大人であることが楽しくない社会

 世界的な株安で我が社の株式投資も壊滅的な被害を被っておりま
すが、それも含めた投資ですし、やせ我慢でもしなければというよ
り、株主配当による「利回り」というあぶく銭を狙ったわけですか
ら、応分の負担と諦めています。あえて強がりをいうなら

「売るまでは損をしていない」

と。株価というのはバーチャルマネーの面を持ち「時価」は、
刹那の価値を表すものでしかありません。長期投資目的だったの
でいいかなぁと呟きます。

超下落と報じられていますが、こんな状況でも儲けている人は
少なくなく、逆に上げ下げの激しい「荒れ相場」のほうが動きや
すいともいわれています。

例えば800ドルの下落、日経平均1万円割れと報じられますが、
「場中(取引時間中)」の話しで、引け(取引所が閉まる時間)に
かけて戻し、実際の「下げ幅」はそこまでではなかったりします。

極端に言えば

「午前中800ドル下げていたが、午後になり400ドル上げて
差し引き前日比400ドルの下げ」

という状況を見てみます。

800ドル下がった時点で買い、その日の最後に売っていれば
400ドルの儲けとなります。その他にも信用取引には「売り」
という手法があり、まず「株」を借りて売りに出し、しばし後
(6ヶ月以内、但し無期限のものもあり)に買い戻して借りてい
た「株」を返すというもので、先ほどの例では、朝一番に
「売り注文」をだし、800ドル下げた時点で「買い戻す」こと
で800ドル儲かるということです(実際には借りた株には手数
料と賃料が発生します)。

もちろん、これは「成功例」。800ドル+400ドル儲かる
こともあれば、その反対もあるということです。

そして有り体に言えば「博打」です。

断っておきますが、私は「博打打ち」を卑下していません。
伸るか反るかの生き方も嫌いではありません。

生産性がないというご意見もあるでしょうが、それは全ての
「産業」が生産性を追求しているかというとさにあらずです。

プロスポーツや芸術は生産性と遠いところにあり、また、
そこにドラマや感動が生まれます。博打打ちと等価だというので
はありませんが、「合法」の範囲内においてはひとつの生き方で
あり、多くの場合は「悪銭身につかず」というか、身を持ち崩し
て悪い教訓として身をもって社会に還元していきます。

ただ不思議なのが「トレーダー」なる職種。
先ほどの例のように一日に何度も売買を繰り返す
「デイトレーダー」などは時折、おもしろ経済番組に登場して
ちょっとしたヒーロー扱いだったりします。

「えぇ! 今日一日で●億円儲けたんですか」

的な。
これを「識者」が解説します。

私には場外馬券場で的中を自慢する光景と二重写しに見えます。
良い悪いではなく方法は等価だと。

ところが銀行や証券会社、特に特に「外資系」ともなり、
ネクタイを締め会社員となり、経済番組に登場すると途端に
「識者」のように振る舞います。

これも私見ですし、職業の貴賎を論じているのではありません。
実際に馬券、もとい株の売買をするトレーダーを博打打ち、
アナリストを着順とオッズの仮説に熱弁を振るう予想屋に重ね
ると理解が早いということです。

そして「経済番組」で株価を語る「識者」をみて呟きます。

予想屋のオッちゃんが何してんの?

この9月に終了したテレビ東京の「オープニングベル」とい
テレビ番組は、株式市場が開く15分前に始まり、前日からの
経済ニュースを取り上げ、今日の相場の展望と、開始直後の
動向を報じていました。

これを競馬に置き換えると「調教情報」や「パドック中継」、
「馬場の報告」です。

市場が開く直前に証券会社各社の予想屋・・・もとい、
アナリストやらコンサルタントやらが当日の「寄りつき(開始
直後の価格、この場合は日経平均)」を「予想」していました。

番組終了に当たり、レギュラーの5人の予・・アナリストの
「成績」が発表され、私の「株式博徒論」が仮説から確信に
転じたのです。

毎日の予想は「●●円から●●円」と幅も入っていたのです
が「騰落」だけの成績です。「上がる」と予想した寄りつきが
前日比で高くなれば「当たり」とするということで、前日比
「1000円上がります」と予想し、蓋を開ければ「5円」で
も当たりというものです。無茶なという突っ込みが口をつきます。

博打で置き換えれば「的中」ですが、数学的アプローチ
では1000円と5円には200倍の開きがあり、誤差の範囲を
逸脱しています・・・が、これは無視しての「成績」ですが、
これも驚きです。

細かな数字は失念したのですが、1位の正解率が

「54%ぐらい」

です。弱だったような気もしますが、まぁこれくらいで
2位が若干減り、驚いたのが5人中の3位、つまり真ん中の
予想屋の的中率が

「50%」

だったのです。

カタカナ会社の外資とかいうところの人や、ITバブル期に
ぶいぶいいわせていたIT系証券会社やらの連中の的中率が
これです。私は呟きました。

「サイコロ転がしとけばいいじゃん」

丁半博打と同じく、サイコロを転がして奇数、偶数で
上がり下がりとベットしても同じ結果を偉そうに能書きと
屁理屈でラッピングしている・・・というと言い過ぎでしょうか。

そして番組終了の翌週から株価は大下落へ。もちろん、これに
警句を発した予想屋は一人もいませんでした。

完璧な「未来予想」をしろという話しではありません。

朝一番のパチンコ屋に並ぶ人や、場外馬券場で新聞紙を広げて
赤鉛筆を舐める人、そして

「●●業界が今後伸びます」

といっている「株屋」は同質だということです。

「そんなことは知っている。昔は株屋といえば博打打ちと同じと
いわれていたんだ」

というご指摘が耳に聞こえてきます。
すいません。久方の本領発揮、長い前置きでここからが本題です。

「オヤジ版ポパイ」

が年内に発刊されると報じられました。タイトルは

「OilyBoy」

で、マッカーサーを叱った「男」白洲次郎の英国留学時のニック
ネームを借用するといいます。新雑誌のコンセプトは

「みんな『大きな少年』になった」

とし、

「男は大人になるのではなく、大きな少年になる」

とのこと。

否と答えます。

「男は男に生まれるのではなく男になるもの」

であり、少年は「男」未満の未成熟な形態で、カブトムシで
いうところのサナギ以前の「芋虫」です。

や、じゃないですか? 先の言葉置き換えてみます。

「男はカブトムシになるのではなく、大きな芋虫になる」

成虫にならない虫は滅ぶだけです。

「いつまでも若く」

という、現代日本の社会的コンセンサスが

「いつまでも幼く」

が重なります。
それは博打打ちや予想屋に経済や天下国家を語らせている
ように、根本がずれているのではないでしょうか。

少年回帰を喧伝するよりも

「大人であることが楽しくない社会」

をどうにかしようとするのが「大人の男」のとるべき行動
と「大人」たらんと心がけているのですが、その前に
「オジサン」となったミヤワキは考えます。

あ、オヤジ版ポパイは、マーケティング的に

『まだ雑誌を買う層』

で、あり

「アラフォー」

は同じものです。特にアラフォーは

「日本国最後の消費のボリュームゾーン」

である団塊ジュニアに向けたメッセージもある

「買え買えキャンペーン」

であることは・・・お気づきですよね?

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