若手論客と呼ばれる連中、もとい方々の発言にざらついた違和感を覚えていました。その理由が氷解したのはTBSの極左プロパガンダ放送「サンデーモーニング」によります。先週は津田大介、今週は荻上チキ。前者は「メディアアクティビスト」なる肩書きを用い、それは「みんなの党」における「アジェンダ」のような、一般的に知られていない言葉により「なんかかっこいいでしょ?」的な空疎なものかと誤解していましたすいません。
「メディアアクティビスト」とは「インターネット辞典」によれば「市民運動家」とのこと。メディアを通じた「プロ市民」。隠れ左翼が「中立」を装いながら、アジテーションしているのかと思いきや、活動家を名乗っている点には敬意を表します。
話を戻します。津田氏、荻上チキ氏らに通じるのは左翼。というより、日教組教育の申し子というほうが正確でしょうか。イデオロギーを背に戦うことなく、植え付けられた思想を疑うことなく、社会を疑うので、議論が迷路に入り込みます。放射脳に傾く理由も同じ。そして意見を求められれば「そもそも論」で議論を混ぜ返すのは、己の信条に自覚的でないからです。
一例を挙げれば「戦争」。すこし、世界に目を向ければ、戦争は別世界の出来事ではなく、日本だけが無縁でいられることなどあり得ないと知ります。むしろ、隣国全てが仮想敵国というのは、日本ぐらいではないでしょうか。インターネットの普及により、こうした世界の常識がはいってきて、若手論客なる連中もこのことは当然知っているでしょう。
そして世界の常識で見れば「軍隊」は当たり前と言うより、世界中の国々の憲法には「国防の義務」があるものです。つまり、日本の非常識は明らかで、ならばそれをどうするのか。確信的に護憲論を唱え、自衛隊の廃止を声高に叫ぶ・・・ことなどできません。しかし、「軍隊は悪であり、戦争は絶対に起こしてはいけない」という日教組教育を疑わないことへの矛盾が、彼らの論を迷走させます。
今朝(2014年2月24日)の読売新聞「Web空間」に寄せた荻上チキの論考はその最たるものです。彼本人はともかく、読売新聞の校閲をよく通過したものと首をひねりながらも、古市憲寿を「社会学者」と紹介し、彼の馬鹿コラムを掲載する程度で、読売新聞にとってもっとも大切なことは、ナベツネの機嫌と巨人軍の成績なので仕方がありません。
“選挙の争点 ぜひ欲しい「回答集」”
と題し、先の都知事選を取り上げますが、さまざまな出来事を取り上げながら、それが結論へと向かわず、仮に部下がこんな文章を提出してきたら、涙目になるまでダメ出しをすることでしょう。
冒頭で
“盛り上がりに欠け”
と紹介しつつ、
“いつにも増してデータを豊富に掲載していた”
とありますが、具体例がありません。せめて投票率でも紹介して欲しいものですが、叙情的な物書きには多く、朝日新聞が得意とする手法ですが、一方で
“田母神俊雄氏の60万票を「右傾化」というが、石原慎太郎が300万票を獲得していたことから考えなければならない(筆者要約)”
という指摘はなるほどと唸りますが、ならば「いつにも増して」の実例を、例えば
“Twitterの声を紹介するなど”
といれなければ片手オチというか、ひとつの手法に対して、自分だけは良くて、他人は厳しく非難する、民主党の憲法解釈や、ひごろは反米を叫びながらも、失望と突き放されれば涙にくれる朝日新聞と同じです。
その流れで2011年の都知事選挙で、渡邉美樹氏が101万票をとったことを、どう評するのかと疑問を呈しますが、永らく政治を見てきていれば渡邉氏は「タレント議員」に過ぎません。珍しいことでなければ、右傾化でも左傾化でもなく、みずから情報を集め斟酌し決断する大人の判断の対極にある、有権者の「幼児化」以外のなにものでもありません。
論拠不明の切り出しから、次の段落にはいると津田大介氏の「ポリタス」が「奮闘」していたと持ち上げます。身内ボメは恥ずかしいという価値観がないのは左翼に特徴的です。さらに、自分のラジオ番組の活動について、「手前味噌ながら」という謙遜すらなく切り出すところに滲む人間性を見つけます。これは「日本人的」なる価値観を否定したのが日教組教育ですから「申し子説」を補強します。
