。
平たい言葉で述べるとこうです。

「君は●●さんのところのご子息だね。●●さんには若い
ときに世話になった。困ったことがあればいつでも
私の所に来なさい」

個人の感情として問います。
恩人のご子息を無碍にできますか?

で、わずかだったはずの格差は確実に広がっていき現在に
至るというわけです。

冒頭に戻ります。

「平和はいかん」

望んではおりませんが、戦争や革命がなかったことにより

「社会構造の変化」

が起きなかったことが

「たかが役人、たかが学者、たかが会社員(大企業)」

をセレブに押し上げ、たかがとあえて表現したのは
そのスタートで、つまり戦後復興期にはわずかだった差が
コツコツとつみあげた「たかが」の連中の隆盛を生んだ
ということで、それは日本人が過去に美徳とした

「勤勉性」

の果実なのです。
戦争や革命はそれまでの努力を灰燼に帰します。

例えば貨幣とは時の政府、国家が保証するものであり
国家が転覆すれば無価値となります。市場経済を信じて
株式投資をしていても統制経済に移行すれば紙くずと
なります。

戦後64年とい平和が勤勉だった日本人に格差を
生んだ・・・とみれば「格差はいかん」と単純に批判
するのはどうでしょう?

「平和は間違っている」

となるのではないかと。
「風が吹けば桶屋が儲かる」しょうか。

でもね。逆転できることを教えてくれたのが

「ヒルズ族」

でもあるのですよ。

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