63年の前、広島でパンドラの扉が開かれ、その朝、予告も心の
準備もなく、米軍の落とした爆弾で多くの命が奪われました。
とある局は「北京五輪、イケメンスイマー」を報じます。
チャンネルを変えると「福祉政策」について政府を批判します。
新聞も昭和のころは「特集」を組んでおり、小学生のころ、夏休
みの8月は大人も報道もすべて重苦しい雰囲気となり、なんだか
嫌だなあと思い、そして成長するにつけ、重苦しい雰囲気が何を
表していたかを知ったものです。
私の嫌だなぁは平和を希求する心へとつながり、そしてなお、
「勝者の歴史」
が語り継がれる不条理であり現実に向き合う礎となりました。
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が落ちました。
・・・大メディアの仕事なのでしょうが、彼らがサボっておりま
す・・・というかアイラブチャイナの福田首相もビックリの
「加油北京」
と馬鹿騒ぎをしているので微力ながらこちらに記します。
インターネットは世の中を良くするか?
答えは・・・「道具」が世の中を良くするのではなく、道具を
使う人がそれを決めることは「原子力」が既に証明しております。
そしてインターネットを「知の集積」といいますが、これは偏っ
たお気楽ご気楽主義者の妄言でインターネットは「風俗」です。
それが証拠に
「ブログ以前」「インターネット以前」
の情報となると極端に少なくなりますから。
一方、芸能ゴシップがでると「コピペ」を活用した覆面評論家が
大量増殖します。
大量増殖といえばことあるごとに「日本は悪い」という人がいます。
一方向から見た歴史でご近所さんに悪いことをした日本は謝罪も
反省も足りないといいます。
考え方は色々です。それではこの質問にあなたならどう答えますか。
「過去の過ちと現在進行形の虐殺&弾圧。いますぐ手を打つべきは?」
ウイグル民族の悲鳴が聞こえてきます。
ちょっと前はチベット民族の悲鳴が聞こえてきました。
中国共産党側に立てば悲鳴は妄言でしょうし国内のこと。
この論理に立てば、日本の過去は・・・というと反省が足りないと
お叱り・・・いや、声を荒げる人が現れます。
様々な事情を棚上げにしてウイグルの悲劇とチベットの惨劇が
なぜ起きたかを今朝、考えてみました。
八百万も神様がいてクリスマスを祝い、チャペルで永遠の愛を
近い瞬間で分かれる日本人にはピンと来ませんが、心の中の神様
はとても大切なものです。同じく仏様でも。
ウイグルはイスラム教。
チベットは仏教(ざっくりとした表現ですが)。
生活や人生に根付いています。
なるほどここです。
中国共産党は偏執的自己中心主義思考と狂信的行動がまかり
通るいわばカルト宗教。
カルトにおいては教祖、またそれを取り巻く指導者層が絶対で
他者との理解などあり得ないのを私たちは知っています。あの
選挙が近づくと小学校時代のクラスメイトから突然電話がかかっ
てきて「●●さんによろしく」と投票依頼をする、あの学会の
「折伏(信仰を誓わせる)」です。
だからウイグルもチベットも中国共産党による「折伏」だと。
そして私たちはもう一つ・・・悲しい出来事から狂信者達が
悔い改めることの難しさを知っています。「オウム真理教」です。
昨日、いわゆる「松本サリン事件」に被害者がお亡くなりに
なりました。
ある日、自宅の団らんの中で狂信者達の巻いた毒物により
光を奪われ、ご主人は犯人扱いされました。
想像しました。我が社の専務が、怨恨でも過失でも事故でも
なく同じ目に遭うことを。想像しました。私がそうなったとき
の家族の姿を。
時に「加害者の人権」や「主張」「論理」が展開されます。
時が経てば死した被害者は物言わぬまま歴史のページに記さ
れるのをじっと待つだけで口をもつ加害者は雄弁に歴史を改竄
します。
「原爆が戦争を終わらせた」
人権とは被害者により優しくなければならない。
私の「嫌だなぁ」は世相の加害者保護と歴史の消失により強くな
っていきます。