そして津田氏と自分の取り組みを「並べてみて」から、
“各媒体・各市民団体が行った公開質問状を一元化するようなサービスが欲しいと感じた”
と議論を提起しますが、自分たちの活動の成果に触れずに「希望」で結論づけるのは無責任です。あるいは、無意味だったことを隠すためでしょうか。
そもそも荻上チキ氏が迷走しているのは、次につづく一文です。
“今回は「特定の論点を争点化したい候補者」と、「目立った争点で言質をとられず勝ち逃げしたい候補者」が有力視されていたが、有権者が聞きたい争点への回答集を作ることは、まずます加速させたいところだ。”
おかしな文章です。そもそも小泉・細川連合と、舛添・都議会自民党との連合を比較しようとしての「レッテル」の貼り方が間違っています。前者は正しい評価ですが、後者には「とられず」「逃げ」などの言葉に悪意が込められています。脱原発の放射脳を広言している荻上チキ氏の思想的背景を知らなければ騙されてしまうかも知れません。もっともこの文章を理解できるのは、荻上チキの信者やファンだけでしょうが。
ひとつだけ具体的に指摘しておきます。
「目立った争点で言質を取られず」
とありますが、まず「争点」と頭から決めつけているのは「脱原発」であり、しかし、真っ当な都民ならそれが「争点」にならないことは選挙結果が証明しています。もうひとり脱原発を掲げた宇都宮けんじ氏ですら、脱原発以外の政策を訴えていますし、彼が2位にはいったことが雄弁に物語りますが、荻上チキ論文はこれに触れません。
これは内部情報ですが、後に報道にのったので触れますが、自民党の内部調査では早い段階で、舛添氏の圧勝が確認されており、「争点化」などというのは放射脳がみせた妄想です。
こまかなことをいえば「論点と争点」とラップのような韻を踏んでいますが、その前の「特定の論点と争点」とはくどすぎます。これも部下なら涙目に追い込む理由です。
こうした文章のおかしさは、クセというか好みもあり、否定はできないのですが、限られた紙面で無意味に重ねる文字数に、字数稼ぎの「水増し」を想起したことは否定しません。
最後の段落を引用します。パンチミスがあればご容赦ください。
“分析のスタンスからも、多くの主要メディアのスタンスは、いまだウェブに対しては「おっかなびっくり」という印象だ。ネット世論に対する過剰評価と過小評価が同居するメディアの姿勢は、次の選挙までにどの程度変わるだろう。”
荻上チキ氏の語彙が乏しいということだけはわかる論考です。英語と日本語を使い分けることで、この場合
“分析の立場からも、多くの主要メディアのスタンスは”
とすることで読みやすい文章にするのはちょっとしたテクニックのひとつです。もちろん、意味不明が改善されることはありませんがね。先に触れたように、自民党内の分析のスタンスからは、選挙結果は予想されたことで、ネット世論の情勢に最も積極的だった政党は、今回もまた自民党です。自民党ネットサポーターズからはメルマガが届き、各支部、地方議会議員のサイトやブログにSEOを呼びかけていたのですから。こうした「事実」に触れず分析の立場とは、日教組教育の呪縛から解けた恥を知る日本人としては信じられません。
また、「主要メディアのスタンスは」と大上段に構えますが、具体例がありません。これは「マスコミは」と大上段に構えて珍説を開陳する匿名掲示板の投稿者でなければ、
“多くの国民は”
と代弁者を装う朝日新聞の得意技です。また、最後は「だろう」でおわるところに馬脚を見つけます。なぜなら、結論を書かないことを文章における余韻と勘違いする文章は朝日新聞のお家芸だからです。彼は愛読しているのかもしれません。
そして津田氏と同じく「右傾化」について、そもそも論を持ち出しており、迷走ぶりは明らかです。日教組教育の申し子達にとっては受難の時代、それは日本の健全化のための道程です。
そもそも「ネットと選挙」を語るのならば、「家入一真」に触れないのは盲目というか、意図的な情報操作で、これもまた朝日新聞の得意とするところで、「サンデーモーニング」にお呼びがかかる理由でしょう。